P-263 帰りは子猫と一緒だ
まだ右肩が疼いている。
俺の意を汲んでくれるという事なんだろう。
立ち上がって船尾の窓に近付くと、遠くから海面を押し上げてくる存在に直ぐに気が付いた。
「水の神殿の祭司長への竜神からの手向けかもしれません。やってきましたよ。あれが神亀です」
神官ばかりでなく僧兵や兵士までもが席を立って船尾のテラスに向かう。
その後をゆっくりと歩いて彼らの後方で見守ることにしよう。
入り江に入って少し速度を落としたようだが、それでも海面の盛り上がりが異様だな。
商船から数十mほど離れた場所で突然海面に甲羅が浮き上がり、神亀が海中から頭をもたげた。
優しい目で俺達をジッと見ているんだよなぁ。
その姿を見た俺を除く全員が、テラスに膝を付いて祈りを捧げ始めた。ミラデニアさん達は前にも見ていると思うんだけどなぁ。
やはり神の使いという存在は祈りの対象という事なんだろう。
俺はいつも通りに、軽く頭を下げて姿を現してくれたことに感謝することにした。
浜の方にも大勢の人達が集まっている。
ザバンに子供を乗せて、神亀に向かって一生懸命漕いでいるのは、少しでも子供達に神亀の加護が得られるようにとのことなんだろう。
祈りを終えたマル―アンさんが、そんな島の光景を驚いてみているんだよなぁ。
「神亀は竜神の使いと聞きました。ネコ族は何故に子供達を連れて集まってくるのでしょう?」
「神亀の甲羅に乗せて貰うためですよ。さすがに大人達が乗るのは考えてしまいますけど、過去に無かったわけではありません。夏海さんの子供は成人後にも神亀に乗って漁をしたことがあるそうですよ」
「ナギサ殿と同じように聖姿を背の受けた人物ですね。最後には龍神に姿を変えたと聞きましたが?」
「それが本当に起こったと俺達は信じていますし、何より今のお年寄りの親達は実際にそれを見たそうです。1人ではなく、その時島にいた人達が全て同じ光景を目にしたとなれば、実際に起こったことだと思わざるをえませんね」
子供達を背に乗せた神亀がゆっくりと子供達に顔を向ける。
亀の首は案外自由に動くものだと感心してしまったけど、どうやら戻りたいという事かな?
はしゃぎまわっていた子供達が、甲羅から降りてザバンに戻っていく。
全員が甲羅から降りると、ゆっくりと神亀が海中に姿を消していった。
来るときには海面を盛り上げるようにしてやって来たんだが、去るときはその場から突然消えたように海面に波1つ立てないんだよなぁ。
やはり不思議な存在としかいえないのが、神亀という事になるんだろう。
「帰ったようですね。神亀はニライカナイを遊弋して俺達の暮らしを見ているようです。不漁の時は姿を現して助けてくれますから、ご利益があることは間違いありません」
「まさしく神の眷属……。その存在に畏怖することなく、あのように子供達が背に乗ることが出来るとは……」
乗ってみたいのかな?
「乗りたいですか?」と聞いてみたら、恐れ多いことだと言ってるんだよなぁ。
神官にとって神とは距離を置きたいという事なんだろうか?
神の身元なんて言葉もあるぐらいだから、なるべく近づきたいと思うんだけどなぁ。
神亀の出現に、少し気が張り詰めていたのだろう。
部屋に戻ると、若い神官にお茶の用意を頼んでいる。
俺はミラデニアさん達に断って、パイプを取り出し火を点けた。
さすがに神官達は喫煙しないようだ。
「ご無理をさせてしまいましたが、改めて神亀を呼んでいただきありがとうございました。神亀が民と共に暮らすなら、この地に新たな神殿は必要ないでしょう。またネコ族の人達が我等の神を龍神と同じように信じているなら、我等の神像をこの地に祭る必要もなさそうです。その上に一神教の脅威について御聞かせ頂き、その対処についてご教授頂いたご恩をどのように返して良いのか悩むところではあります。我等、王国の戻り次第他の王国の神殿と協議することになるでしょう。場合によっては再度ナギサ殿のお知恵を拝借しに来ることをお許しください」
「あまり力になれるとは思いませんが、俺達と大陸の関係には俺も考える必要がありそうです。一神教の信徒が下層庶民の中に浸透する前にどのような手段を講じることにしたか教えて頂ければ幸いです」
そう言って深々と頭を下げたんだが、神官たちは席を立って俺に頭を下げるんだよなぁ。さすがに護衛兵は席を立つことはないけど、僧兵達は神官に倣って俺に頭を下げてくれた。
そんなに偉い人物じゃあないんだけどなぁ。
頭を掻きながら「座ってください」と慌ててお願いしてしまった。
「ナギサ殿は自分をかなり下に見ておられますが、神亀様を先ほどのように呼ぶことが出来るとなれば、その位階は我等祭司長の上になるでしょう。かつて炎の神殿の祭司長がアオイ殿の伴侶であるナツミ殿を祭司長として招こうとしたとの記録もあります。もし招くことが出来たなら、このような時にどうしたら良いのか……」
急に、ミラデニアさんが口ごもった。
他の神官達も、いぶかしげにミラデニアさんに顔を向けている。
「……『神は、いつも我等を見ている。その神はどこから来たのか、そしていつまで我等を見ていることが出来るのか。それが神の寿命であり、その寿命を決めるのは我等信徒である』……ナツミ殿が当時の祭司長と会談した時の言葉が残っています。ナツミ殿は未来を見ることが出来たのでしょう。今まさに我等の神が我等と袂を分かつ可能性があるという事かもしれません」
一体どんな人物だったんだろう?
聖姿を持った子供を大陸の神殿から隠したようだけど、色々と大陸に影響を残してくれたようだ。
約定を改定することになることや、一神教の脅威についてもそのことだという形で神官達に理解できるんだからなぁ。
それならしっかりと言って欲しかったと思うのは、俺の我儘なんだろうか?
そんなことを言ったとしても、ある程度力を持った人物に脅威として映らなかったなら、無視されてしまったかもしれない。
ノストラダムスよりは、現実味のある予言という事にしておいたと言う事かな。
「それでは、これで失礼します。もうすぐ雨期に入りますから、魔石を得るために銛を研がねばなりません。魔石を得ることで漁船が手に入る。カタマランで海原を駆り漁をすることで大陸との商取引が成り立ち、俺達は日々の糧を得ることが出来ます。そんな単調とも思える暮らしにも喜怒哀楽はありますよ。王国の民がどのような暮らしをしているのかは分かりませんが、俺達の暮らしが中流庶民と言えるとは思えません。そんな暮らしをしている俺と神殿の最高神官とも言える祭司長が同じ部屋でお茶を頂くという事が、この場で起こったことです。ミラデニアさん、マル―アンさんそれは神殿の神官としては稀有な事であるという自覚を持てましたか? 俺がたまたま背中に聖姿を持っていたからですか?」
俺の言葉に、再度2人が頭を下げる。
「確かに仰る通り。下層で暮らす庶民の前に姿を出すことなどこれまでに無かったことです。……神殿が何時の間にか階層社会を作りだしていたのかもしれません。神の前に皆は平等。それは神官であっても同じことです。我等は民の代表として神に祈りを捧げるものあって神を代弁するものではありません」
とは言ってもなぁ……。王国自体が階級社会で作られているようなものだ。
当然、それに倣うことで神殿の機能も維持されてきたのだろう。
「神官に階級があること自体が悪いという事ではありませんよ。長く神官を務めている者と新たに神官になった者が同じであるなら、神殿の機能はマヒしてしまいます。神官の位階は今まで通り、ただし神の前では最長老といえども新任の神官と同じ立ち位置であるという事です」
「俗界に関わることはそのままに……、という事ですか。神殿内でそうであると説くなら、王国民の誰もが神の前では同じ1個人という事になりますね」
「たとえ国王であっても、神の前ではぼろ布を纏った貧民と同じであるという事です。国王といえども貧民の前に出ることは出来ません。俗界と神の世界は違うのですからね。国王が皿に金貨を山盛りにして神殿に寄付をしたとしても、神の前では貧民がしっかり握った手から差し出した銅貨1枚と同じ価値であることを理解すべきでしょう。もっとも、国王にそのような話をしたなら次の寄付は銅貨1枚になりそうですがその心配はありません。王国の頂点に立つ者としての矜持がありますからね。俺の言葉を聞いて笑う国王であれば王国は安泰でしょう。怒り出す国王なら王国の将来が心配です。
さて、これで俺の氏族の島に戻ることにします。依頼の件は、島に戻り次第長老達と相談しますから、乾期の中頃には商会ギルドを通して、炎の神殿に伝えましょう」
席を立つとテーブルに着いた神官に頭を下げる。それが終わると壁際のベンチに腰を下ろしている僧兵と護衛兵にも頭を下げた。
ゆっくりと扉に歩いていき、扉を開けて部屋を出る際に再度部屋の中に頭を下げる。
これぐらいしておけば礼儀知らずと言われることはないだろう。
カタマランに帰る前に、店を覗いていこう。
なんといっても大きな商船だからなぁ。扱う品物もそれなりに多い筈だ。
太鼓型のリールを見ていた時だった。
「ミャ~!」という鳴き声を立てて棚から俺の肩に飛び乗って来たのは、三毛猫だった。
まだかなり小さいなぁ。生後3か月辺りかな? 中々俺の肩から降りないんだよなぁ。魚の匂いが染みついているんだろうか?
「おや? だいぶ気に入れらたようですね。ほらほら、母さんのところに戻りなさい」
店員が笑みを浮かべて、俺の肩から子猫を抱き上げようすると、「シャー!」という声を出して威嚇しているんだよな。
困った子猫だ。だけど母親がいるなら早く戻った方が良さそうだ。
子猫を肩から下ろして、店員に渡そうとしたらしっかりと俺の腕に爪を立てては慣れまいとしてるんだよなぁ。
「血が滲んでいますね。すみません。こらこら! ちゃんと倉庫に戻って……」
無理に引きはがそうとすると、ますます爪を立てるんだよなぁ。
その時だった。足元で「ミャ~」と声が聞こえる。
目を落とすと、俺の足元に親猫が俺を見上げていた。
「ほらほら、母さんが心配して迎えに来たぞ。さぁ、離れるんだ」
ますます俺の腕にしがみ付いて、足元に向かって鳴き声を上げる。
ひょっとして俺のところに来たいのかな?
「この子を引き取っても良いでしょうか? どうやら親も納得しているみたいですし……」
「構いませんが、よろしいのですか?」
「問題ありません。それと、このリールを1つ頂きたい。支払いはこの魔石で良いでしょうか?」
俺から魔石を受け取って、少し驚いてるんだよなぁ。
低位魔石ではあるけど品質は上級だからだろう。競りでは無く通常価格で引き取れるということに驚いているに違いない。
「ちょっと待ってください。それと、お前さん、ちゃんと言うことを聞いて暮らすんだぞ!」
子猫の頭を撫でて、何度も頷いている。
子猫としばらく顔を見合わせていた親猫がいつの間か去っていた。
これが親子の別れになると思うと、少し可哀そうに思えてくる。
「これがリールです。釣りは銀貨3枚と銅貨6枚になります」
「これで親猫にご馳走してやってくれ。子猫の代金では無いぞ。親への結納金代わりだ」
銅貨だけを受け取って、そのまま商船から降りていく。
俺の後姿を唖然として店員が見ているようだけど、これは俺の住んでいた世界で猫を引き散る際の儀礼のようなものだ。
お祖父さんの時代では、カツオ節2本を親猫に贈ることがあったらしい。
俺の腕から肩に移動した子猫が落ちないようにしっかりとTシャツに此上付いている。マナミと一緒に遊びまわるかもしれないな。




