M-058 もう1人の聖痕の保持者
雨期明けのリードル漁が終わると、いよいよ族長会議の準備が始まる。
トウハ氏族で行われることは今までなかったらしい。いつもならオウミ氏族の住む島で行われるとバレットさんが教えてくれた。
50人程が座れる大きな小屋は周囲に壁すらないものだ。6本の太い柱に支えられた大きな屋根だけの小屋だけど、床は板張りになっている。会議が終われば、雨期の子供達の遊び場になりそうだな。
太い柱には各柱ごとに色の付いた布が巻かれている。その色が各氏族を現すらしいのだが、トウハ氏族は何色なんだろう?
それに1本だけ全ての色の布が巻き付けられているのも、おもしろいところではある。
長い歴史を持ってるんだろうな。ある意味、伝統的な装飾になるんだろうけどね。
「各氏族が10人を出すみたい。その他は、あの小屋に登れないらしいわ。でも周囲で聞くことはできるらしいの。なんか、町の議会みたいね」
「ニライカナイの最高機関らしいよ。ここでの決め事は各氏族とも守らなくちゃならないとオルバスさんが言ってた」
トウハ氏族は長老達5人と、オルバスさん達3人に俺と中堅を加えた10人ということだが、俺は説明するだけじゃなかったか?
「トリティさんの話しだと、噂好きな女性達が見守ってるから、その日の夕方には状況が分かると言ってたわ」
「それだけ話題に飢えてるってことなんだろうね」
もう一つ気になるのは、ティーアさんがもうすぐ出産らしい。族長会議とどちらが早いかとグリナスさん達が騒いでたな。
「ティーアさんのお祝いは準備出来てるの?」
「ちゃんとカリンさんに聞いといたわ。布を1反でいいらしいわよ。でも、それにワインを1本付けることにしたわ」
余分に贈るのなら問題ないだろう。ワインなら、祝い客にも振舞えるはずだ。
「それで、簡単な地図と、話の要点をまとめてあればいいのよね?」
「上手く説明できれば良いんだけどね」
準備は整った。後は族長会議を待つだけになる。
数日間の日程で、素潜り漁に何度か出掛けたのだが、ある日漁から帰ってくると、たくさんの外輪船が入り江に停泊しているのが見えた。
「いよいよ始まるのかしら?」
「詳しくは日程を教えて貰ってなかったんだよな。だけど、オルバスさんも一緒の漁だったから、まだ始まってはいないんだろうけど」
やって来た動力船は桟橋を使わずに、入り江の一角を占領する形でアンカーを下ろしている。島への行き来はザバンと言うことになるんだろう。
いつもの場所にカタマランを停めると、直ぐにオルバスさんが俺を呼びよせた。
「まだ商船がやって来ないから、サイカ氏族が来ていない。商船がやって来た翌日に族長会議が始まるぞ。済まんがしばらくは漁を休んでくれ」
「それぐらいは構いませんが、それにしても壮観な長めですね」
俺の言葉に頷いている。少なくとも30隻以上の外輪船がやってきている。船で暮らしているから、島に泊まる場所が無くとも済むことが良いところではあるんだよな。
そんな外輪船の甲板から、ナツミさん達が背負って運んでいる漁果を眺めている。
自分達と比べているのかもしれないけど、ジッと腕を組んで俺を見てるぞ。このカタマランは塗装をしてるから目立つんだよな。
周囲の目を気にしないで、船尾のベンチで一服を楽しんでいると、ナツミさんが帰って来た。
他の氏族の御婦人方があちこち見学していると教えてくれた。道理で、砂浜にザバンが何艘も置いてあるわけだ。桟橋を使っても良さそうだが、そこは他氏族への遠慮があるんだろうな。
「3日間で117Dは、ちょっと少ない感じね。でも、低位の魔石の売り上げがたっぷりあるからだいじょうぶよ。次のリードル漁でトリマランを手に入れられるわ」
「金貨10枚を超えたってことかな? トリマランはナツミさんに任せたいけど、あまり変わった物を作ると奇異な人に見られるんじゃないかな」
「その辺りは考えてるからだいじょうぶよ」
そのだいじょうぶだというのが、何となく危険に思えてしまうんだよな。
これがナツミさんの本当の姿なんだろう。清楚なスポーツ好きな女性と思っていたのは俺達の幻影だったのかもしれない。
「この船にトウハ氏族の聖痕の持ち主がいると聞いたのだが?」
声は右舷に寄せてきたザバンの男からだった。オルバスさんよりも年上に思えるが、その引き締まった体はいまだに現役であることが分かる。
「俺がそうですが、貴方は?」
「ナンタ氏族のグリゴスと言う。ちょっと話をさせて貰って構わんか?」
「どうぞ、上がってください。お二人ご一緒に」
たぶん奥さんなんだろうな。トリティさんにちょっと似ている髪をしたおばさんがザバンを漕いでいた。
2人が甲板に上がった時、グリゴスさんの右腕を見て驚いてしまった。俺と同じく、聖痕が腕に埋まっている。
2人を船尾のベンチに座らせると、家形の中のナツミさんに、お客さんだと声を掛けた。
生憎と、お茶が沸いていないからココナッツを割ってジュースを取り、カップに入れて2人に渡す。ついでにタバコ盆も用意しておいた。
「グリゴスさんは聖痕の持ち主でしたか。本当なら俺が挨拶に行かねばならないのですが、申し訳ありません」
「トウハ氏族の聖痕の持ち主ならば、こちらから出向くのが筋だろう。いまだにカイト様の恩恵を我等ネコ族は受けているのだからな」
海人さんはそれほどまでに有名だったのか。改めて尊敬してしまう先輩だ。
カタマランに興味を持った奥さんを連れて、ナツミさんは操船楼に上がって行った。女性は女性同士が良いんだろうな。そんな互いの嫁さんの姿に、俺とグリゴスさんは苦笑いを浮かべた。
「族長会議の事でしょうか?」
「そうだ。できれば会議の主題をあらかじめ聞いておきたかったのだが……」
果たして、この場で話すべきなんだろうか?
それを行うことで、ナンタ氏族と裏取引をするような話になっても困ってしまう。
「教えてやれ。ナンタ氏族の聖痕の持ち主なら、お前と一緒で氏族はおろかネコ族全体も見据えている」
壁際に置いてあったベンチを持ってくると、ドカリと座り込んだのはオルバスさんだった。隣で聞いてて、やって来たんだろう。
「俺が散々世話になっているオルバスさんです。トウハ氏族の筆頭次席と言うところですか」
「ケネルがいたらもめるところだが、今はそれでいいだろう。オルバスだ」
ケネルさんも自称筆頭次席ということなんだな。いつまでもその関係が続くんだろうな。ある意味、羨ましくもある。
グリゴスさんが小さく頷いたのを見て、それではと概略を話して聞かせることにした。
「漁場を広げて対応すると? となれば、島への往復も問題になるのだが……」
「燻製にして運ぼうと計画しています。そのための船もどうにか目途を付けました」
2隻の外輪船を使って大きな甲板を持つカタマランとすることを話すと、大きく目を見開いている。やはり同じようなことを考えていたのだろう。
場所を特定してしまうと、元の木阿弥になってしまいそうなところがあるからね。
「移動する燻製小屋ということだな。それなら我等の方も上手く行きそうだ。南をサイカ氏族に譲れば、どうしても我等は南へと漁場を移さねばならん。そこで問題になるのが、魚を腐らせずに移動する手段だったのだ」
「やはりサイカ氏族が心配ですか?」
「100年ほど前の戦でかなりの痛手を受けてどうにか氏族を維持しているのだ。我等の為に犠牲となったことを忘れるわけにはいかんだろう」
それは聖痕の持ち主としての言葉なんだろうか? それともネコ族としての同族意識があるのだろうか?
会議が始まらないと、その辺りの判断に迷うところだな。
「凄い船にゃ! 魔道機関が4つも付いてるにゃ」
帰って来た奥さんが俺達に構わずに旦那さんに報告している。
ちょっと、場をわきまえない身内に溜息を吐き、俺達に頭を下げているのがおかしくもある。でも、俺はそんなネコ族の人達が大好きだから一向にかまわないんだけどね。
「魔道機関が4つ?」
「それはアオイの妻に問題があるのだろう。トウハ氏族一番の操船の腕前だ。その腕には通常の舵だけでは対応できぬらしい。船の方向を自由に変えるための工夫で2つ余分に付けたようだな」
オルバスさんの話しに驚きながらも頷いている。良い操船技能を持った女性はナンタ氏族でも垂涎の的らしい。
「それだけ工夫のできる人物ということなんだろう。漁の腕だけで聖痕を持つ自分を恥じ入るばかりだ」
「それは逆だと思います。俺はまだまだ漁の腕を磨く必要がありますからね」
聖痕の意味は、聞けば聞くほどに分からなくなってしまう。
氏族に豊漁をもたらす、漁の腕を上げる等と言われてるけど、本当は全く違うんじゃないかな?
その日の夕暮れ近く、大きな商船が入って来た。
サイカ氏族の持つ動力船はそれほど大きくはないらしい。10日以上の航海などできないから、商船を利用してやって来たのだろう。
明日は疲れを取ってあさってからになるんだろうな。
「アオイは族長会議に出られるんだろう。羨ましい限りだな」
「それなら筆頭を狙うんだな。筆頭、次席、それに次席に次ぐ3人は長老の供ができる。その他に2名なのだが、中堅からクジ引きだ。アオイが出るからかなり低い確率だぞ」
そんな形で選んでるんだ。発言は控えるようにオルバスさんから言われてるから、質問に答えるだけでいいだろう。どちらかと言えば退屈な会議になるんだろうな。
「ナンタ氏族の筆頭が訊ねてきたならアオイも一人前にゃ。レミネイ達に自慢できるにゃ」
そんなことで張り合わなくても良さそうなんだけど、トリティさん達は昔からそうやって仲間と遊んでたんだろうな。
ちょっとカリンさんが目を伏せているのは、とばっちりが飛んでこないとも限らないということになるのかな? 親達だけの話しなんだから、子供達は関係ないと思うんだけどね。
「それで、状況は説明できそうなのか?」
「自信を持って臨みます」
そうオルバスさんに答えたら、ワインを並々と注がれてしまった。
頑張れ! ということなんだろうけど、それなら言葉だけで十分なんだけどなぁ。




