骨姫
昔々、西の果ての王国に、それはそれは美しいお姫様が誕生しました。
亜麻色の髪に輝く翡翠の瞳を持ったお姫様。純白のおくるみに包まれた小さなお姫様は、白い頬を林檎色に染めて、無邪気な笑みをうかべました。その微笑みの、なんと愛らしいこと。その存在は、まさに天使そのものでした。
彼女の笑みは万民を魅了し、その存在は王と后だけではなく国の希望となり、お姫様は祝福とともに、『光』を意味する名前を授けられました。
しかし、彼女には生まれつき、人とは違うお姫様でした。
成長するうちに、その『特異性』は人々の顔から笑みを奪い、恐怖と嫌悪に顔を引きつらせました。たった一つの『特別』を持って生まれたお姫様。彼女はやがて『光の名前』を呼ばれることもなくなり、人々から『骨姫』と呼ばれるようになりました。
そして『骨姫』と呼ばれた赤子は、父王からも生みの母からもひどく疎まれ、日の光を見ることも許されず、わずか一歳にして城の奥深くに幽閉されてしまったのです。
可哀想なお姫様。
彼女は第一王女様でしたが、姫は姫でも、彼女は『骨姫』。そうして幽閉されたまま、父王からも生みの母からも忘れられ、あっという間に十六年。彼女は年頃の十七歳になりました。
*
さて、丁度そのころ、王国では隣国との戦争が終わり、和平の証として、かの国へ姫を一人嫁がせることとなりました。
そこで、王様の困ったこと。愛しんで育てた可愛い可愛い姫たちを、つい先日まで戦争をしていた隣国に嫁になどやりたくないのです。何しろそれは体のいい人質にすぎません。使者すら何人も殺してきた蛮国のこと。もし嫁がせた姫が気に入らなければ、可愛い可愛いお姫様は無残に殺されてしまうことでしょう。
どの姫を嫁にやるべきか。
可愛い姫たちの顔を一人ひとり思い出しながら、三日三晩悩んだ王様は、四日目にしてようやく十六年間すっかり忘れていた『骨姫』のことを思い出しました。
「そうだ、あの『骨姫』を隣国に差し出せばいい」
彼女ならば、隣国の犠牲になろうとも痛くも痒くもありません。その上、厄介払いができるのですから、一石二鳥。王様は自らが考えた『名案』に大いに喜んで、『骨姫』を隣国に差し出すことにしました
*
はてさて。時間は飛びに飛んで、結婚式当日。
その日。隣国の王子様は、とても憂鬱でした。
和平のためとはいえ、敵国のお姫様と結婚しなければならないのです。
政略結婚は王族の勤め。もちろん、王子様も例に漏れず、幼少のみぎりからその覚悟はしていました。しかし、問題は相手のお姫様。
婚姻の儀にも姿を見せなかった花嫁は、ヴェールに包まれたまま――結婚当日の今となっても得体がしれませんでした。間者を使って探らせても、姫の『名前』さえも明らかになりません。体裁を取り繕うようにかの国から送られてきた肖像画も――画家にいくら握らせたのか――あまりに整いすぎて人間とは思えません。肖像画というよりも、これでは宗教画。とても姫本来の姿とは思えませんでした。
(本当に、あの国は……人を馬鹿にしているとしか思えぬ国だ)
王子は鬱々と、頭をおさえました。
そもそも、かの国は何かにつけてこちらを『蛮国』と蔑んで、対等に話をしようとさえもしませんでした。使者すら成り立たず、あちらの一方的な言いがかりから始まった『戦争』も蓋を開けてみれば、こちらを舐めてかかった挙句の自滅です。『和平』という体裁を取り繕ってやってようやく、かの国は敗戦を認めぬまま休戦しました。
この婚姻の本来の意味さえも、理解していないのかもしれません。
(まあ、それはいい。交渉は今なお、父上が血圧と戦いながらこなしている。それよりも)
王子は両手を額の上で組んで顔を伏せました。
そう。
それよりも、重要なこと。王子様を陰鬱とさせている原因は。
(どんな豚が、花嫁としてくるかだ…………!!)
そもそも、王子が休戦の会合の際に垣間見た姫たちは皆、なんというか、こう、控えめにいわなくても、その、大変大切にされて……ふくよかというか……ああ、もう! デブでした。
かの国の姫はどの娘も肥え太り、醜く膨らみ、どれも二重顎。いえ三重顎といってもいいかもしれません。大切に大切に育てられたとはいえ、あれでは可哀想に。とても嫁ぎ先で愛されることはないでしょう。
かという王子様は、姫君たちとは真逆のスリムな女性が好みでした。スリム――いいえ、むしろ骨が浮いてるくらいがベスト。あばら大好き。やせすぎ? だが、それがいいのです。つまりは、敵国のお姫様たちは、とてもとても王子様の趣味ではないのでした。
式の衣装に着替えつつ、ため息一つ。
ドーランを塗られつつ、ため息二つ。
準備が整って、お気に入りの椅子に腰掛けても、ため息は再三。
お姫様たちの丸々とした体つきを思い出して、今後の結婚生活を思い浮かべては繰り返し大きなため息をもらす王子様。その頭をかすめたのは、寝台で花嫁に潰されて圧死する己の姿でした。
(無念だ……!!)
果ては悔し泣きまではじめた王子の下に、やがて、花嫁到着の無慈悲な一報がもたらされました。
王子様は、本当に結婚が嫌でした。
嫌だったはずです。
心の底から。
『骨姫』が、馬車から降りたつまでは。
*
馬車から降り立ったのは、まるで日の光を一度も浴びたことがないような真っ白い肌の、がりがりにやせた――やせすぎて男か女かも不明な――お姫様でした。
その様は本当に、骨と皮。降り立ったとき、王子に向かって微笑んだように見えましたが、頭蓋骨に皮がくっついたその様は異様。正直表情などわかりません。普通の人間なら正視にたえかねます。現に、青ざめた使用人たちは誰も彼も下を見て、少しでもお姫様を見ないように心がけています。
ただ、そんな中にただ一人。お姫様をじっと凝視したまま、立ちすくむ人物がいました。
王子様です。
王子様は呆けたように、お姫様を見つめていました。手を差し出そうと中途半端に手をあげたまま、石のように固まってしまったのです。
しかし一方で困ってしまったのは、エスコートされるはずのお姫様。彼女はふらりふらりと今にも倒れそうなほどに青ざめていました。何しろ母国を旅立ってからほとんど何も口にしていなかったのです。長い空腹な馬車生活と、美しくも重い純白の花嫁衣裳で彼女は今にも倒れてしまいそうでした。
早く手を取って崩れ落ちそうな体を支えてほしいというのに、目の前の王子様は凝固したまま。お姫様は見慣れぬ土地で、泣きだしたくなりました。
そんな止まった時間を、動かしたのは――
ぐうとなったお腹の音。
骨姫は赤に染まった頬を両手で包みこむと、微かに笑って言いました。
「おなか、空きました」
真っ赤に染まった頭蓋骨に王子様は心底惚れてしまったのです。
それは世界で一番最悪な――一目ぼれでした。
*
二人のために国を挙げて催された披露宴はひどく華やかなものとなりました。
国中の貴族という貴族、富裕層が集められ、煌びやかなホールを彩るのは国中から集められた花という花。名器によって奏でられる旋律は繊細でいて優雅に、二人の門出を祝福していました。
しかし、それを前にする主役の片割れは、よりにもよって『骨』の姫。
王や后、諸侯たちは、主役の座に腰掛ける、骨と皮の姫を見つめて青ざめていました。末席の兵士たちなど、敬愛する王子の花嫁として隣国から『化け物』が差し出されたことに憤慨して、今にも剣をぬこうとしていました。震える手を互いに押さえあって、何とか耐えている様子です。
もっとも、王と王妃。そして、王子の弟王子、妹姫たちが青ざめたのは、『骨姫』の容貌に恐れをいだいたためではありません。
彼ら――王子の家族たちが青ざめたのは、嫌というほど、王子の『性癖』を知っていたためです。彼らは心底げんなりしながら、花婿衣装に身を包んだ王子を見つめて思いました。
((((あいつ、心底幸せそうだ……!!))))
そんな彼らの視線に気づかない王子様。彼は頬を高潮させて、『骨姫』の鶏がらのような指先に頬ずりしていました。突き刺さりそうな指先にそれはもう夢中で、家族の呆れ果てた視線には気づけません。残念な王子様にとっては、この婚姻は、最高の結婚となったのです。
しかし一方で。今にも死にそうな『骨姫』は、青ざめて震えるばかりで王子に見向きもしません。彼女のおなかの虫は、ごろりごろりと勢いを増して、その存在を主張していました。
そこで、王子様。だらしなく緩めていた顔をキリッと整えて、ぱんと手を叩きました。
それを合図に、引きつった笑みを浮かべた使用人たちが、両手に料理を掲げて踊るように現れました。やせ細った、というよりも、餓死寸前の花嫁のために、彼らは姫の目の前に食事を並べました。並べられたのは、どれも湯気漂う温かな一品。食欲そそる香りが漂う中、丁寧に飾り付けられた料理たちは芸術の域に達していました。
しかし、並べられた馳走の山の中、姫が手をつけたのは小鳥が啄むよりも少ないわずかな野菜のみ。肉や魚にいたっては、においを嗅いだだけで顔を青くさせ、口元を押さえてしまいました。
愛おしい姫君が、えずき苦しむさまを見て、王子様は眉を寄せて言いました。
「姫、姫。わたしの可愛い花嫁よ。どうか、その可憐な唇を開いて、少しでいい。太らなくていい。いいや、太っては駄目だから、その、死なない程度に、わたしのために最低限だけ口にしてくれないかい?」
顔がいいから、ましに見えますが、この王子、大変残念です。
「…………」
しかし、そんな下種の言葉に、骨姫は顔をあげました。
彼女は王子の口にした言葉の意味をほとんど理解していないようで、首をかしげて戸惑っていました。緑色の無垢な瞳は、鏡のように、王子の間抜け顔を映します。
「………………の」
「なんだい、姫よ」
彼女は戸惑いを飲み込んで、小さな、本当に小さな声で、王子に尋ねました。
それは天使のさえずりよりも、軽やかな甘い声。
その言葉が、もしも王子以外のものに聞こえていたならば――たとえば、王やお后様。諸侯に、新米兵士といった『正常』な人間に届いていたのなら――あるいは、その後の『骨姫』の行く末は違ったものとなったでしょう。
しかし、その言葉は、ただ一人。『姫を愛する』王子の耳にだけ届きました。
「どうしてこんなにご馳走があるのに、人肉はないんですの?」
王子は目を見開きました。
父王と生みの母に忌み嫌われた『骨姫』。
がりがりにやせ細り、満足な食事も与えられていなかった可哀想な『骨姫』。
そう、彼女は人間の肉しか食べないお姫様だったのです。
*
華やかなパーティから場所を変え、初夜の寝室へと移った二人の目前には、ひどくふさわしくないものが置かれていました。それは夕食をほとんど口にしなかった骨姫のために急遽『内密に』あつらえられた、『夜食』でした。
それを一心不乱に口にしながら、骨姫はぽつりぽつりと自分の身の上を語り始めました。
「生後八ヶ月のときに、乳母の乳首を噛み切りまして」
あれは美味しかった。その口上からから始まった話は、普通の人間ならばすぐに耳をふさいでしまうような話。しかし、愛しいお姫様は照れたように顔を赤くして、自分の『好きな食べ物』の話を続けました。
「今までは、死罪人のお肉を食べていたんですけれど、どれも硬くすえた臭いがして――とてもまずくて。それでも、二日に一度しか口にできなかったから、我慢して食べていたんです。でも誕生日の日には、子供のお肉が食べられたから、一年に一度のその日がどんなに待ち遠しかったことか」
くすくすと笑う頭蓋骨は、一心不乱に肉を貪ります。急遽あつらえられた『それ』は、使用人の少女のものでした。つい先ほどまで、生きていたはずのそれは今や骨姫の腹の中。
それを、おぞましいと感じることが出来たなら、どんなに良かったか。
しかし愚かな王子様。彼はもうそのときには、肉をつかむ細い骨の指から、頭蓋骨に皮が張り付いた顔から、折れそうな凹凸のない肢体から、目を離すことができなくなっていました。
「ねえ、王子様。私たち結婚するんですって。不思議……ついこの前まで、冷たくて暗い部屋に閉じ込められていたのに……ねえ、王子様」
残念な、王子様。彼は血肉をむさぼる化け物に心を囚われて、もう目をそらすことさえもできません。
ちろりと小さな舌が蠱惑的に唇を舐めて、
「私、子供のお肉よりも、もっとずっと……何よりも食べたかったお肉があるんです」
上目遣いに、お姫様は王子様に『おねだり』をしました。
「私、お父様のお肉が食べたい」
視線の先で、彼女は両手を合わせて首をかしげてみせます。
そのしぐさの何と愛らしいこと。
王子はもう、決まりきった『答え』を口にすることも面倒になって、ただ彼女を見つめました。もう、彼女のこと以外何も考えたくないのです。この陶酔に浸り続けたいのです。
そんな王子の目の先には、彼女の鶏がらのような指先がありました。嘆願するために重ねられたそれは、血にぬれててらてらと光っていました。その指先に口付けて、舌を這わせた王子様。彼は骨姫の指先に滴る人間の血液を舐めて、自分が底知れぬ闇の中に落ちていくのを感じながら――笑いました。
*
恋とは、愛とは哀れなもの。やがて王子様は自ら剣を取り、隣国――骨姫の生国――を赤く染めました。戦場から届く血肉は骨姫を潤し、そのたびに骨姫はうれしそうに微笑みます。
『おいしいですか?』
『はい……とっても』
くすり。
照れたように笑うお姫様は、もう頭蓋骨とは言えぬ程に肉がつき、王子様以外の人間から見ても大層美しいお姫様になっていました。
しかし、彼女は骨姫。
人の血肉をすすり、骨の一本まで味わいつくす人食い姫です。
王子様は骸骨でなくなろうと、既に姫をこの上なく愛してしまっていましたので、彼は愛する人を満たす、そのためだけに剣を振るい続けました。
そして、その三ヵ月後――王子様は骨姫に至高の晩餐を。
彼女は喜んで、ナイフとフォークを手に取りました。
ああ、哀れなるかな、国王様。邪魔な骨姫を隣国に嫁がせたばかりに、国は滅び、愛しい娘たちは死に絶え、自らは骨姫に食われてしまったのです。
めでたし。めでたし。