N-038 トローリングには銛が必要
「本当に、銛だけで良かったのか?」
「ええ、曳釣りの道具は揃ってますし、もっと糸を出すには後ろの水車が邪魔ですからね。左右に2本流すのが基本です」
ラスティさんはラディオスさんの友人だ。俺の船にもよく遊びに来てるし、嫁さんのメリルーさんも気さくな人だからな。もっとも、ネコ族の人は皆気さくな性格だから、あまり家族と他人を分けて考えるようなことは無い。氏族全体が1つの家族と考えることも出来そうだ。
食料が無ければ融通してるし、複数の家族が一緒に食事をしてるのも良く見る光景だ。子供達は渚近くで遊んでいるけど、必ず年長の子供がザバンの練習をしながら見張っている。
長老数人を頂点に氏族が結束しているのだが、その運営に誰も文句を言わないようだ。
かなり自由に生活しているようだけど、他人に迷惑をかけることは無い。
かといって、何かを作るというような時には、皆で直ぐに役割分担を行って始めるからな。
人間よりもネコ族の方が優れた種族なんじゃないか? そんな思いがここでの暮らしを振り返るたびに強くなる。
現在の操船はメリルーさんとライズの2人だ。夕方からサリーネ達が交替するらしい。
船の速度は一定だし、舵輪はメリルーさんが握ってるから、ライズは他の船の様子を眺めたり、写した海図で現在位置を確認したりと忙しそうだ。俺達にもお茶を入れてくれたのはありがたかったが、ちゃんと兄貴に頑張っているところを見せたかったんじゃないかな?
「2YM(60cm)を超えるシーブルを釣り上げたら、昔は氏族中が賞賛してくれたと父さんが話てくれたよ。だが、俺達の漁は最低でも2YMなんだろう?」
「3YM(90cm)は欲しいところですけど、あまり大きくてもね」
「それ以上の魚も釣れるって事か? どうやるんだ」
そんなことから、大型魚を対象とするトローリングのやり方を話し始めた。
俺も暇だし、操船の2人も離れたところで俺の話を聞いているようだった。
「要するに、魚を釣るには魚に釣られないようにする工夫がいるって事か……。このギャフもその練習には良さそうだ。俺が漁師でいる間に、そんな漁をしてみたいものだな」
「これからの漁はその練習みたいなものです。少しずつ大型を釣れば、その内、1FM(3m)近い獲物も手に出来るかも知れません。糸、竿、リール、それに船ですら改良しなければならないでしょうが、直ぐと言うわけにはいきませんよ」
「まあ、カイトがそれを作ろうとするなら俺達は待ってるぞ。たぶんラディオス達もそう思ってるに違いないし、父さん達は残念だと酒を飲んでるんだよな」
そう言って、おもしろそうに笑い声を上げた。
確かにエラルドさん達の全盛時代は過ぎ去ろうとしているんだろうな。次の筆頭漁師が長老会議で選ばれるのも数年を待たないかもしれないな。
あくる日の夕暮れ近くに漁場に着いた。見覚えのある島が見えてきたぞ。
アンカーを下ろして曳釣りの準備を始めると、サリーネ達が食事の準備を始める。今までは船を走らせてきたし、数時間後には再び船を動かす事になる。
ちゃんとした食事は氏族の島に戻ってからになりそうだな。
食事が終わっても嫁さん連中は忙しそうだ。ご飯の残りを冷まして保冷庫に入れたり、新たに何かを蒸かし始めたようだ。
食事が不定期になりそうだからその準備ということなんだろう。簡単に食べられるような食べ物を考えないといけないな。
甲板の梁にランタンをぶら下げる。3個付けてるから、ラスティさん達がカンテラを1個持参してくれたようだ。
このカンテラももう少し灯りを強くしたいが、こればっかりは思いも付かないんだよな。僚船を見ると、同じように明かりが増えている。いよいよ曳釣りを始める時間が近付いて来たな。
リール竿を舷側の穴に差し込んで道糸を引き出して船から張り出す竿の洗濯ばさみを通しておく。先端のヨリ戻しに仕掛けを繋ぎ、釣り針に塩を振って保存しておいた小魚頭を差してヤシの葉から取った繊維でグルグル巻きにしておいた。
同じようにもう一つの用具を整える。これで、何時でも始められるぞ。
パイプを楽しみながら、周囲を見る。海面は風が出てきたから少し波立ってはいるが、凪と言っても良いくらいだ。東に下弦の月が出てきたから、深夜近くになってるんだろうな。
ブオォォ……。
ほら貝が2度鳴らされた。
急いで船首のアンカーを引き上げると、片手を上げてサリーネに終了を合図する。
サリーネが魔道機関のレバーを切り換えるガチンと言う音が聞こえると、水車が回り出し動力船がゆっくりと動き出した。
動力船同士の間隔が開いて行き、海上を進む速度が一定になる。
甲板の左右に竹竿を張り出して、仕掛けを左右に投げ入れた。ギャフとタモ網は小屋の柱に作った枠に差し込んであるからいつでも使用できる。
獲物をさばくのはリーザの役目らしいが、ダメならサリーネと交代することになっているらしい。
大きなナイフを用意して待ってるんだけど、まだ早いんじゃないかな?
「ラディオスから話は聞いてたが、なる程1人では難しそうだな。気の合った仲間がいないとダメだって事になりそうだ」
「さらに大きな獲物を釣ろうとすれば、最低でも数人は欲しいですよ。少しずつ大きな奴を相手にしましょう」
たぶん自転車よりも動力船の速度は遅いに違いないが、両側に張り出した竹竿はかなりしなっている。
もう少し丈夫な竹竿が欲しいな。場合によっては、張り合わせで作ってみるか……。
しばらくは当たりが無い。
俺とラスティさんはパイプを楽しみながらジッと竿を睨んでいる。
サリーネは舵輪を握って前方を眺めているし、リーザは他の船が気になるようだ。甲板の左右を行き来しながら状況を眺めている。
「父さん達の船で動きがあるにゃ! 何か釣れたのかも知れないにゃ」
「群れに近付いたのかも知れないな。そろそろ来るか……」
リーザが僚船の状況を次々と知らせてくれるのはありがたいんだが、これって俺達へのプレッシャーになるぞ。
もう良いよと言おうとした時、バチン! と洗濯ばさみから道糸が外れる音がした。右の舷側に駆け寄り、リール竿を抜くと大合わせをして針掛かりを確認する。途端に道糸が伸びていく、かなりの大物だぞ。手袋をした手でリールのドラムを抑えてブレーキを掛けた。
「サリーネ、速度を緩めてくれ。ラスティさん左の仕掛けを巻き取ってくれませんか。このままでは絡んでしまいます」
魚とのやり取りをしながら、大声で指示を出す。
相変わらず道糸が出て行くが、120mは巻いているからな。疲れるのを待つ余裕はある。
引きが弱まると、竿を上げては下ろす要領で道糸を巻き取る。
巻き取った糸が次の魚の引きで出て行ったしまう。そんなやり取りを続けていると、少しずつ手元に糸が巻き込まれていくのが自分でも分かって来た。
この間の魚よりも引きが強くて重い。かなりの大物なのは分かったがいったいなんだろうな?
格闘する事20分……。魚体が水面近くに上がって来た。
「っ! 3YM(90cm)を超えてるぞ。カイト、どうやって取り込むんだ?」
「左の軒下に大物用の銛があります。ラスティさん、打ち込んでください!」
大物用の銛は先端の銛先が外れて紐で柄に繋がっている。銛先は紐を引くことで回転するから外れることは無い。
「これだな。いつでも良いぞ!」
釣りで大型用の銛を打つなんて想像してなかったんだろう。ラスティさんの声は少し緊張して上ずっているぞ。
リーザが知らせたのだろう。小屋からライズとメリルーさんが顔を出して様子をうかがっているのがチラリと見えた。リーザは邪魔にならないようにベンチの左端に移動しているけど、そこは特等席なんじゃないか? 一段高くなってるし全体の様子が良く見えるはずだ。
道糸の先に付けたヨリ戻しが見えてきた。いよいよ取り込みに入るんだが……。
「リーザ、ギャフを持って小屋の屋根で待機してくれ。ラスティさんが銛を打ったら、俺もギャフを使う!」
「分かったにゃ!」
素早く俺の左手に移動してライズからギャフを受け取っている。
右手には銛を打ちこもうとラスティさんが大型の銛を掲げていた。
道糸を手繰り寄せ、今度は手で仕掛けを少しずつ引き寄せる。
船の速度は歩くよりもゆっくりだが、まるで大きな丸太を引き寄せてるような手ごたえを感じるぞ。
潜航板を手にしたから、この先5mに獲物がいることになる。
暴れて手を切れれないように、糸を握りながら手繰り寄せると、海面下から銀色の魚体が姿を現した。
「ハア!」と大声を上げてラスティさんが銛を打つ。途端に大暴れをする魚に糸を手放した。
ラスティさんが顔を赤くしながら銛の柄を掴んでいる。さすがトウハ族の男だ。狙い違わず銛は魚に刺さったようだな。
暴れれば銛先が回転して深く刺さる。これで逃げることは出来なくなったぞ。
やがて大暴れしていた魚体がおとなしくなって舷側近くに寄って来た。リーザからギャフを受け取り魚体の下から突き上げるようにして刺すと、ラスティさんと一緒に力を合わせて、どうにか甲板に引き上げることが出来た。
互いに笑みを浮かべた顔を見合わせるとハイタッチをして健闘をたたえ合う。
「どう見ても4YM(1.2m)はありそうだ。良くもまあ釣り上げられたと思うぞ」
「釣り上げると言うより、最後の仕上げが問題なんです。ラスティさんの銛の腕はやはり凄いですよ」
「褒めても何も出ないぞ。さて、一息入れて次に移ろうぜ」
取り込んだ魚は巨大なシーブルだった。俺も初めて見るような奴だけど、嫁さん達があっという間にさばいて保冷庫に入れてしまったぞ。大きくてもやることは同じって事なんだろうな。
俺達が再び左右に竿を張り出して仕掛けを流したところで、メリルーさんが割ったココナッツを渡してくれた。
ラスティさんにも渡してるけど、旦那の誇らしい姿を真近で見たから、嬉しそうな表情を見せている。
家の嫁さん連中は、次も大きな奴を釣れと俺にハッパを掛けてるのとは対照的だな。
とりあえず大物を手にしたから俺達は機嫌が良い。すでに東の空が明るくなってきてるんだけど、眠気なんか吹き飛んでるんだよな。




