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月の娘

作者: 杜野 玖真

月の娘


二つの世界にはそれぞれに月があった

平和のトランメル

戦乱のフェルッカ


二つはお互いの世界を照らし、その夜空をときにすれ違い、

ときに離れてその歩みを止めることはなかった


ある時 フェルッカは思った

なんと私が照らす世界は寒々しく命の無い世界なのだろう

木々は枯れ いくら照らしても夜の道を歩く人はなく

ただ 騎馬を駆り 殺しあう人々が在るのみ

怨嗟えんさの声響く愛の無い地

赤い月はむなしく 長きにわたりその地を照らし続けた


ある夜 フェルッカはトランメルの地から

月に乞い願う声を聞いた

それは日の昇る明け方まで続いた

次の日も またその次の日も

血の涙も流さんばかりに泣きながら


フェルッカは金の月に問う

かの娘はいったい何をそなたに願っているのだ、と


トランメルは答える

あれは身も心も捧げてもよいと思う好いた男がいるのだ

だが 男には別に想う者がいる

吾にそれは曲げられぬ

かの娘の願いより やらねばならぬことが多くあるから、と

涙も枯れ果てたとき 男への想いも枯れるであろう、と


赤の月は娘を哀れみ 金の月に告げる


多くの命を身の内に抱えるわが姉妹よ

わが世界には我に願うものは無い

ひとつの考えがあるゆえ

かの娘の願い 我が叶える よいな?


トランメルは姉妹の言葉を承知し

フェルッカは月の赤の鎧をまといて

その夜も乞い願う流浪の民の娘の前に降り立った

その尋常ならざる美しい武人姿に、娘は恐れおののきひれ伏した


そなたの願い 叶えてつかわす


その声は遠くから聞こえるようでありながら 凛と娘の耳に響いた


そなたの想い人は朝までにそなたの元へ来るであろう

なめらかな褐色の肌に黒檀の髪の麗しい男が


だがその引き換えに我は欲せん

そなたがいずれ成すであろう最初の子

取引をしてまで 男を手に入れたい心があるなら

子に心を向ける余裕はそなたに無いだろうから


その子が生まれいでたなら 我もこの冷たき鎧を脱ぎ

この胸に抱いて育てる そして我は愛を知るだろう

かならずや大切にすることを誓う


愚かな娘はそれでよい、と目を閉じ声無く答える

このあたしの蘆薈ろかいのごとく苦い思いが喜びに変わるなら、と


赤の麗人は娘の額に触れる

そして慰めるように亜麻色の髪をなで、姿を消した

娘はもう泣かなくとも ただ待つだけでよいことを知った


遠く天幕の内に一人眠る黒檀の男を月は見出す

フェルッカはつややかな額にひそやかに触れる

白き頭蓋の下 象牙色の脳に くっきりとかの娘の姿をしるしする


黒檀の男は跳ね起きた

あの娘 亜麻色とつややかな橄欖かんらんの肌の娘

あれほどの美しい娘 なにゆえ目に留まらなかったか

自らを愚かしいと思い込みながら

天幕から駆けいでた


娘は森の自分の天幕に戻り ランプを吊るす

目じりに墨をさし まぶたに銀粉をはたいた

唇は艶紅を そして亜麻でみずから織り上げた金の月色の被衣をまとう


夜が白々と明けるころ

息を切らせ黒檀の髪の男が 娘の天幕に駆け込んだ

そして婚礼を挙げた


二つの月が 幾度も欠け満ちたころ

かつて娘だった女が 夜明け後に赤子を産み落とした


肌は真珠のごとき白

まだやわい頭に生える産毛は燃え立つ赤

見開く目蓋から現れた瞳は金


見まごう事なき月の血族

フェルッカの一人娘であった

赤き月は女の中にもまた 己が姿を刻んだのだ

月の影を くっきりと  


これには流浪の民の女も 橄欖かんらんが熟すがごとく青ざめた

あの夜のことは夢まぼろしと思い込んで

今日まで心から押しやっていたことだった


夫が産褥の床を見舞いにきて 眠る赤子を一目見た

どす黒い怒りに満ちた顔で妻をにら


よくもたばかったな このあばずれ!


名誉をおとしめられた夫は 長きナイフを妻に突き立てた

それは女の最後の吐息が尽きるまで続けられた


彼は亜麻の被衣で月の赤子をくるみ

朝露残る森の厚い苔の上に置き捨てた

そして妻の遺骸が仲間に見つかる前に姿をくらませた 永遠に


月の娘はどうなったのか

人に拾われ ごく平凡な娘として一生を終えたとも

妖精に拾われ 茸の輪の彼方で面白おかしく過ごしているとも

また単に森の獣に 慈悲無く餌食にされたとも

すべてが正しく また違うとも

今となってはわからぬこと



フェルッカはいまだに空をさまよい

二つの世界の大地をくまなく照らして

わが子を探しているという




Fin

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