表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
炎―かぎろひ―  作者: 紗夏
第一章 葬送の笛
8/51

断ち切れぬ絆

「片岡様がいらっしゃいません」

 翌朝、侍女の悲壮な叫びが屋敷中に響き渡り、山背王は飛び起きた。

朝、いつもの時間に侍女が起こしに行ったら、既に姿がなかったという。


 そこからは大変だった。片岡の兄である自分の処にも、入れ替わり立ち代り人がやってきて、彼女の居場所の心当たりを尋ねられ、一緒になって探し回り、気付けば、朝餉もまだ食べていない。

 しかし、誰もそんなことは気にかけていない様子だった。


(こりゃ、屋敷にはいないな)

 山背はあきらめたようにため息をついて、自室に戻り、板張りの床に大の字に寝転がった。

 既に、片岡捜索は一刻も続いている。祖父の館は飛鳥でも一、二を争う広い屋敷だが、使用人全員で探しているのに、見つからぬわけがない。

 神隠しだ、賊だと、皆慌てているが、絶対そんなはずはない。片岡は自ら姿を消したに決まっている。

 宮を移る、当日の朝に姿をくらませるなんて、無言のそして、何よりの抵抗だ。

 ただ、消えた先は何処なのか、見当がつかない。

(あいつなら、知ってるかもしれないな)

 片岡と仲良しの従兄弟の顔を思い浮かべた瞬間だった。

「何かあったの? 屋敷中、バタバタしてるけど」

 耳慣れた声に、山背は上体を起こした。まるで自分の家のように、遠慮のない態度で立ってる男の名を呼ぶ。

「入鹿っ。ちょうど良かった。お前に聞きたいことがある。片岡がいなくなった」

「いなくなったって、何処に…?」

 入鹿の表情が険しくなった。

「それがわかったら、苦労してないさ。お前、何処か心当たりないか」

そうたずねた時には、入鹿はもう一目散に廊下を駆け出していた。

「おい、何処行くんだ」

背中に受けた問いかけに、彼は振り向きもせずに答えた。

「あまかしのおか~」

「待てよ」

 山背は、入鹿の勢いを削ぐように言った。

「何?」

「何故そこだと確信が持てる?お前が呼び出したのか?」

「違うけど、よく二人で遊んだ場所だから。それに、あの丘からは、飛鳥が一望に出来る。ここを離れる片岡なら、きっとあの景色をもう一度見たいはず」

 アマカシノオカ

 山背は、初めて聞いた名だ。

「行って…どうする積もりだ」

「ここに連れてくればいいんでしょ?」

「片岡が、何故斑鳩に行きたくない、と言ってるかわかるか? お前と離れたくないからだろ?」

 言いたくなかった、こんなこと。

 まだ13才。従兄弟同士の幼馴染みの恋なんて、遊び相手を欲しがっているだけ。離れれば忘れる…。

そう高を括って、見て見ぬ振りを決め込む積もりだった。父も祖父も同じだろう。

けれど。

 迷惑をかけることも、混乱を招くことも承知の上で、片岡は最後に入鹿に会いたいと望んでる。

こんな子どもじみたやり方でしか、表現出来ないとしても、幼いなりの恋なんだと。片岡の覚悟と真情は汲んでやりたかった。

 それが兄として、妹の気持ちを代弁する、先程の言葉になって表れたのだ。

追いついた入鹿の両肩を、強引に反転させて、自分の方に向き直らせる。綺麗な瞳に鏡写しにされた自分の姿が揺れていて、山背は自分の言動を即座に悔やんだ。

(しまった、追い詰めすぎた)

「俺だって、同じだよ! けど、…今はどうにもなんないだろ」

 泣き出しそうな声で、吐き捨てると、入鹿は自分の腕を掴んだ山背の手を振り払った。

「心配しなくても、片岡を傷つけず、当たり障りのない別れの挨拶して、ちゃんと連れてくるよ」

「そういうつもりじゃ…」

 すまなかった、などと謝ったりしたら、余計この少年は傷つくのだろう。

お互い想い合っているのをわかっていながら、何も出来ずに、別離を強いられることに、自分の非力さを感じて、辛かっただろう。

 それでも、自分の気持ちは封印して、見送るつもりでいたのに、入鹿が必死に閉じ込めた想いを、山背は無理やりこじ開けてしまった。

「…俺も行く」

「いい、来るな」

 言葉以上に拒絶している入鹿の背中を、山背は黙って見送った。



 入鹿の予想は当たっていて、程なくして、入鹿と、入鹿に手をひかれた片岡が戻ってきた。

 一言も言葉を交わすことなく、屋敷の門をくぐる前に、繋いだ手はどちらからともなく、そっと離れた。

 片岡は家中の者たちの出迎えを受けた。無事で良かった、と安堵する者がほとんどで、祖父の馬子でさえ、そうだったから、叱責を受けない代わりに、家出までした彼女の覚悟もうやむやにされてしまいそうだった。

「助かった、礼を言うよ」

 片岡を連れて、屋形の中に次々に入っていく人並みに逆らうように、外に向かってとぼとぼ歩いてきた入鹿の肩にぽんと手を置いた。

「満足した?」

 入鹿は、皮肉な笑いを口元に浮かべる。

 しかし、虚勢を張っていられたのは、そこまでで、彼は両肘で顔を覆うようにして、その場にしゃがみこんだ。

「…悔しい」

 誰に向けるでもなく、呟いた言葉が、山背の耳を捉えた。

 淡々と飄々として、滅多に感情を出さない入鹿が、まるでお気に入りの玩具を奪われた子どものように、小さく見えた。

「また、逢えるさ」

 山背は一緒になってしゃがみこむと、入鹿の背中をポンポンと叩いた。

「…絶対取り返す。あれは俺のだから」

 子どもっぽい台詞と、裏腹な狂気じみた執着に、ぞっとなって小さな背中に置いてた手を、反射的に引っ込めていた。




◇◇◇



 爾来5年。山背と入鹿と片岡が顔を合わせることなく、過ごしてきた年月――。

 彼の名など、出さなくなった妹。行きずりの女との恋の噂が絶えぬ男。あの恋は終わったのだと、山背なりに見切りをつけていたのに――。


もがりに…入鹿は来ると思いますか?』


 山背とて知りうるはずのない事柄を、口に出さずにはいられない程、奴に会う機会を待ちわびていたのか?

 山背の知らぬ間に、またふたりだけの秘密の逢瀬の場でも作られたんじゃないか。逃げこむ先を、片岡が甘樫の丘と定めたように。入鹿だけがすぐに悟ったように。

 山背の背中を冷たい戦慄が走った。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ