P-192 トーレさんが来てくれた
桟橋作りと漁を交互に何度か繰り返していると、ザネリさん達が十数隻の船団を率いてオラクルにやって来た。
一緒に保冷船もやって来たから、島の保冷庫の燻製を皆で保冷船へと移動する。
荷物の積み下ろしと積み出しを終えてカタマランに帰ってくると、何とトーレさんが笑みを浮かべて出迎えてくれた。
「バゼルさんも来てたんですか? 積み下ろし時には見ませんでしたが」
「私だけにゃ。タツミが心配だから早めにやって来たにゃ。ハンモックも用意してあるからしばらく厄介になるにゃ」
ありがたいとは思うんだけど……、バゼルさんはだいじょうぶなんだろうか?
もう一人の嫁さん、サディさんがいるから、食うには困らないとは思うんだけどねぇ……。
「トーレさんがいるなら心強いです。俺とエメルちゃんだけですからね。急に産気付いたら、こっちが気が動転してしまいそうです」
うんうんと頷いているところを見ると、そんな連中もいるってことなんだろうな。
漁の途中で出産が始まるなんてことも、よくあることなんだろう。
「とりあえずは、しばらく先になりそうにゃ。準備はエメルに確認したけど、いつでも水の運搬容器1つに水を入れて置くにゃ。それといつでもお湯を沸かせるようにカマドには火種を入れて置くにゃ」
カルダスさんに言われて水の方は準備が出来てるんだが、お湯も必要になるってことだな。
炭はいつでも多めに積んでいるから、カマドの中の灰に2つほど熾火を入れておけば良いのだろう。
「熾火を絶やさないようにしておきます。水はいつでも1つ屋形の入り口に置いてあります」
「なら、当座は問題ないにゃ。振る舞い酒はバゼルが運んでくるはずにゃ。その前に生まれたら祝いを伸ばせば良いにゃ」
一応、ワインを3本用意してあると言ったんだけど、祝いの酒はココナッツ酒になるらしい。
常に、5個を用意しておくように言われたんだが、俺は木登りが下手というよりできないからなぁ。ガリムさんに頼んでおこう。
トーレさんがやって来たから、夕食は賑やかだ。ザネリさんも嫁さんや子供達を連れてやってくる。
お土産はココナッツが10個ほど入ったカゴだった。
「本来なら俺の方で、母さんの面倒を見ないといけないんだがなぁ。しばらく迷惑をかけるかもしれないけど、よろしく頼むよ」
「こちらこそ、ありがたいと思っています。俺には両親の記憶だけしかありませんし、タツミちゃんの両親はトウハ氏族で暮らしていますからね。トーレさんは義理の母だと思っているぐらいです」
「そういってくれるとありがたい。トウハ氏族とシドラ氏族は親戚みたいな付き合いがあるからなぁ。とは言っても、生まれたら1度トウハ氏族に行ってくると良いだろう」
里帰りってやつかな?
孫を見せたら、タツミちゃんの両親もさぞ喜んでくれるに違いない。
とにかく、無事に生まれてくれることを祈るしかないんだよなぁ。
医療機関なんてこの辺りにはどこにもない。出産で命を落とす嫁さんもそれなりにいると聞いたこともあるし……、それを考えると不安になってくるんだが、その時が近づいてくるとさすがにねぇ……。
「俺達にできることは、準備を整えることだけだ。そんな心配そうな顔をするな。聖姿を背中に持つ夫の子供が生まれるんだからな。長老達が名前の候補を毎日考えていると聞いているぞ」
「名前よりは無事に生まれることが大事ですね。でも無事に生まれたら次の願望が出てきます」
「男なら銛の腕が上がってくれることを、女だったら料理が上手ってやつだな。まぁ、俺もそうだ。ミリアには手を焼くときもあるが、この頃はだいぶおとなしくなってきたぞ。夜釣りでも釣れた獲物を保冷庫に運んでくれるほどだ」
子供自慢が始まった。
ここは適当に相槌を打って聞いておくに限る。
エメルちゃんがココナッツ酒を俺達に渡してくれたから、食事はもう少し先になりそうだな。
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トーレさんが来てくれたから、タツミちゃんをカタマランに残しておいても安心できる。
桟橋作りと漁は俺とエメルちゃんで進められそうだ。
もっとも、俺がカタマランを操船する機会が無くなってしまったのは少し残念でもある。これを機に桟橋に横付けできるまでに技能を上げらるんじゃないかと思っていたからなぁ。
「全くガリムの嫁達はカタマランの軽快な走りを知らないにゃ。ひょっとして、魔道機関の出力レバーが2つまでしかないのかもしれないにゃ」
「それはないと思いますよ。新たな漁場ですからね。島の中間を航行していても、暗礁があるかもしれません。それだけ慎重に航海しているんだと思います」
「同じ暗礁に2度ぶつかるような嫁なら心配にゃ。でも1度なら問題ないにゃ」
過激なことを言ってるけど、それってトーレさんの操船時の心得なんだろうな。
ちょっと驚いた表情で話を聞いていたタツミちゃんには、真似をしないように後で言っておこう。
「この速度なら、十分夕暮れ前には漁場に着きますよ。サンゴの穴を探すぐらいはできそうです」
「今夜は夜釣りにゃ。タツミの竿を借りるにゃ」
それなりの漁果を作って、後でバゼルさんに自慢するのかな?
小母さんではあるけど、心は少女時代のままということなんだろうな。それがトーレさんを若く見せてくれるし、俺達の姉さんに思えてくるときもあるんだよね。
トーレさんと一緒だから、食事がいつもより美味しく感じるのは仕方がないことだろう。タツミちゃん達がカマルの炊き込みご飯を頂きながら何度も頷いているのは、この味を何とかして覚えようとの決意に違いない。
でも、ある程度の経験年数が必要に思えるんだよなぁ。
田舎のお祖母ちゃんの作る炊き込みご飯は、別次元の味だからね。
母さんが悔しそうな表情を浮かべているのを、笑みを浮かべてお祖母ちゃんが見てたのを今でも覚えている。
やはり、本で読んだり口で伝えたりというだけでは、あの味を再現することはできないに違いない。
トーレさん達にも似たところがあるからなぁ。
一度、カヌイのお婆さんの手料理を味わってみたくなる時がある。きっとシドラ氏族で一番の料理上手に違いないと思うんだよね。
「漁場がそれほど大きくないにゃ。とりあえず大きなサンゴの穴の縁にカタマランを停めたにゃ。後ろ半分がサンゴの穴に入っているはずにゃ」
「アンカーを入れたところでは3FMもありません。穴の水深は6YMを越えてますよ」
「きっと大きなバヌトスがいるにゃ。タモと棍棒は用意しておくにゃ」
バヌトスはカサゴの一種だからヒレに鋭い棘を持っている。
暴れると危ないから、甲板に引き上げたら棍棒で頭を殴って絶命させるのが流儀らしい。
タツミちゃん達が簡単そうにポカリとやってるんだけど、結構暴れているんだよね。
俺も何度かやってみたんだが、甲板を叩いてばかりだ。
簡単そうに見えて、それなりの奥が深いんだろうな。
すでに夕暮れの残照が終わり、周囲は真っ暗だ。
遠くに2つほどランタンの明りが見える。
夕暮れ前に見た西空には雲が無かったから、今夜は降らずに終わりそうだな。
お茶を飲み終えると、夜釣りが始まる。
3本の仕掛けがサンゴの穴に下ろされ、エメルちゃん達が竿を上下させて誘いを掛けている。
タツミちゃんは邪魔にならないように、屋形の入り口近くにベンチを移動させて様子を見てるようだ。
見てるだけでは面白くはないのだろうが、身重だからなぁ。
竿を握ったら、トーレさんが問答無用で止めるに違いない。
突然、竿が絞りこまれた。
強引に手首を返して合わせを取ると、竿先が海面に持っていかれる。
ドラグを緩めて強引に巻き上げ始めたが、巻き上げる量とドラグをギーギー鳴らして出ていく道糸の長さが同じぐらいに思える。
それでも、少しずつ引きが弱くなってきた。
後は強引の巻き上げるだけだ。たまに強い引きが伝わってくるけど、ドラグ付きの漁軸リールなら十分に対応が可能だ。
こちらの世界で作ったリールを使うなら、指でリールのドラグを抑えてブレーキを掛けることになるはずだ。
やり方はタツミちゃん達に教えてあるし、結構大きなブラドまで釣り上げてるんだよなぁ。俺より釣りが上手いのかもしれない。
「タモを頼む!」
「分かったにゃ!」
大声で返事をしてくれたのはトーレさんだった。
俺のすぐ横にタモ網を斜めに下ろしてくれたから、海面近くまで上がってきた獲物をタモに誘導する。
「エイ!」 と大声を上げたトーレさんが力づくで獲物を甲板に引き上げる。
獲物の種類も確かめずに、タモの中にいる獲物の頭に棍棒を振るった。
相変わらず良い音がするな。
本当にポカ! という感じに聞こえてくる。
「バッシェにゃ! こんなに大きなのは初めて見るにゃ」
獲物を両手で持って感心しながら、保冷庫にポイッと投げ込んでいる。
「トーレさん! こっちにも食いついた」
「待ってるにゃ! おお、かなり良い引きにゃ」
かなりというか、エメルちゃんが反対に釣られているように見えるほどだ。
釣竿の竿尻には、延縄で使っている組紐を結んであるから、竿が持っていかれることはない。その前にハリスが切られてしまうだろう。
とはいえ、3号糸のハリスだからなぁ。簡単に切られるとはない。1m近い魚でも、竿とリールを上手く使えば十分に耐えられるはずだ。
エメルちゃんの格闘を見ながら、ブラドを2匹ほど釣り上げた。40cm程だからタモ網を使わずに取り込める。
グンテを付けて保冷庫に投げ込んでおいたから、エメルちゃんの方が片付いたらトーレさんが捌いてくれるだろう。
「ナギサ! タモ網が使えないにゃ」
トーレさんの情けない声に、ギャフを取り出した。
取り込み位置をトーレさんと交代してギャフを沈める。
浮かんできた獲物を見て驚いた。どう見ても80cm前後に見える。
ギャフと魚体の位置を見極めて、一気にギャフを引き上げる。
バタバタと暴れる感触が腕に伝わる。そのまま甲板に引き上げると、先ほどと同じようにトーレさんの棍棒が獲物の頭に振るわれた。
今度は2回も叩いてる。それだけ暴れられると面倒だと思ったに違いない。
「大きいにゃ。次はもう少し小さくても良いにゃ」
半分とは言わないんだな。
エメルちゃんが嬉しそうに頷いている。
トーレさんが両手で曳きずるようして保冷庫に投げ込んだところで、一休みすることにした。
タツミちゃんがお茶を入れてくれる。
生臭い手を海水で洗って、お茶のカップを受け取った。
「明日の素潜りが期待できるにゃ。ここは良い漁場にゃ!」
あれだけ大きなバヌトスがいたからなぁ。ブラドもそれなりの大きさだ。
こちらの世界で作った水中銃を、久しぶりに使ってみようかな。
簡易に作ったから本式のものと比べると見劣りしてしまうけど、スピアは小指ほどの太さがあるし、銛先も1本物だ。
シドラ氏族の子供達が使っている銛先なんだが、結構使えるんだよなぁ。
銛先に太い道糸を3mほど結わえてあるから無くす恐れがないし、近くに別の漁師がいても、遠くまで飛んでいくこともない。
シンプルな銛よりも俺には合っているといつも思うんだが、数を出せないんだよねぇ。




