M-169 雨期の終わりが狙い目らしい
氏族の島が見えてきたときは、俺達全員に笑みが浮かぶ。
だいぶ島を留守にしてたからねぇ。
昨日は一日中素潜りをしたから、トリマランの保冷庫にたくさんの魚が入ってるんだけど、それでも三分の一を超えることは無い。
とんでもなく保冷庫が大きいんだよな。あの保冷庫を満杯にするには大漁続きの漁を数日間続けなければならなんじゃないか?
入り江に入り、いつもの桟橋にゆっくりとトリマランを進める。
誰が漁に出ているかと、周囲の桟橋を眺めていると上の操船楼からマリンダちゃんが教えてくれた。
「父さんとバレットさんのカタマランがあるにゃ。兄さんと姉さん達もいるにゃ」
「雨期の漁は出漁日数が短いにゃ。氏族の半数の動力船がいるにゃ」
トリティさんが操船楼から顔を出して教えてくれた。
都合が良いということなのかな。今夜はトリマランで宴会は間違いないだろう。長老達への報告は明日でも問題なさそうだ。
いつもの桟橋に横付けしたところで、アンカーを下ろした。船首と船尾の2カ所をロープで桟橋の杭に結べば、俺の仕事がとりあえず終了する。
ナツミさん達が保冷庫から魚を取り出して商船に向かった。1日の漁だから4人が背負いカゴを担ぐと1回で運び終えるらしい。
アルティ達と甲板で遊んでいると、グリナスさんとラビナスがやって来た。
カマドのポットからお茶をカップに注いで2人に手渡すと、自分のカップを持って船尾のベンチに腰を下ろす。
「だいぶゆっくりしてきたな。それでどうだった?」
「一応、3つの氏族の島に行ってきましたよ。課題は色々あるようですけど、長老達と話し合うことができました」
「俺はナンタ氏族の島だけだからなぁ。トウハ氏族がかつて住んでいたオウミ氏族の東の島には是非とも行ってみたいと思ってたんだ」
「この島には劣りますけど、さすがに良い島です。それに魚も濃かったですよ」
うんうんと頷きながら、俺の話を聞いている。やはり他の氏族の漁は興味が尽きないようだ。
そんな話をしていると、出掛けて行った4人が帰ってきた。
背負いカゴを下ろして、子供達を連れて家形の中に入って行ったのは、トリティさん達の帰り支度をするのかな?
ナツミさん1人が出てくると、俺のところにココナッツとポットを運んできた。今から飲んだら明日は1日中寝てることになりそうだ。
ラビナスが俺に代わってココナッツを割っていると、桟橋からバレットさんとオルバスさんがやって来た。
トリマランの甲板にやって来ると、家形の扉近くに重ねてあるベンチを取り出して座り込む。
「帰って来たな。長老への報告は明日でも良いだろう。それでサイカは?」
「かなり問題です……」
トウハ氏族筆頭漁師だけあって、氏族の漁もさることながら他氏族の漁についてもきちんと考えてくれているのは嬉しい限りだ。
単なる飲兵衛親父だと思っていたこともあったけど、それなりの人格者なんだよな。
各氏族の状況を簡単に報告すると、オルバスさん達が頷き、グリナスさん達は目を見開く。
オルバスさん達には想定内の話しでも、グリナスさん達には厳しい状況と感じたのかもしれない。
「ありゃ? オルバス達もやって来たにゃ。結構おもしろかったにゃ。この船なら楽しめるにゃ」
「子供達も喜ぶにゃ。次のリードル漁は、この船に子供達を集めるにゃ」
トリティさん達がそんな話をしたところで、自分の荷物の入った背負いカゴを担いでトリマランを下りて行ったけど、最後に「また乗せてもらうにゃ!」と俺達に笑顔で言ってたんだよな。
そろそろ、氏族の若い嫁さん達の指導をする歳なんだと思うんだけどねぇ。
「いやに子供達を強調してましたね?」
ラビナスの疑問は、後で教えないといけないんだろうな。
「妻達には好評だったようだが、俺達は次の船を作ることは無いだろうな。あったとしても、若者の小さな船を譲ってもらうことになるだろう」
ちょっと寂しそうに、バレットさんがカップに酒を飲んでいる。オルバスさんも同じ思いなんだろう。頷きながらバレットさんのカップに酒を注いでいた。
「ところで質問なんですけど、バレットさんは背びれを海面に出して泳ぐ大きな魚を見たことはありますか?」
「ん? また突然だな。……え~とだな。あるぞ!」
「バレットも見たことがあるのか? だとしたら北東の海域だな」
「そうだ。オルバスも見たことがあるのか! かなり遠くではあるんだが、海図を持ってこい。大きな奴だぞ」
家形の中から、ナツミさんが飛び出してきた。
とことこと階段を上って操船楼から折りたたんだ海図を持ってくると、俺達の輪の中に広げて、俺の隣に座る。
「いるんですね! ということは、この辺りなんでしょうか?」
ナツミさんが指さした場所は、リードル漁をする島からかなり北の海域だった。
「そうだ。アオイ達の海図は俺達よりも部分的には詳しいな。なるほど、他の4つの氏族の島までの航路がきちんと書かれている。これなら使いをアオイ達にも頼めそうだ」
「俺が見たのは、この島の近くだったぞ。かなり深くて広い溝が東からこの辺りまで続いているらしい。……まさか、突くつもりか?」
オルバスさんの視線は俺達にではなくバレットさんに向けられていた。
互いに視線だけで言葉を交わしている。
器用に思ってしまうけど、自分達で突こうなんて考えていないだろうな?
「カタマランでは追い付かん。家形の上に乗ってしばらく追い掛けたんだが、銛を打つことなど考えもしなかった」
「出来るのか?」
「アオイ君の左腕を頼らせてもらいます。トリティさんとレミネィさんが手伝ってくれれば、その魚を追うこともできるでしょう。何と言っても……」
ナツミさんが、上の操船楼を指差した。
皆の視線が甲板から3mほど上にある操船楼に向けられる。
「高い場所から海面を見て、トウハ氏族で指折りの操船の腕を持つ嫁さん達を同行させるのか! オルバス、これは同行すべきだと俺は思うんだが?」
「アオイの手に負えなければ、俺達が突かねばなるまい。あの大きさだ、ガルナックを超えるぞ!」
「俺達も行きたいんですが?」
「今回は無理だな。次の機会にしろ。それまでに嫁さん達の操船技術を上げることも大切だぞ。だが……、トウハ氏族の3本指に入る嫁達だ。俺達で無理なら、次の機会はだいぶ先になるだろうな」
すでにバレットさん達はカジキ漁を思い浮かべているようだ。
それにひきかえ、グリナスさん達はがっかりした表情だな。今回だけで終わるとも限らないから、次に出掛ける時には誘ってあげよう。
相手が大きいから、俺達の家族だけでは漁にならないんだよな。
「それで、いつ出掛けるんだ? あいつを見たのは雨期の終り頃だったぞ」
「俺が見たのも、そんな時期だった。良い釣場を求めてあちこち出掛けていた時だったからな」
「そうすると、今は雨期の真ん中辺りになりますね。半月後辺りが適当じゃないかしら?」
「近場で2回は漁ができそうだな。銛を研がねばなるまい。あれを突くのは一瞬だからな」
「確かにこの船なら足が速い。ナツミはそれをアオイに突かせたくてこの船を作ったのか?」
「夫に期待してますから」
そんなことを言って、海図をしまい込むと家形に入って行った。
姿が消えるまでナツミさんの背中を皆で見守っていたんだが、姿が見えなくなったところで大きなため息を吐くと、バレットさんが俺の肩を軽く叩く。
「アオイにはもったいない嫁だな。バルタックを突けと焚きつける嫁はだいぶいるようだが、あのマーリルを突かせようと考える嫁は初めてだ」
カジキはマーリルと言うななんだ。なんとなくマーリンに似てるな。
バレットさんの言葉に苦笑いをしてカップの酒を飲む。
「そういうことなら、ナツミはマーリルを突く方法を知っているということになるぞ!」
気が付いたみたいだ。ここは正直に話しておこう。
グリナスさん達も興味を持ったのか俺に視線を向けている。
「俺達の暮らしていた世界ではカジキという魚なんですが、カジキを獲る方法がいくつかあるんです。1つは曳釣り、もう一つは銛ということなんだすが……」
説明が長くなっても、誰も途中で質問をしてこない。かなり興味を持ったようだが、海人さんの広めた曳釣りがカジキ漁をするための方法の1つと知って驚いているようだ。
「すると、俺達のカタマランでもマーリルを釣ることができるということか?」
「釣れると思いますよ。でも簡単に糸を切られてしまうでしょう。もっと丈夫な道糸と大きなリールが必要です。引き寄せられれば、頭を棍棒で殴ってギャフで引き上げられるでしょうが、1家族では無理だと思います」
とはいっても、カリブ海の老人は巨大なカジキと死闘を繰り返して船に獲物を括りつけて港に帰って来たんだよな。
丈夫な組紐を使えば、釣れないことも無いように思える。その辺りを実験するような漁師が欲しいところだ。
「やってみても良さそうですね。でもリールが使えないと、手で引くことになるんですか……」
「手に道糸を絡めると腕位は無くなりますよ。やる時には十分に注意してください」
「やる時には、何隻かで出掛けるんだぞ。ところで、お前等はマーリルの大きさはどれぐらいだと思ってるんだ?」
バレットさんの質問にグリナスさん達が顔を見合わせている。
しばらく2人が相談していたが、出した答えが6~8YM(1.8m~2.4m)ということだった。
「怪我じゃ済まねえかもしれんな。アオイ、教えてやれ!」
「小さくとも10YM(3m)、通常で15YM(4.5m)。さらに大きな奴もいるはずです」
俺の言葉を聞いて、グリナスさん達は声も出さずに口を大きく開けたままだった。
「そんな魚がいるんですか!」
「ああ、確かにいる。ガルナックは海底に潜む魚だが、マーリルは海面を泳ぐんだ。この近くにはいないし、カタマランが海面に近いからその泳ぐ姿を見る連中は限られているだろうな」
「だが、おもしろくなってきたな。アオイの腕を見るのもおもしろそうだが、奴の動きにナツミたちがどれだけ追従できるかも楽しみだ」
まったくだと言いながら美味そうにカップの酒を飲んでいると、トリティさん達が手カゴを持ってやって来た。
砂浜を歩いている2人はレミネィさん達かもしれないな。今夜はトリマランで宴会になりそうだ。




