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炎―かぎろひ―  作者: 紗夏
第一章 葬送の笛
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幼い恋

(やはり、忘れていなかったか)

 久しぶりに、片岡の口から聞いた名に、山背は内心舌打ちした。

「逢いたいのか?」

 思わず、訊いていた。

 山背の勢いに、片岡は顔を赤らめて、返事もせずに、立ち去った。

 ずっと誰にも言わずに秘めていた思いを、ポロリと口にしてしまったことで、見透かされたのが恥ずかしかったのであろう。

「逢いたいに決まっているか…」

 訊かずもがなの質問をしてしまったことを悔いながら、山背は呟いた。


 山背の脳裏に、美貌の従兄弟の顔が浮かぶ。

 彼自身もしばらく逢っていないが、それでも印象は鮮明だった。



◇◇◇


――5年前。蘇我馬子の屋敷




「山背、時間ある?」

 ひょっこり顔を出した、従兄弟に会うのは、3日ぶりだった。

 山背王は、読みかけの書物を閉じ、大袈裟にため息をついた。

 細いややつりあがった眼と、鋭い眉、滅多に崩さない相好が、周囲にとっつきにくい神経質な印象を与えている。

「入鹿、お前な。いつも言っているだろう。私は年上の、それも王家の人間だぞ。呼び捨てにするなんて、10年早い」

 かなり厳しい口調で言ったつもりだが、入鹿と呼ばれた少年は堪えている風ではない。わかってる、わかってる、と2つ返事で、にこにこ笑っている。

 この調子だと、次に会うときも、また同じ事を言うハメになりそうだ。

 彼の名は、蘇我大郎鞍作入鹿。この館の主、馬子の直系の孫になる。年は13。背が高いせいか、年齢よりは大人びて見える。

 色白の肌に、長い睫毛。切れ長の涼しげな瞳。“無駄に”綺麗な少年だ。

 ここ嶋の屋形の主、蘇我馬子の孫という点では、山背と同じだ。

 しかし、山背王の父は、厩戸王子。入鹿の父は、蘇我毛人。年齢も、山背王の方が、6つも上で、格も年も比較にならない。

重々承知でいながら、この従兄弟は山背に対して、馴れ馴れしいぞんざいな態度を改めない。

「それよりも、これからおじい様が、海柘榴市(つばいち)に連れてってくれるって。山背も行く?」

 それよりも、だし。呼び捨て直してないし。人の話なんか右から左らしい。

「市って、何しに行くんだよ」

 山背は、不機嫌に低い声で聞いた。

海柘榴市つばいちは、三輪山の麓にある物々交換などが行われる市場だ。

「駒。東国から、馬の行商が来るんだって」

 山背の仏頂面なんて、お構いもなしに、入鹿はキラキラ瞳を輝かせながら答えた。

「お前、1人で乗れるようになったのか」

「大分。だから、自分用の馬を買ってもらうんだ」

「ふーん」

 じじバカのあの大臣のことだから、きっと一番毛並みの良い、駿馬を買い与えるのだろう。この、やっと手綱をひいてる、危なっかしげな乗り手のために。

「俺は行かない」

 山背は、短く言うと、また先ほどの書物に目を落とした。

「どうしてっ」

「愛馬はもういるし、興味ない」

「つまんないの。一緒に、見たててもらおうと思ったのに」

 入鹿は不満そうに、唇を尖らせた。

 自分より年若の下手な騎手が、自分の馬より、いい馬を手に入れるとこなんて、立会いたくもない。

「入鹿?」

 行こう。行かない、の押し問答をしているうちに、1人の少女が山背の部屋にやってきた。

 山背の末の妹、片岡王女だ。豊かな黒髪。勝気そうな黒目がちの瞳。色白の肌。兄の欲目を差し引いても、かなりの美少女だ。

 入鹿とは同じ年のせいか仲がいい。

「片岡」

 少女の顔を見た途端、入鹿の表情がぱっと明るくなる。

「入鹿。おじい様が、支度出来たから、行こう、って」

驚いたことに、大臣自らお出ましになるらしい。

「わかった」と頷いて、当たり前みたいに妹の手を取るその様までも、面白くない。

「兄上は?」

「行かねえよ」

山背のやさぐれた返事も、ふたりには何処吹く風だ。「来ればいいのにね」なんて囁き合うが、強いて連れ出す意図はないらしい。

「気をつけていけよ」

 入鹿と片岡は手を繋いで出て行った。

「相変わらず、仲良しですね」

 ふたりの後ろ姿に、部屋の侍女が眦を下げながら言う。

「んー」

山背もつられるように、彼らの背中に視線を送る。山背には、ほほえましく…というより、危うささえ感じる二人なのだ。

 恋も知らない幼さだから、許される関係。

「あら、兄君としては複雑ですか?」

「そんなんじゃない」

 まあ、皆無だとも言わないが、山背のより大きな懸念は別にある。片岡は女王(ひめみこ)だ。しかも蘇我の血をひく。

蘇我氏の娘か、王族の者しか、大王の正妃にはなれない。そんな不文律があるこの国で、片岡の利用価値は大いにある。

年頃になれば、きっと王族の誰かの后に…と、父はともかく、祖父は考えているに違いない。

そんな事情を知ってか知らずか、心を寄せ合う二人を、見守ってやりたいのか、水を指すべきなのか――。



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