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炎―かぎろひ―  作者: 紗夏
第一章 葬送の笛
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厩戸王子の死

推古天皇三十年(622年)2月



(斑鳩は父の理想を具現化したものだ)

 斑鳩宮の門に立つ時、山背はいつもこう思う。

 広大な斑鳩宮の隣に立つ斑鳩寺。父の愛する妃が住まう葦垣宮あしがきのみや、祖母の住まう中宮。

 父が愛すべきものを、全て集め作った地…。

 幼い頃より飛鳥で過ごした山背王には、ここに来た当初は、不満も反発も覚えたが、いつしかこの理想郷に守られている自分に気づいた。

  飛鳥で強大な権力を持つ蘇我氏の顔色を窺う必要もなく、他の王族達の噂に一喜一憂することもない。それは全て、父がこの斑鳩で、一族を守ってくれているからだ。距離を隔てていても、発言力と影響力を持ち、けして軽んじられない。敬虔で清廉で篤実な人柄に、大王よりも彼を敬う人も少なくない。

 しかし、その偉大な父、、厩戸王子も、その命の源が尽きようとしていた。



 山背王は、寝台に横たわっている父の呼吸を確かめた。

 口元に顔を寄せると、僅かな風が彼の、顎を頬を撫でる。

(良かった、生きておられる)

 こんな方法でしか確かめられないほど、父の生命の火は微かになっている。快復は見込めない。残された時間を一刻一刻と数えて行くような看病は、介抱者自身の心身も蝕んでいく。

 斑鳩宮では、つい先々月厩戸王子の母、間人皇后が薨じたばかりだ。

 そして隣の房では、厩戸王子の妃、菩岐美々郎女(ほきみみのいらつめ)も、死のとこにあった。

 菩岐美々郎女の看病には、彼女の娘であり、山背王の妃でもある舂米女王(つきしね)が当たっている。

 死の影が、斑鳩宮全体を暗く覆い尽くしている。何とか振り払おうと、薬も探したし、仏にも祈った。

 しかし、二人の病は篤くなる一方だった。


「山背さま」

 声に振り向くと、妻の舂米女王だった。

 平素なら、瓜実顔に、細く目尻のきっと上がった目。多くを語らない引き締まった口元。とっつきにくいほど、凛とした雰囲気を湛えている彼女なのだが、やはり疲れが、表情にも、佇まいにも顕れ、張りがない。

「いかがした」

 妻の様子に不自然さを感じて、山背は訊ねた。

「母が…」

 山背の顔を見た途端、舂米の堪えていたものが堰を切って溢れ出した。

「舂米…」

 妃の涙を肩で受け止めながら、山背は察した。菩岐美々郎女がもうこの世にはいないことを。


 山背が悲しみを共有し、癒やそうと、舂米の肩を抱き寄せた時。

「菩岐美々郎女は逝ったか」

 低い、しかし部屋中に響く声がした。

「父上」

 山背は目を疑った。先ほどまで、意識もなく息も絶え絶えだった厩戸王子が、瞳を開けて、こちらを見てる。

「お気づかれましたか?」

 一筋の光明を見出だしたかのように、喜ぶ山背の姿に厩戸王子は哀しく笑った。

「早晩、私も菩岐の後を追うだろう。だが、そなたには言っておきたいことがある」

 山背は父の寝台の脇に跪き、両手で厩戸の痩せた手を握りしめた。

「何なりと」

「子らを頼む。そして、そなたはこの宮を捨てないでくれ」

「遺言のようなことをおっしゃらないでください」

 既に山背は二十四になった。とっくに成人し、子らも成していても、やはり山背もこの人の息子である。すんなりとその死を受け入れられる訳がない。駄々っ子のように言って、首を振る。

「愚か者、これが遺言だ。多くを望まず、流れに逆らわずいれば、この地でみな、しあわせに暮らせるはずだ。だから、周囲の甘言に惑わされることなく、ここにどっしり根を張る一本の大木になれ。枝葉は各宮に分かれても、根元は同じみな斑鳩に」

「はい、父上」

 頷きながら、山背の頬を涙が伝う。

 その姿に安心したように、厩戸皇子は目を閉じた。

 そして再び開くことはなく、推古天皇三十年(622)二月二十二日、厩戸王子は帰らぬ人になった。

 日月、ひかりを失いて、天地既に崩れぬ。今より以後、誰をか恃まむ。日本書紀はそう言って彼の死を悼んでいる。



 まるで眠っているかのような安らかな顔だった。父の遺骸を確認するなり、片岡女王は庭に飛び出した。

 遠からず来る別れは覚悟していたが、十八になったばかりの少女には、父の死は重く伸し掛かる。

 フラフラした足取りで、(きざはし)を降り、中庭に出た。月も星もない夜に、ぼんやりと闇に浮かぶ白い影は、かつて厩戸王子が愛した桜の樹だった。

 誰が植えたのかも、いつからあるのかもわからない。太い頑丈な幹と、焦げ茶色のゴツゴツした枝とは、不釣り合いな、薄桃色の美しい花を春になると咲かせていた。

 斑鳩宮を建てる際、工人達は邪魔だから伐ってしまおうとしたのを、厩戸皇子が「よいよい」と笑って制した。

 毎年、この樹が花をつけだすと、厩戸皇子は、昼となく夜となく、この樹の下で、花の散るのを眺めていた。

(父上は、この花に何を見ていたのだろう)

 桜を見上げながら、片岡女王は父を思った。

 闇夜に咲き誇る満開の桜。先ほどから風もないのに、片岡の髪に肩に花弁が舞い落ちる。

(――雪みたい)

 零れ落ちた一片を、ぎゅっと手のひらに握った。

 片岡の母が亡くなったのは、雪がちらつく夜だった。父は、花の舞う夜…か。

 今年も桜は例年通り、美しい花をつけている。だが、それを愛でる人はもういない。片岡の瞳に涙が浮かんだ。

「片岡」

 ふいに後ろから声を掛けられた。

 ビクッと肩を震わせて、片岡はゆっくり振り返る。

「兄上…」

 驚いたのは、父の声と聞き間違えたからだった。

 兄の山背とわかると、片岡はガッカリした表情を浮かべた。普段はそれほど似ていると思ったことはないのだが、こんな夜だからだろうか。兄の姿に、父を見てしまう。

「夜風は体に悪い。中に入ったらどうだ」

 片岡の感傷的な視線に、全く気付かず、山背はそんな当たり前なことを言う。朴念仁の兄らしいと言えば、兄らしい。

「もう少しだけ…」

 片岡はそう言うと、再び桜を見上げた。吊られて山背も、上を見る。

「母上が亡くなった夜を思い出すな」

「はい」

 散る花弁(はなびら)に兄も、同じことを連想していたのが嬉しかった。

 斑鳩宮には、山背を筆頭に、厩戸皇子の子どもが沢山いる。

 だが、同じ母を持つ兄弟は山背王・日置王へき財王たから、そして片岡の四人。

 他の兄弟が、早くから斑鳩で育ったのに対し、蘇我馬子の娘を母に持つ山背らは、祖父の屋形嶋庄で育った。

 母の違う兄弟が、別々の屋形に育つのは、この時代よくあることだが、厩戸皇子は他の妻子達は全て、斑鳩宮近辺に住まわせていたので、蘇我で育った片岡は、どうも他の兄弟に馴染めない。

 兄は、この地に来てすぐに異母妹である舂米女王を妃として、子どもまで生ませているから、割とすんなり溶け込めたようだが、ここに来て五年の歳月が経った今も、片岡は必要以上に他の兄弟とは接触しない。

 父の遺骸にすがって泣くのではなく、 わざわざ庭の桜の樹まで来たのも、彼らと共に嘆きたくなかったからだ。

 山背は、片岡を見た。

 今年十八になった片岡。父は、彼女をどうするつもりであったのだろう。

厩戸皇子の娘で、蘇我馬子の孫。血筋としては、申し分ない。

 だが、勝ち気で頑なで不器用。加えて、黒目の大きな強い目力の瞳。きつい感じの美人なのも、ある意味、近寄り難い印象を与える。

 受け入れられる男は少ないだろうし、また、男の腕の中で、愛されてぬくぬくと守られることに、幸せを感じるような女でもない。

 損な性分の妹よ、と不憫に思うが、片岡は兄の同情などせせら笑うだけだろう。

 父が亡くなった夜なのに、不謹慎とは思うが、否、父が亡くなり、自分が親代わりになったからこそ。願わずにはいられない。妹が仕合わせになれるように…。



 山背の妻である舂米が、父が病に倒れた頃から、事ある毎に。

「片岡殿は、我が弟の長谷の妃に」

と、言ってくる。

 長谷は片岡よりふたつ上。山背の正妃である舂米の同母の弟だ。母親が違う兄妹同士の婚姻は、珍しくないし、禁忌でもない。年回りも釣り合いも、申し分ないのはわかっている。

 だが、常に言葉を濁している山背だった。

 舂米女王や長谷王の生母、菩岐美々郎女は膳夫臣の出身だ。格段に母の身分は劣る。

 片岡が、他の兄弟らと自分は、「一緒にされたくない」と思っていることは、態度の端々に感じる。

 そんな彼女が、長谷王の妃となることを、易々と承諾するとは思えず、舂米のこの提案を、片岡にも言えないままだ。

 いや、相手が長谷でなくても、たとえ、大王のお召しがあったとしても、片岡は、突っぱねるのだろうか。自分と妹の記憶を辿る時、必ず出てくる少年の顔を山背は思い出していた。

「どうされました、兄上」

 黙りこくってしまった山背に、片岡は不思議そうな視線を向けた。

「いや…少し冷えてきた。私はもう戻る。明日には大臣殿も来て、今後のことも相談せねばならぬ。お前ももう休みなさい」

「はい」

 片岡は、今度は素直に応じた。

 庭の敷石を同じ歩調で踏み、階を上り、母屋の中へ入る。回廊を右と左に分かれるところで、片岡がふいに訊いた。

(もがり)には…入鹿は来ると思いますか?」


日本書紀では厩戸王子の死は、推古天皇二十九年(621年)です。ここでは天寿国繍帳・法隆寺金堂釈迦像銘に従いました。特に確たる根拠があるわけではないですが。



山背王…厩戸王子の息子。母は馬子の娘の刀自古郎女。片岡の兄

舂米女王…厩戸王子の娘。山背とは腹違い(舂米の母は菩岐美々郎女)



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