N-042 おめでた?
3日後にやってきた商船に真珠を売った代金は、穴開き銀貨85枚になったそうだ。
それと一緒に、待ちに待った物が出来たようだ。加工は俺達には無理で、商船のドワーフに頼んだのだが、銀貨3枚を取られたらしい。
「でも、これなら仕方ないにゃ。父さんのホラ貝よりも立派にゃ」
「吹き口は真鍮なんだ。上手く貝とくっ付けてるな。それに、貝を包んだ網も飾り紐で凝ってるぞ」
山伏が持っていたホラ貝のような感じだな。ふさふさがたくさん付いてるのも同じように見える。
後は吹き方なんだが、これはマウスピースと同じように吹けば良いんじゃないか? 唇を閉じてブブブと唇を震わせれば何とかなりそうだ。別に音階を作れというわけじゃないしね。
早速、ホラ貝を左手で押さえ、吹き口を口元に抑え込む。
確か、ブブブで良いんだよな……。
ボォボォボォ……?
もっと唇を結ぶのか?
プォプォプオォォ……。
少し近づいたような気がするぞ。そんな俺を見て、3人が笑い転げている。
隣の船からラディオスさんが顔を出してこっちを見て笑ってるぞ。笑いながらこっちの船にやって来た。
「出来たようだな。やはり最初は難しいと聞いたけど、カイトの音を聞いて安心したよ」
「エラルドさんみたいにはいかないもんだな。まあ、毎日吹いてればその内何とかなるんだろうけど……」
「だな。俺も受け取って来るか。何人かで吹いてれば心強いからな。何といっても、最初の音は酷いから、皆の笑いものになるんだ」
そう言って、嬉しそうに桟橋を走って行ったぞ。
まあ、確かに初めてのホラ貝デビューは皆の楽しみに違いない。音を聞いただけで笑えるんだからな。本人達は真剣に吹いてるのに、出て来る音がとんでもない音なんだから確かに笑える話だ。
しばらくは氏族の笑いものになるしかあるまい。これも一つの通過儀礼だと思わねば。
ブオォォ、プオォ、バオオォォ……。
やはり唇の加減が難しいな。ブラスバンドの女の子でさえトランペットが吹けるんだから簡単だと思ってたんだが、意外に難しいぞ。
やはりあの子達も苦労して音を出したんだろうな。そう簡単に吹けたら、誰でも一流の演奏者になれそうだしね。
「受け取って来たぞ。ついでに、ラスティも呼んで来た。小屋でホラ貝とにらめっこしてたからな。皆で練習するなら周囲の笑い声もきにならないだろうしね」
「息を吹いても、軽く抜けるだけだし、父さんに聞いても、唇を結んで吹けと言うだけだから困ってたんだ」
グラストさんも簡単に吹いてたからな。
問題は加減なんだと思う。唇を結んで吹き口に当てる。ここで唇を震わせながら息を吐くことになるんだろうが、音が安定しないし、吹くたびに音が高くなったり低くなったりするんだよな。
3人で頑張って音を出そうとしてるんだけど、結果は後ろでお腹を抱えて笑っている4人を見れば世間の評価が分かるって事だな。いつの間にかオリーさんまで一緒になって笑い声を上げていた。
「やってるな。石運びの連中が力が入らないと言ってたぞ。まあ、気にすることは無い」
グラストさんがやって来た。
ひょっとして俺達に吹き方を教えてくれるのか?
「何度もやっていれば気が付くはずだ。ホラ貝の音色は、ほら貝ごとに違うのだ。ホラ貝を持った手で感じてみろ。ホラ貝の本来の音が分かるぞ」
そんな事を言いながら、リーザが出したお茶を飲んでいる。パイプを取り出したところを見ると、しばらくは俺達のホラ貝の練習に聞き入るつもりなんだろうか?
まあ、外野は放っておいて練習を始めよう。
しばらく、色々試していると、おもしろい事に気が付いた。
特定の高さの音を出すと、貝が振動するのだ。貝を持った手にその振動が伝わる。これがグラストさんが言った、手で感じるって事なんじゃないか?
その音の高さを記憶して、その音が長く出せるように唇を結ぶ強さを加減する。
ブオォォォ……。エラルドさん達のホラ貝よりも低い音が、入り江の奥にまで届くようだ。
「やっと出たな。それがそのホラ貝の音だ。大きいだけあって俺達のホラ貝よりも音が低いな。それでいて遠くまで聞こえたようだ。畑の連中もこっちを見てるぞ」
「俺達も負けてられないな。だが、こればかりはな……」
確かに1回は出せたが、その日はそれ1回だけだった。
それでも、継続は力とはよく言ったものだ。3日もすると、かなりの頻度で思った音が出せるようになったぞ。
ラディオスさん達もコツを掴んだようで、中々良い音が出るようになった。
俺達は喜んでいるのだが、嫁さん連中はおもしろく無さそうだ。
散々俺達を見ながら笑っていたのだが、まともに音が出せるようになってきたのがおもしろくないらしい。
だけど、ホラ貝は動力船の間の連絡手段として笛よりも頻繁に使われるからな。ちゃんと出来ないと将来が不安になる。
エラルドさん達は、俺達の成果を喜んでくれているみたいだ。ちゃんと音が出るようになったら、もう少し高度な吹き方を教えてやると約束してくれた。
島の周辺でブラドを突きながら、俺達の石運びの順番を待つ。休んでばかりはいられないが、直ぐに順番が来そうだから遠くにも行く事が出来ない。
石運びをしながら次の漁を考えよう。
明日から石運びという事で、俺達はのんびりと動力船で過ごす。
双眼鏡で渚を眺めてみると、商船停泊用のの長い桟橋の西に新しく木組みが作られている。まだ10m程沖に伸びているだけだけど、どうやらあれが新しい桟橋らしい。
砂浜に積み上げた石の山がだいぶ少なくなっているから、すでに石積を始めたようだな。それとも、段々畑の擁壁を作ったんだろうか?
段々畑はすでに耕され始めているけど、双眼鏡で見る限りではまだ石積は始まっていない。杭に割り竹を編むようにして作った土留めが見えるだけだ。やはり桟橋の方を優先してるって事だろうな。
「カイトの手袋は変わってるにゃ」
「ああ、これね。軍手っていうんだ。太い綿の糸で編んであるんだよ。丈夫だから結構役立つんだ」
「ちょっと借りるにゃ!」
ライズがそう言って軍手の片方を持って桟橋を走って行った。商船はいないんだが……。ライズの向かった先は丸太小屋だった。あそこには夫に先立たれたご婦人達が暮らしてるんだったな。
「たぶん、編んでもらおうと思って行ったにゃ。この潜る時に履く靴も、あの手袋と同じように編んでガムを張り付けてものにゃ」
靴下の裏にゴムを塗った感じだったな。それでもちゃんと履けばサンゴの上に立てるんだから十分だと思う。
靴下が編めるなら軍手も編めるかも知れないな。少し痛んで来たから丁度良い。素潜りや、ちょっとした土木作業に使えるだろう。手釣りにも使えそうだな。
お茶を飲みながらサリーネが釣りをするのを見ていると、ライズが帰って来た。軍手をベンチの中に仕舞って、俺の前に座る。
「出来るって言ってたにゃ。5組作って貰う事にしたにゃ。銀貨1枚で交渉成立にゃ」
1つ20Dって事か。網から比べれば高価だけど、手編だからな。それ位になるかも知れない。
ふと、気になって靴下の値段を聞いてみた。1組15Dと言ってたから、軍手の方が高いって事になる。それだけ手間が掛かるのだろう。
サリーネのおかず釣りが終わったところで、ホラ貝の練習だ。この頃は変な音がかなり減ったからな。石運びを終えるころには、それなりに吹けるかも知れないぞ。
夕食は唐揚げだった。
俺の大好物だから嬉しくなる。明日からは、皆で浜で食事を取るから、しばらくはサリーネ達も食事の支度から解放される。それが嬉しくて少し凝った料理を作ったみたいだな。ご飯だって野生バナナの炊き込みだしね。
夕食が終わって、ランタンの灯りの下でワインを楽しんでいると、いつものメンバーが集まって来る。
明日からの石運びの相談だったのだが、今回はケルマさんが欠席らしい。
「どうやら身籠ったようだ。今回の石運びを終えたら父さんの船にしばらく厄介になろうと思ってる」
「おめでとうございます。いつごろ生まれるんですか?」
俺の質問に、嫁さん連中もバルテスさんに注意を向けたぞ。
「次の雨季が終わってからだろうな。まだお腹が大きいわけじゃないぞ」
これは、嫁さん連中と相談だな。やはり氏族の習わしがあるんだろうけど、贈り物位はしてあげたい。俺の事を弟のように面倒見てくれたからな。
「サディ姉さんも生まれるって言ってたにゃ。父さんがあの船を手放したのは少し早かったかも知れないにゃ」
サリーネの言葉に、今度はサリーネに皆の視線が移動した。
「姉さんから聞いてないぞ!」
「夕方、魚を届けに行って聞かされたにゃ。まだ母さんも知らないにゃ」
それは早く知らせた方が良くはないか? 吃驚するだろうけど、おめでたい事には違いない。
子供が生まれる時は実家に世話になるって事なのかな?
だとすると、エラルドさんも大変だぞ。場合によっては動力船1隻を子育て専用に桟橋に停泊するって事にもなりそうだ。
明日が早いから宴会を早々に切り上げて皆が帰っていく。バルテスさんがビーチェさんに知らせると言ってたけど、そうなるとエラルドさんはおじいちゃんになるって事だな。孫馬鹿にならなきゃ良いけどね。
・・・ ◇ ・・・
10日間の石運びを終えると、次の日はのんびり休むことになる。明日は漁の開始だ。先ずは近場でブラドを突き、夜は根魚を狙う。
銛を研ぎ、胴付仕掛けの釣り針も軽く研いで準備をしておく。
夕方はおかずを狙いながら、小魚を3枚おろしにして釣り餌の準備もしなければならない。重労働は昨日までだったが、こまごました仕事をキチンとこなしてこそ、明日の漁に繋げられるのだ。
サディさん、ケルマさんもまだしばらくは漁に付き合えるらしいが、無理は禁物だからな。
もうしばらくすれば、リードル漁が始まる。
それが終われば次のリードル漁まではエラルドさんの船で暮らすみたいだ。
小さな子供と一緒に漁をするのは大変だろうけど、次の世代を作る者達だから氏族が一緒になって世話をするんだろうな。




