P-227 5か国交渉
「何とかなりそうかにゃ?」
カタマランに戻って来た俺に、エメルちゃんがお茶を出してくれた。
タツミちゃんも、マナミを抱きかかえながら心配そうに俺に顔を向けてくる。
「今日会った連中は賛同してくれたよ。問題はノルーアン王国とネダーランド王国だな。炎の神殿の神官によればノルーアン王国は何とかなるとの話だったけど、ニライカナイと2度も敵対したネダーランドについてはどうなることやら……」
「トーレさんが『リーデン・マイネを出す時にゃ!』と言ってたにゃ」
「6つの氏族から大勢が集まってくるにゃ!」
だよなぁ。千の島と呼ばれるこの海域にネコ族の祖先がやって来たのは、大戦に敗れた落ち武者の集団だったようだ。
先祖の血が未だに脈々と受け継がれているに違いない。
「水の神殿は『聖戦だ!』と言ってたけど、そんなことになったら俺達の暮らしに影響が出そうだ。漁果を商船が買ってくれなくなる可能性だって出てきそうだからね。
もっとも、相手がニライカナイに軍船を乗り入れるようなら、俺だって拳を上げるつもりだ」
「拳でなく銛を掲げて欲しいにゃ。やはりトーレさん達の言う通りになるのかにゃ……」
それは明日の結果待ちだろう。
エメルちゃんに俺が桟橋に下りたら、カタマランを桟橋から離すようにお願いしておく。
俺1人なら泳いでカタマランに戻ることだってできるだろう。大陸の兵士がどれぐらい泳げるか分からないけど、武装してるし革鎧も着用しているぐらいだから海に入ったら浮かんで来れないんじゃないかな。
「アオイ様が交渉したときには、神亀を呼んで交渉したと聞いたにゃ」
「それだけ難しい交渉だったんだと思うよ。今回は参加者の過半数が賛同してくれているから何とかなりそうだ。神亀を呼ぶより水の神殿の神官が動きそうなんだよなぁ」
ネダーランド王国があまり難色を示すようなら、本当に動くかもしれないな。電話や無線機が無いから、大陸に戻ってから急いで聖戦を宣言したとしても直ぐに軍が動く伴思えない。早くて1か月後という感じだろう。
その間に、ネダーランド王国が新たな約定に賛同してくれれば良いんだが、一度動き出した騎馬軍団を停めることが果たしてできるのだろうか?
連動して南北からノルーアン王国とソリュード王国が群を進めたらネダーランド王国は歴史から消え去りそうだ。
ネダーランドの商船と俺達との関係は今までも良好だったんだから、急にやってくる商船の数が減るのも問題だろう。
現状の約定の改定に納得して賛同してもらいたいところだな。
夕食後には、オウミ氏族の若者達が訪ねてきた。若者といっても俺より少し年上の一団だ。
はるばるシドラ氏族の住む島からやって来たと知って、一度顔を見ておこうということなんだろう。
彼らのカタマランよりはるかに大きなカタマランを見て驚いていたけど、すぐに彼らを甲板に招き入れた。
ココナッツ酒を酌み交わして、漁法や漁場に付いて語り合うと時間を忘れそうだ。
オウミ氏族は銛をあまり使わずに釣りが主体になるらしい。延縄をいくつか仕掛けて、その合間に銛を使うと言っていたが、銛を使うのはリードル漁の練習じゃないかな。
突くのは根魚だけらしいからね。
「シドラ氏族はトウハ氏族の流れを受けているってことですか?」
「そうなるね。屋根裏の銛は10本近くあるよ。曳き釣りもやるんだけど、子供が小さいから今のところは道具を手入れしているだけだ」
彼らの持つ銛はリードル漁の銛2本と、先が2本になった銛が1本の3本だけらしい。
突く根魚の大きさも50cm程らしいから、確かに1本で十分なんだろうな。
「大物はいないのかい?」
「大物を突きたいときは、トウハ氏族を訪ねますし、大物釣りはナンタ氏族ですね。訪ねればいろいろと教えてくれるんですが、俺達の漁場で試すのは……」
試してみても良いと思うんだが、長老や筆頭の目が気になるのかな?
氏族ごとに特徴のある漁法を続けたいという考えもあるんだろうから、俺がとやかく言う話ではなさそうだ。
今度は俺達がシドラ氏族の島に向かうと言ってくれたけど、かなり遠いからなぁ。苦笑いを浮かべながら頷くだけにしておいた。
各氏族ともに、実際の交流範囲は隣同士だろう。
たまに聖痕の保持者が遠くの氏族を訪ねることがあるらしいが、それも1、2度だけらしい。長老達は氏族会議が行われるこの島に季節ごとに集まるようだ。
その点、俺達はニライカナイの海を自由に動いているように思える。
長老の許しを得てはいるけど、他の氏族の若者達の目には奇異に映るに違いない。
翌日。朝食を終えて甲板で一服を楽しんでいる俺のところに、商船から出迎えの若い店員が訪れた。
そういえば、何時から始まるかを聞いてなかった。
自分が失念していたことを店員に詫びて、屋形から顔を出したエメルちゃんに桟橋から離れるよう伝えると店員と共に桟橋を歩き出した。
「帰るわけではありませんよね?」
入り江の中ほどを目指して進んでいくカタマランを訝し気な表情で眺めていた店員が問いかけてきた。
「物騒な王国の話を聞いたからね。俺一人ならどうとでもなるけど、小さな子供がいるんだから念の為に動かしたんだ」
「かつての約定を定めた時も一騒動あったと聞きました。帰りは私がザバンで送り届けますよ」
笑みを浮かべる店員に苦笑いを浮かべながら礼を言っておく。
あの距離なら、ザバンを使って送って貰うより、泳いで行った方が早いんじゃないかな。
「こちらです!」と案内された船室は昨日よりも大きい。壁に何枚かの船の絵が飾ってある。大きなテーブル席に3人が座っていた。
炎と水野神殿の副祭祀長と30代の男性だ。初めて見る人物だが笑みを浮かべて入れに小さく頭を下げてくれた。
きちんと礼をしたところで椅子に座る。残った椅子は2つだ。1つは商会ギルドの代表だろうから、もう1つは王国の代理人ということになるんだろう。
「初めてお会いします。ノルーアン王国のビルガイネです。ミラデニア殿から詳しく話は聞かせていただきました」
「ニライカナイのシドラ氏族に所属するナギサです。今日はよろしくお願いいたします」
丁寧な物言いの人だな。感じっていると、ミラデニアさんがノルーアン王国の次期国王だと教えてくれた。
思わず目を見張ってしまった俺に、笑いを堪えているんだよなぁ。
「気にすることはありません。ナギサ殿はニライカナイの代表ですからね。私と同じ立場です」
「そうは言いましても……。敬語が上手く使えませんので、その辺りは御容赦ください」
問われるままに、漁暮らしの日々を話して時間を潰していると、部屋の扉が開き数人の男性が入ってきた。
ギルドの初老の男性が、ややメタボな体型の中年男性を席に着かせると、一緒に入ってきた男達が窓際の席に腰を下ろした。そういえば、窓際や壁際に何人かずつ腰を下ろしている。
よく見ると武装しているようにも見えるから、護衛ということなんだろう。
左足にダイバーナイフを着けてはいるが、彼らの持つ短剣よりも短いからなぁ。いざとなったら、あの窓から海に飛び出そう。
位置的には窓の外は桟橋ではなく海だからね。
「これで関係者が全員揃いました。今回の会合は、現在沿岸の3王国とニライカナイで結んだ約定の改定の是非を確認することにあります。
大陸の王国が各3隻ずつの交易商船をニライカナイの5つの氏族を渡る。各氏族で得られる魔石の売買は氏族の島を訪れる商船の競売による。大陸の各王国に中位魔石2個が贈られ、返礼として銛先が5個贈られる……。まだまだ約定の条文はありますが、基本は以上です。
今回、約定の改定を行う理由として、大陸の王国という言葉をそのまま使うことが難しいということをニライカナイ側からの課題として受け取った次第。
確かに大陸の王国ということになれば、内陸の王国がどんどん参加することになるでしょう。
現在の約定を定めてそれを遵守しているノルーアン、ネダーランドそれにソリュードの各王国は、このまま他王国の新たな参入を黙認するか、それとも拒否するかの決断が必要になってきます。
現在、ジハール王国の商船が1隻、ニライカナイで活動しております。約定ではさらに2隻の運行が可能であり、将来はさらに西方諸王国が商船を派遣してくる可能性が高いでしょう」
ギルド代表の初老の男性の言葉が終わるのを待って、商船の店員達が俺達に飲み物を配ってくれたのだが、ワインを朝から飲むことになってしまった。
「すでに魔石の売買にまで関与しているということか! 即刻追い返せば良いことだ!」
「誰が追い返すんですか? ネダーランドがそれを行ってくれるなら良いのですが」
「フン! 自分の庭に勝手に入ってきた余所者をニライカナイは追い返すことも出来んのか!」
「言っている意味が理解できませんね。俺達にとっては商船なら問題はないんです。漁果を買いとってくれますし、魔石の競売にも参加してくれますからね。
俺がギルドに約定の改定を申し出たのは、大陸間のイザコザにニライカナイが巻き込まれたくないからですよ」
結構短気な御仁を送り込んできたな。交渉なんてしたことがないんじゃないか?
貴族が頼りにならないということで、神殿の神官を送り込んでくる王国の方がはるかに優れた治政をしているように思える。
「ネダーランドの国政は相変わらずだな。ナギサ殿は『我等3王国以外の参入によって各国の魔石、魚の取引が少なくなるが問題ないか?』と我等に教えてくれたのだ。今回はジハール王国の事例があることでそれが確実になった。ジハール王国の西の内陸部にもいくつか王国がある。それら王国が現在の約定を元にニライカナイへと商船を進めることもあり得るのだぞ」
「そこが分からん。約定を交わした4か国以外が、ニライカナイに船を進めるならそれを阻止するのがニライカナイの務めではないのか!」
「約定の条文には、今の言葉がどこにも書いていないのだ。ニライカナイとして拒むのは問題ではないのかな?」
「なら、我等3王国が一丸となって……」
「聖戦か! ハン! 侮られたものよ。水の神殿の僧兵3千が楔となって王都を目指そう。その後に数万の騎馬隊を国王自ら率いてくるはずだ」
「ほら、これだ! まったく未開の連中は……。我が王国軍の精鋭で容易に撃破できますぞ」
「果たして容易かな? ノルーアン王国の全軍も南下することになりますが?」
ビルガイネさんの突然の一言に、マルーアンさん位向って拳を振りかざしていたネダーランドの代表が、怒りの形相のまま顔の向きを変えた。
「ノルーアン王国は北方の由緒ある王国。まさか蛮族に組して我が王都を落とそうというのか!」
「未開の連中、そして蛮族ですか……。妻に聞かせたらさぞかし大喜びをするでしょうね。我が妻は元ジハール王国第一王女です。さすがに妻を侮辱されたとなれば、父王陛下も黙ってはおられないでしょうし、私も王宮内で貴族達に軽んじられたくはありません」
さっきまでの真っ赤な顔が今度は青くなっている。さすがに軍を2方展開はできないと悟ったのかな?
大人しく聞いていればいいのになぁ。基本合意が出来てるんだから、最終確認で課題がないことを確認しようと集まっただけなんだけどねぇ。
「ネダーランドは約定を変えたくないということでよろしいか?」
「当たり前だ。手に入れられる魔石の数が減ってしまうでないか。ソリュードはそれを認めるのか?」
「戦よりはましに思える。それに、少し減るだけであろう。それは競売結果ということになるのだろうが、ナギサ殿は魔石の値上がりを望んでいないのだから困ったものだ」
日々の暮らしに困らなければ、それで十分だと思うんだけどなぁ。
上を目指せば切りがない。それを理解できないような人物を交渉人として派遣してきたということかな?
ネダーランド王国を納得させるのは、時間が掛かりそうだ。




