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美雪が通っている高校は、街の中でも結構小高い丘の上に建っている。
最寄りのバス停から校門までだらだらと続いている坂は、一見すると楽そうに見えるけれど、意外ときつい。美雪のような遅刻常習者にとっては、とても迷惑な代物だ。
それが嫌であれば、もっと時間に余裕を持って家を出ればいいのだけれど、どうしてかぎりぎりになってしまう毎朝。
朝から息を切らして、坂を走って登るというのも、あんまり嬉しくないことではあったけれど。
この坂を駆け上るのは、かなり辛い。それでも、帰りは一気に走って下って行く人も多い。それと言うのも、丘の下の大きな道路を走るバスの本数がやたらと少ないので、一本逃すと駅まで歩く羽目になるからだ。
その丘と道路を隔てて真向かいにある、これまた小高い住宅地に美雪がバイトをしているパン屋がある。
少し癖のある店長のいる、小さなパン屋さん。お客さんのほとんどは常連で、バイトがいないと手が回らない時もあるくらいのお店は、元は開業医だったという店長が、いきなりパン作りに目覚めて始まったらしい。美雪も、その辺りの詳しいことは知らなかった。こればかりは、噂話が大好きなパートのオバサンも、教えてくれないのだ。
「おはようございまーすっ」
ガラスの嵌められたドアを開けると、ドアの上に取り付けられた鈴が綺麗な音を立てた。
「あれ。美雪ちゃん、今日は早いのね」
店内にはお客さんの姿はなくて、恵梨が棚の整理の真っ最中だった。
「今日は短縮授業だから、いつもよりも早く入れますよって言いませんでしたっけ」
「……そういえば、言われたような気も……。やぁねぇ、そういうこと忘れちゃうなんて。だから、オバサンいないのか。そーかそーか」
確かに、店内にいるのは恵梨一人だ。奥には店長と厨房のおじさんもいるだろうけれど、それだけでレジや品出しが間に合うとは思えない。美雪が早く出るから帰ってしまったのだろうパートのオバさんがいないというのに、もし、美雪が来なかったらどうするつもりだったのだろう、と、美雪は不安になる。そんな適当な従業員管理でいいのか、とも。とは言え、そんな呑気なところが恵梨の恵梨らしいところでもある。
一人でぶつぶつと言っている恵梨に適当に相槌を入れつつ、美雪は奥のロッカールームに向かう。素早く制服に着替えて店内に戻るが、珍しくお客さんもいない。
そこで、杉浦のことを思い出した。
聞いて、みようか。
いつ、どうやって聞こうかと思っていたけど、今なら誰もいないから聞きやすい。
「恵梨さん」
「なーに?」
間延びした返事をして、恵梨は美雪を振り返った。
「あの、ちょっと聞きたいんですけど、この前ここに来た杉浦晃って人、一体どういう人なんですか?」
一瞬、恵梨はものすごく困ったような顔をした。
それから、大きく溜め息をついて、言った。
「……美雪ちゃんさぁ」
「え?」
「ああいうの、好みなんだ?」
「……はい?」
いや、別にそういうわけではないのだけど、どうしてそういう方向に話が行くのだろう?
思いもよらない聞き返し方に、聞いた美雪の方がうろたえてしまった。
そんな美雪のうろたえぶりを見て、恵梨はきゃらきゃらと楽しそうに笑った。
「冗談よ、冗談。急に変なこと聞くんだもん。こっちも戸惑っただけ。……晃はねぇ、簡単に言うと、馬鹿かな。いい年になっているってのに定職にもつかないし、あっちにふらふら、こっちにふらふら、糸の切れた風船みたいな野郎なのよ。せっかく入った大学は中退するわ、就職もしないわ、自分のやりたいことだけやって、お気楽に人生を歩いて行こうと考えているとしか思えないのよねぇ。あいつの頭の中には、堅実な生活という言葉は存在しないんじゃないかと思うくらいよ。しかも、晃本人は、それを悪いともまずいとも思っていないらしいから、始末に負えないのよねぇ。そのうえ、あの性格と相反するあのツラ! 正直、詐欺だと思うわよ。人懐っこい感じがするし、ある意味、可愛い外見って言えるでしょう? あれで、誰もが騙されるのよ。実態は、何を考えているのかわからない男だってのにね。以上が、私から見た杉浦晃。本人には、断固否定されるだろうけどね。説明になった?」
……と言うか、恵梨の個人的意見そのもののような気が、しないでもない。
美雪が聞きたいこと、知りたいことは、そういうことだけではないのだけれど。
杉浦晃という人は、本当に、ただ遊んでいるだけの人なのだろうか。
美雪の目には、あまりそういうふうには見えなかった。
「あいつは、ホント、わけわかんないのよねぇ」
駄目押しみたいにそんなことを付け加えて、恵梨は厨房に戻って行った。
後に残された美雪は、溜め息をつく。
確かに、彼の第一印象は、わけがわからないと言えばそうなのかもしれない。
けれど、そうやって断言されてしまうと、どう反応していいかわからない。
単純に言ってしまえば、変わった人なのだってことなのかもしれない。そうなると、恵梨の言う通りの人だ、ということになる。それでも、美雪は、もっと彼のことを知りたかった。
子供みたいな顔をしてここで無邪気に笑っていたのも、慎のライブ会場で見かけた時の険しい顔つきも、電話をして来た時の思いもかけない態度も、全部、杉浦の一部なのだとしたら、その全部を知りたい。
恵梨の言い方は、却って意味がわからない部分もあった。そもそも、二人は友だちだとは言うけれど、何だかそこには複雑そうな雰囲気が見えていて、うっかり踏み込めない気がしたのだ。
杉浦自身は「恵梨の友だち」だとは言っていた。恵梨にしても、それを否定はしない。けれど、他にも何かあるような気がしてしまったのは、あの日、ライブ会場で見かけた杉浦の表情があったからなのかもしれない。
杉浦のことを、知りたいと思った。
知りたいのなら、自分で頑張るしかないのだ。そう、美雪は決意した。
今って、短縮授業という言い方をするのでしょうか……。
地域によっても違うとは思うのですが、身近に高校生がいないので現状がわからず、自分の経験で書きました。
今はこんな言い方しねーよ、というご指摘がありましたら、お願いします。