P-219 交渉が終わったらしい
中2日の漁を終えると、ガリムさんに率いられた船団は南に向かって警戒に海上を進んでいる。
トーレさんとエメルちゃんが舵を交代で握り、俺はマナミをあやすタツミちゃんを眺めながら漁具に手入れをする。
2日間の休養を取って再び漁に向かうのだが、さすがに次の漁はトーレさん達も乗り込んでは来ないだろう。バゼルさん達も漁をしないと生活を維持するのが難しくなるだろうからなぁ。
低級魔石を1個売れば1か月は漁をせずに暮らせるということになるんだろうが、魔石の売り上げは新たなカタマランの建造費として皆大切に保管しているからね。
とはいえ、カタマランの修理や万が一の不漁時の対応に、どこも魔石を2、3個はキープしているようだ。
俺達の場合は上級魔石まで持っているぐらいだが、これは対外的な取り引きやオラクルで新たな事業を始める時のために取ってあるものだ。
「前は南で、今回は北にゃ。今度は西になるかもにゃ」
「できれば東に行ってみたいね。バゼルさん達は1日半カタマランを走らせて漁場へ向かうらしい。やはり遠くになればなるほど魚が大きいように思えるよ」
今回もフルンネが4匹取れたけど、3YMを少し超えたぐらいだからなぁ。できれば4YM近いフルンネを突きたいところだ。
「シメノンが来なかったけど、シーブルが夜釣りでたくさん連れたにゃ。延縄も良い型のブラドが掛かってたにゃ」
「シーブルが掛かると思ってたんだけどなぁ。ブラドの棚はもう少し深いように思えるんだけどね」
それが漁の面白いところではある。
一応狙う魚はあるんだが、生憎とそれ以外の魚が掛かる場合の方が多いことも確かだ。
久しぶりに、トーレさんが素潜りをしてたけど、良い型のバルタックを2匹も突いたからなぁ。皆が驚いていたからトーレさんも笑みを浮かべていた。その後でロデニルを人数分捉えてきたから、昨日は久しぶりに豪華な夕食になった。
「西から雨が近づいて来るにゃ!」
操船櫓の後ろは大きく開いている。操船櫓の屋根が後ろに1m近く伸びているから、雨に当たることはないようだ。
大きく後ろに振り返ってエメルちゃんが教えてくれたから、軽く手を振って了解したことを伝えた。
どれ、帆布を広げておくか……。
操船櫓の下に折り返して畳んでおいた帆布を甲板の上に広げる。帆桁があるから簡単に三角屋根を作れるのが便利だ。
船尾に2mほどの柱を立てて帆布の端を止める。柱をロープで舷側に結べばタープのようにピンと張れる。
「帰るだけだからね。雨水を集めなくても良さそうだ」
「屋形の窓と船首側の扉を閉めておくにゃ」
マナミを抱いてタツミちゃんが屋形の中で雨に備えている。
西を見ると、真っ黒な雲がすぐそばまで来ている。その下の白いカーテンは、豪雨に違いない。
乾季だからなぁ……。1時間も降らずに去っていくんだろうけど、漁の最中だとちょっと困ったことになりそうだ。
鋭い笛の音が何度か聞こえてきた。
後ろのカタマランから、ひときわ長い笛の音が聞こえてくる。船団の速度が急に落ちてきた。
さっきまでの速度で豪雨の中を進むのはさすがに危険に違いない。
カタマランが歩くより少し早いぐらいの速度に変わって、隊列の間隔が狭くなってきた。
バタバタと激しくタープを雨が打ち付ける。
見通しが全く効かない。かろうじて後ろのカタマランが見えるくらいだ。
これは停船した方が良いんじゃないかな?
することが無いから、屋形側に置いたベンチに座ってパイプを楽しむ。屋形の扉を開けてタツミちゃんが雨の様子を見ているけど、タバコの煙は東に流れていくから、屋形の方には入らないようだ。
「西が明るいにゃ。もう直ぐ晴れるにゃ」
「乾季にしても、短い雨だね。それなら降らない方が有難いんだけど」
「貯水池の水が少しは溜まるにゃ。乾季は小母さん達が畑に水を撒いてるから、減るのが速いと言ってたにゃ」
田圃を作ると減るのがさらに加速しそうだ。
南国の日差しは強烈だからねぇ。すぐに蒸発してしまうんだろうなぁ。
貯水池を増設することも考えないといけないかもしれない。
バゼルさん達にその辺りを確認しておいた方が良さそうだ。
タツミちゃんの言う通り、10分も経たない内に急に周囲が明るくなったかと思ったら、豪雨がピタリと収まった。
タープから頭を出して東を見ると、豪雨のカーテンが東に去っていく。
ガクンと体が動いたのは、カタマランが再び速度を上げたからだ。
1時間に満たないのろのろ運転を取り返すような速度で南に向かって進み始めた。
「これだと夕暮れ近くに到着するにゃ。漁果を運ぶのは明日になりそうにゃ」
「保冷庫に入れてあるから問題は無いんだろう? 到着したら氷を追加しておくよ」
夜でも燻製小屋まで移動できるように、オラクルの夜はあちこちにランタンが下げられる。
元々は高台の広場までだったようだけど、畑に抜ける南の通りにも掲げるようになったらしい。
炭焼きや燻製小屋で働く老人達がいるからなぁ。夜も数人ほどが仕事を続けているんだから、それぐらいの心遣いは必要だろう。
だからと言って、老人達に甘えるのも問題だ。確かに、出来の悪い連中だと思いながら俺達に力を貸してはくれそうだけどねぇ。
そんなことだから、日が暮れてから漁果を運ぶのはいつの間にか自粛するようになっているようだ。
日がだいぶ傾いたが、まだオラクル近くには来ていないようだ。
見慣れた島を過ぎたところで船団が東に回頭したのは夕暮れの中だった。
夕暮れの残照がロウソク岩を赤く染めている。
普段よりも少し速度を上げて入り江を入っていくと、遠くに桟橋の先端に掲げたランタンがいくつか見えてきた。
「やっぱり日暮れになってしまったにゃ」
「でもそれほど遅い時間じゃないよ。いつもより遅い夕食にはなりそうだけどね」
いつもの桟橋にカタマランを横付けするのを待って、アンカーを下ろし桟橋にカタマランをロープで固定する。
バゼルさんが船尾の固定を手伝ってくれたから、そのままバゼルさんと一緒にバゼルさんのカタマランに向かってココナッツ酒を酌み交わすことにした。俺と入れ替わりにサディさんが俺達のカタマランに向かったようだから、一緒に夕食の準備を始めるのだろう。
「雨に会ったようだな?」
「おかげで、到着が少し遅れてしまいました。ガリムさんが船団の筆頭ですからね。無理に速度を上げるようなことはありません」
「カルダスには出来過ぎた子供だな。船団を率いるということを良く理解しているようだ。カルダスがお前たちの年頃だった頃には、2日間も2ノッチで船団を走らせていたからなぁ」
「なんだ? 俺の若い頃の話などして」
噂をすれば、なんとやら……。カルダスさんがザネリさんを連れて現れた。
座っていた場所を広げて、4人でココナッツ酒を酌み交わしながらパイプを楽しむ。あまり飲まないようにしよう。夕食前だからね。
「ガリムは船団を上手く率いていると感心していたところだ。それでなんの用だ? ナギサの漁果を知りたいだけではないんだろうが」
「さっき、トーレが見せてくれたよ。フルンネを4匹とは、さすがだな。もっともトーレがバルタックを2匹突いたことに驚いたぞ」
「あのあたりの漁場は通り過ぎるだけでしたからね。あの獲物を見たら、他の船団もたまにアンカーを下ろすことになるでしょう」
「若者や老人達の漁場にしておくべきだろう? ザネリ達ならもう少し先に足を延ばして、新たな漁場を見付けることも仕事なんだからな」
「確かに今の漁場はナギサが調べてくれたおかげだ。そうだな……、確かに足を延ばすことは必要だろう。長老が何も言わないのも気になっていたことは確かだ。それぐらい自分で気付け! ということに違いない」
カルダスさんが、頑張れよと最後に言ってココナッツ酒を口にする。
ザネリさんが苦笑いを浮かべているのを見て、バゼルさんが困ったやつだという目を向けていた。
長老が口に出さずとも皆が長老の意を汲んでくれるなら、ますますシドラ氏族の発展が見えてくると長老達も喜ぶに違いない。
「漁果を気にせずに漁をしてみることも大事だと、心に刻みこんでおけば十分だ。ナギサも、オラクル周囲の漁場を見付ける時にはそうしたはずだ。毎回そんな漁をするようでも困るだろうが、豊漁が続いた時には冒険してみることだな。
ところで、ナギサの漁果を見に来たわけでもあるまい。何かあったのか? 田圃作りは順調のはずだが」
「忘れるところだった……。これを長老から預かってきたんだ。ナギサ宛だと言っていたが、大陸の炎の神殿からの書状らしい」
カルダスさんが古びた革製のバッグからパイプと共に書状を取り出すと、書状を俺んい渡してくれた。
ランタンの明かりで受け取った書状を眺める。
さすがに封は切られていないな。あて先は、『ニライカナイのシドラ氏族の一員たるナギサ殿』となっている。裏は『炎の神殿祭祀長』となっていた。
あの時会見した女性は副祭祀長だったから、その上の人物からということになるのかな?
「雨季明けに会見したと聞いたが、その返事ということか……。確か面倒な話になっていたと思っていたが、すっかり忘れていたな。それで?」
バゼルさんの言葉に頷いて、3人が身を乗り出して俺に詰め寄ってくる。
夕食後にでものんびり読んでみようと思っていたんだが、この場で大まかな内容を伝えないと満足してもらえないようだ。
ナイフを取り出して、封を切ると書状の中身を一読する。
「神殿からの書状ですから、美辞麗句がふんだんに書かれていますが、どうやら神殿に依頼した交渉は上手く行ったようです。
最終的な約定の見直しは、商会ギルドと約定を結んだ3王国、それに内陸の2王国の代表者にニライカナイの長老を集めて調印したいと書かれています。
期日は、乾季開けの水の魔石の競売が開かれた10日後になるようですね」
「ナギサのことだ。面倒な依頼をしたと長老が話をしていたな。対価が上位魔石ともなれば神殿も動いてくれるだろうとは言っていたが、上手く纏めたということはかなり敏腕の神官だったに違えねぇ」
「大陸の漁師達の漁場が広がるということだが、サイカ氏族がかつてのシドラ氏族の島に移住している。元サイカ氏族の島が監視船団の本拠地になったが、彼らの漁果はサイカ氏族の漁果の半分にも満たぬだろう。大陸の漁師も生活が掛かっているのだ。小さな漁場のいくつかは笑って譲るぐらいの器量がお前にだってあるだろう?」
器量を問われたからだろう。カルダスさんが苦笑いを浮かべている。
それぐらいの譲歩で済むなら、安いものだ。
それに、新たな約定の改定を最後の改定にするための対策も考えないといけないだろう。
明日は、長老と相談だな……。




