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 そうやって、一人で意気込んではみたものの。

 それから、ずっとお店は忙しいことが続いて、恵梨とゆっくりと話すチャンスはほとんどなかった。たまに暇な時があって、恵梨が厨房を出て来てうろうろしている日には、美雪の都合が悪くてバイトを休んでいるという組み合わせがやたらと続いてしまう日々。美雪は、ひょっとすると、もう杉浦とは縁がないのではないかと思ってしまった。

 いろいろなことに邪魔をされるのは、美雪と杉浦との相性はめちゃめちゃ最悪だということなのだ。それを知っている運命の女神が、二人が会わなくても済むように小細工をしているのではないか、と、あるはずもないくだらないことまで考えてしまう始末だった。

 そうとでも考えなければ、この運の悪さには説明がつかなかった。これまでの美雪は比較的運がいい方だったし、ここでバイトを始めてから結構経つけれど、こんなにも恵梨とのタイミングが悪いのは初めてのことだったから。

 美雪は、杉浦のことを何も知らないも同然だ。

 携帯に残っている着信履歴を見れば、彼に電話をかけることはできる。けれど、さすがにそこまでの勇気はない。かけてみて冷たくあしらわれたら、それこそ立ち直れない。

 そもそも、美雪は杉浦の基本的なことすら知らない有様だった。

 恵梨と同い年くらいで、恵梨の友人で、恵梨が言うには、安定収入のない仕事をしているらしい、恵梨曰くのいい加減な男。そんな、恵梨の主観で語られた杉浦晃という人間と、あのわずかな時間の会話でしか、美雪は杉浦を知らないのだ。

 どうしたら、いいのだろう。

 いつの間にか、美雪は、毎日杉浦のことばかりを考えているようになっていた。

 あれほど好きだった水原慎のことよりも、杉浦のことを考える時間の方が多くなっている。

 それは、自分でも信じられないくらいの、変化だった。

 きっと、自分は、彼のことをとても好きになっている。そんな気がした。

 何故なら、自分でもはっきりとわかる。

 杉浦に会うまで、美雪の中の「一番」は、水原慎でしかなかった。たくさんの好きなものがあって、その中に優先順位をつけるとしたら、一位は、水原慎だった。けれど、今は違う。気がついたら、それは入れ替わっていた。

 杉浦晃。

 彼のことは、ほとんど何も知らない。けど、彼は美雪の中で大きな位置を占めるようになっていた。最近の美雪の思考を支配しているのは、水原慎ではなく杉浦晃に成り代わっていたのだ。

 こうなってしまえば、もう、自分で認めるしかない。

 杉浦のことが、好きなのだと。

 初めて会った時に感じた予感は、間違いではなかったということを。

「もしもし、久我美雪ちゃん。授業は、とっくに終わっておりますが?」

 いきなり耳元でささやく声に、美雪は大仰に驚いてそっちを振り向いた。

「すっ、すずこっ」

「あんた、目を開けて寝られるほど器用なの?」 

 にやにやと笑いながら、鈴子が美雪を覗き込む。

 見ていたのなら、さっさと声をかけてくれたらいいのに、と不満を抱くが、仕方ない。

 どうでもいいことに憤慨しながら、美雪は机の上に広げっぱなしになっていた教科書とノートを乱暴に閉じて、机の中に突っ込んだ。

「まさか、慎のことでも考えていて授業を全然聞いてなかったとか、そういうのだったりする?」

「う……、ま、そんなとこかも」

 ほんの少し前の美雪だったら、そういうこともありえたのかもしれない。

 けれど、今の美雪には、あんなに好きだった慎のことよりも晃のことの方が気がかりだった。

「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど」

「……何を?」

「うん、ほら、この前の慎のライブの時にさ、楽屋口から出て来た男がいたでしょ。慎も追いかけて出て来て、ちょっとした騒ぎになったじゃない」

 鈴子の口から、いきなり杉浦の話題が出て来たので、美雪は驚いた。

 考えてみればあの場には鈴子もいたわけだし、杉浦は美雪の名前を口走ったりしたのだ。今日まで鈴子との間で話題にならなかったことの方が、不思議なのかもしれない。

「うん、それで?」

 内心どきどきしながら、美雪は平静を装って聞き返した。

 鈴子が何を言い出すのか、わかるようなわからないような、そんな気分だった。

「あの人って、美雪の知り合い?」

「え、私と、誰が?」

 自分の予想が外れていなかったことに眩暈のようなものを感じながら、美雪は確認するように聞いた。

 何となく、鈴子の言いたいことはわかってしまう。けれど、それを認めてしまうのはちょっと怖い。

 ファンの考えることなんて、大体想像がつくのだ。美雪にしても、鈴子と自分の立場が逆だったとしたら、そこまで考えるに違いなかった。

「あの人、美雪の名前呼んでいたように思うから……。見間違いでなければ、こっちを見ていたような気がするんだけど……」

 ああ、やっぱり……。と、美雪は肩を落とす。

 つまりは、杉浦と知り合いであるなら、彼が慎とどういう関係なのかということだ。

 それでもって行き着く先は、慎に紹介して欲しいなぁ。とか、そういうことなのだろう。

 その気持ちは、とてもよくわかる。

 美雪だって、慎のファンなのだから。

 杉浦と仲良くなってみれば、もしかすると、憧れの慎にも近づくことができるかもしれない。なんて、不謹慎なことも考えてみたくなる。

 でも、それだから杉浦のことを好きになろうと思ったわけでは、ないから。

 何よりも、そういう理由で杉浦に近づきたくない。

 そんな目的で近づこうとしていると、思われたくない。

 それが、美雪の本音だった。

「……別に、知り合いってわけじゃないんだ。バイト先に一度だけ来たことがあるのは本当だけど、それだけ。慎と知り合いなのかどうかなんて聞いてないし、それ以来、会ってないからどういう人なのかも知らないんだよ。だから、期待しているようなことは一切ありえないから」

「……何だ、そっかぁ」

 あからさまにがっかりしているところを見ると、やっぱりそういうことを期待していたのだろう。

 確かに、そういうことがあれば、美雪もラッキーだと思えたのかもしれない。

「いいコネかも、って思ったんただけど。あの時のムードは最悪だったけどさ、ああいう喧嘩腰ってのは、お互いをよく知っているからできるものじゃないかなって思って。だから、美雪があの人と知り合いなら、少しは慎とお近づきになるのも夢じゃないかも、と考えたわけだけど……」

「あまーい。そんなに簡単に行ったら、どこかで何か落とし穴があるかもよ。そりゃ、鈴子がそういうふうに考える気持ちもわかるけど、所詮、私たちは単なるファンなの!」

「わかってるけどさぁ、夢、見たいじゃない? ファンなんだから、近づきたいのは当然でしょ!」

 それは、わかっている。美雪だって、慎の近くに行ってみたい気持ちはある。

 でも、今の美雪は、慎よりも気になる、慎よりも近くにいてみたいと思う人を、見つけてしまったから。

 誰よりも好きになりそうな気がする人と、出会ってしまったから。

 まだ、美雪は彼のことを何も知らないけど。

 何も知らないうちから生まれる恋だって、あるはずなのだ。

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