N-087 素潜り漁にはザバンがいるな
ライズとリーザが操船櫓に上ると、サリーネが旗の準備を始めた。
急いで僚船と結んだロープを解きながら船首に向かい、アンカーを引き上げる。
アンカーが落ちないようにロープで固定して、操船櫓のライズに片手を上げて合図をすると、ライズも片手を上げて了承をしたと教えてくれる。
ゆっくりと後退するカタマランの操船櫓には2本の旗がなびいているぞ。白旗と、例の4色旗だ。結構大きく作ったようでかなり目立ってる。
旗は1本だけと決めたわけじゃないから問題は無いと思うが、後でグラストさんあたりに色々と言われそうだな。
「中々にゃ。目立ってるにゃ」
サリーネが機嫌よく呟いている。
「ああ、目立ってるぞ。あっちこっちで、この旗を眺めてる」
「カイトの紋章にゃ。トウハ氏族にカイト有りと言われる存在にゃ」
うんうんと頷きながら納得してるけど、頭の中でどんな想像をめぐらしているのか覗いてみたい気がしてきた。
いつものように入り江の出入り口の東側で出発の合図を待つことにする。
ライズ達も新しい旗が気になるようで脇から身を乗り出すようにしてパタパタとなびく旗を眺めていた。
日が登ると急速に日差しが強くなる。新しい麦わら帽子をサリーネから受け取ってサングラスを掛けた。
桟橋の動力船にポツリポツリと白旗が揚がり、入り江の出口近くに移動が始まる。
やがて赤い吹流しの船が入り江の出口最前列に船を進めると、ブラカの音が聞こえて来た。
しばらくして、遠くから再びブラカの音が聞こえて来る。いよいよ出航になるな。
ゆっくりと入り江の出口に向かうと、赤い吹流しを付けた動力船の後に1列になって白い旗を掲げた動力船が続いている。
急に速度を上げたカタマランが入り江の出口を目指しているから、ゴリアスさんの合図があったんだろう。後ろにはグラストエラルドさんの船が続いていた。
後はライズ達に任せて、船尾のベンチでのんびりとパイプを楽しむ。
動力船の巡航に合わせてカタマランの速度を加減しているようだが、風になびく4色旗がやけに目立ってるな。出航を終えたんでサリーネが白旗の旗竿を降ろして片付けると、俺の隣に座って海を眺めている。
これから3日間、のんびりした航海がはじまるのだ。
昼食は交代で取り、夕暮れ前には近くの島に停泊してゆったりと過ごす。
大きな島は無いが、千の島と言うだけあって、小島が多いことは確かだ。
人が住める島は数十もないんじゃないだろうか? 数家族と言うならさらに数が上がるんだろうが、人は集団で暮らすからね。ネコ族の人口が増えても、氏族の数はあまり増えないんじゃないかな。
夜は早めに床に入り、その分朝が早くなる。極めて健康的な船旅だ。
2日目は、早朝からひたすら北東方向に動力船を夕暮れ近くまで進ませる。
3日目の昼近くに目的の島が見えてきた。
岩礁地帯だから、バルトスさんが慎重に船団を率いて島の西岸に俺達を導いてくれた。
小さな砂浜にアンカーを投入して、明日の準備に取り掛かる。
ザバンを下ろして船尾にロープで結えると、小屋の屋根裏から銛を取り出して操船櫓に立て掛けておく。
カマド傍の棚に入れてあった、出刃包丁のようなナイフも軽く研いでおいた。
サリーネが小屋から新しい軍手を取り出して俺達に渡してくれた。軍手を編んだ木綿の糸が、俺の持っていた軍手よりは細いけれど、漁場に潜って銛の紐を曳いたり、サンゴに触ったりするからね。素手よりもはるかにマシには違いない。
細めのロープや通常のロープ等も操船櫓の釣り具に引っ掛けておく。
素潜り用の機材が入ったカゴは俺の座っているベンチの下に入ってるし、ザバンを操ってくれる嫁さんの1人が、乗る時にお茶のはいったカゴを乗せれば良いはずだ。
「後は、漁をするだけだ」
「この間のサンゴの切れ目を狙うにゃ。底に岩が少ないからアンカーの回収が楽になるにゃ」
確かにサンゴや岩に挟まったら回収するのが面倒に違いない。最悪、潜って外すことになりそうだ。
「今回はザバンが使える。ガルナックは無理でもフルンネの大型は期待できそうだ」
「またガルナックを突くにゃ! 一年に2回ガルナックを突ける者はいまだかつていないにゃ」
ライズとリーザが口を揃えて訴えてるけど、そう簡単に突けるものではないぞ。たぶん全員が狙ってるんじゃないかな?
グラストさん達も、今頃は念入りに大型の銛を研いでいるのは容易に想像できる。
「頑張ってはみるよ。でも、皆同じ気持ちじゃないかな?」
「バルトス兄さん達は間違いなくそうにゃ。……ひょっとして父さん達も」
サリーネの最後の言葉はちょっと小さくなったけど、サリーネもそう思ってるんなら間違いないな。
4人で大漁を祈りながらワインで乾杯する。3日目の夜にも大漁を祝えれば良いな。
翌日は、早めに起きて朝食を済ませる。
白旗を掲げて準備ができたことを知らせておけば、後は一斉に動力船を走らせるだけだ。昼過ぎにはこの場所に再び戻ってくることになる。
お茶を飲みながら合図を待っていると、バルトスさんの吹くブラカの音が2度聞こえてきた。
「出発にゃ!」
操船櫓でその合図を待っていたライズが、後ろを振り返りながら声を出す。
同時にカタマランが後進しながら舵を切る。時計回りに回頭すると、南東方向に船を進めた。
銛を3本引き出して、甲板に置いておく。
サリーネがザバンの最初の漕ぎ手のようだ。お茶を入れた水筒とコップをカゴに準備している。もう1つのカゴには、出掛ける時に操船櫓の2人が氷を作って入れてくれるのだろう。
ザバンの保冷庫はそれ程大きくないから、数個の氷があればしばらくは持つだろうし、獲物を入れる際にサリーネが更に追加するに違いない。
ベンチに腰を下ろしながら、海面下の変化を見る。
この海域は比較的サンゴ礁が発達している場所と岩礁がごろごろしている場所がある。もう少し深ければかなり良い漁場と言えるのだが、俺達が素潜りできる場所は、岩礁やサンゴの谷間になってしまう。
そんな場所は周辺よりも2、3倍深くなっているから回遊魚が回って来るのだ。
ふと、操船櫓を見ると、にライズの姿が見えない。
「左に向かうにゃ! ……そこで真っ直ぐにゃ!」
船首の方から声が聞こえる。どうやら小屋の屋根に立って海底の様子を探っているみたいだ。
「ここにゃ! ちょっと通り過ぎたけど、北の島の方向に大きな谷があったにゃ!」
リーザがカタマランを停止する。惰性で船は前に進んでいるけど、谷の方向が分かっているなら何ら問題ない。
急いでザバンを引き寄せてサリーネを乗せると、カゴと銛を手渡す。最後にパドルを渡したところで、ザバンを繋いでいたロープを解いた。
ベンチの腰板を開けて俺の装備を整える。水中眼鏡とシュノーケル、足にはフィンを付けて、甲板から海に飛び込んだ。
ザバンの船尾につかまり、サリーネの漕ぐパドルで進みながら海底を眺める。
この辺りの水深は3m程度だ。色鮮やかなサンゴが直ぐ近くに見える。
カタマランから300m程離れると、突然深い海底の谷が見える。横幅5m程のU字型の谷が深く刻まれていた。
「サリーネ、ここだ。かなり深いぞ」
顔を上げてそう言うと、銛を1本掴んで海底を目指してダイブする。
潜り始めて直ぐに、大きなフルンネが目の前を通り過ぎる。20匹近くの群れで谷を移動しているようだ。
前回、ガルナックを突いた時には、フルンネ達は海底にジッとしていたから、群れで泳いでいるって事はガルナックがいないって事なんだろう。
嫁さん連中はがっかりだろう。だけど、これなら大漁が期待できるぞ。フルンネは人を恐れずに悠然と泳いでいる。
銛のゴムを引いて左手でしっかり柄と一緒に握ると、サンゴの奥にいる小エビを食べようとしているフルンネの頭を狙って銛を放った。
鈍い音が水中から伝わる。銛先が頭を貫通しているから、フルンネはその場で身を震わせると直ぐにおとなしくなった。
銛の柄を掴んで、急いで海面に浮上する。
「先ずは1匹だ。かなり群れてるぞ。そっちの銛を頼む」
「これにゃ。大きいにゃ。この間、ここで突いたフルンネより良い形にゃ!」
俺に銛を渡してくれながら、俺の渡した銛先の獲物を直ぐに外し始めた。
新たな銛を手に、ザバンを離れて獲物を探しながら泳ぎ始めた。
この銛は先が2つに分かれたものだ。最初に使った銛よりも少し小さいから、上手く当てねば逃げられてしまいそうだ。
チラリと黒い姿が見えた。単独で泳いでいるからフルンネとは違うな。
大きさは40cmを超えていそうに見える。次はあれか……。
ゴムを引き絞りると息を整え、一気に海底にダイブする。
崖の割れ目を丹念に覗いて行くと、黒い顔つきの魚がいた。ゆっくりと近付いてエラの近くに銛を打つ。
ブルっと魚体が震えるが絶命には程遠い。無理やり岩の隙間から引き出して海面を目指した。
ザバンの近くに獲物を上にして浮上した。
「バルタスにゃ! 久しぶりに見るにゃ」
「次の銛を!」
差し出した銛を受け取って、最初の銛を手渡してくれる。そんなサリーネに親指を立てて次の獲物を約束する。
再び海底にダイブすると獲物を探す。
今度は、海底付近にへばり付くように体を休めていたバッシェを突いた。根魚だけど、結構な値が付くんだよな。
数匹を突いたところで、軽く体を休める。
アウトリガーのフロートに腰を下ろして、サリーネからココナッツの殻で作ったカップを受け取った。
保冷庫で冷やしていたお茶は喉に染み入るようだ。
のんびり2人でお茶を飲んでいると、カタマランが近付いて来た。
「獲れたかにゃ?」
「とりあえず5匹だ。ここにはガルナックはいないようだぞ」
サリーネから獲物を入れたカゴを受け取り、リーザに手渡すと、新たなカゴを受け取った。
獲物をさばいてカタマランの保冷庫に入れるのはリーザて事になるのかな。
強い日差しを俺達に投げ掛ける太陽が南中するには、もう少し間があるな。
お茶を終えたところで、再び銛を持ってダイブする。何とか今日中に10匹を超えたいところだ。




