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「もしもし?」
知らない番号で、深夜の着信。
普通だったら取らないかもしれない、怪しい電話。
けれど、美雪は何となく出てしまった。
部屋に鳴り響く大音量の着メロに、自分で驚いてしまったっていうのもあるのだけれど。
時間は、午前二時。
普段だったら、メールくらいしか来ないだろう時間帯だ。
けれど、ライブがあった日だから電話があるかも、とは思っていた。家に帰った鈴子から興奮を忘れられない電話が来てもおかしくないし、ライブで会えなかった友だちから、連絡が来たりすることもありえるからだ。
「……美雪ちゃん? 俺、わかる?」
電話の、向こう。
かすかに聞こえる雑音の中、少しかすれた声で話して来たのは、さっき、ライブ会場で見かけた杉浦だったのだ。
「……杉浦さん……?」
一応、確かめるために聞き返す。
耳を澄ますと、向こう側でかすかに聞こえるのは、何かの歌だった。たぶん、慎の歌だ。あの絡みつくようなギターの音色には、聞き覚えがある。
どうして杉浦が美雪の携帯の番号を知っているのか、そこまで考える余裕は、今の美雪にはなかった。
「ぴんぽーんっ。大当たりですっ。杉浦くんでございます。でも賞品はないんだよなーっ。はーい、残念!」
真夜中の電話に不似合いな、場違いすぎるほどのいきなりのハイ・テンション。
深夜に電話をかけて来て、何なのだ、この人は。と、美雪は怒るのを通り越して、呆れてしまった。
何だか、酔っ払ったお父さんを相手にしているみたいだなと思いながら、美雪は聞き返す。
「あのー、ひょっとして、酔っていませんか?」
そう聞いたら、受話器の向こうで杉浦は何だかやたらと楽しそうに笑った。
「俺? 酔ってる? そういうふうに聞こえる? そっかー、じゃ、酔っているかも。あんまり覚えてないけど、すごい飲んだ気もするしね。あのね、恵梨に聞いたんですよ。君の、携帯の番号。君さぁ、さっき、慎のライブに来ていたでしょ? それを思い出したら、何か急に電話したくなっちゃってね」
やたらと陽気な声で、杉浦は勢いよく喋っている。美雪が口を挟む隙なんて、全然ない。
さっき見せた印象とは、大違いだ。
あの時の杉浦は、こういった陽気さとは無縁の、張り詰めた空気を身に纏っていたからだった。
「なーんてね、う・そ。恵梨が俺に教えてくれるわけがないのだな。正直に白状すると、パン屋さんで緊急連絡先から勝手にメモって来ましたです。ごめんなさい」
杉浦は、そこで少し黙った。
妙な間合いで生まれた沈黙に、どうしたらいいかわからずに美雪も黙っていた。
どうしよう。
こういう時、どういうふうに答えればいいのだろう。
落ち着いて考えてみたら、はっきり言って美雪には関係のないことなのだ。
杉浦とは知り合ったばかりだったし、彼のことは何も知らない。初対面の時に『恋人になって』とか、ふざけたことを言われたにしても、それに対して美雪は何も答えていない。そんな相手が真夜中に迷惑な電話をかけて来たとしても、美雪が話を聞く必要などない。
そう、思ったけれど。
気になって仕方がなかった。
彼がそんなふうに振舞うその理由が、知りたかった。
「こんなふうに電話して、君が迷惑かもってことは自覚しているんだ。でも、どうしても誰かに聞いて欲しくて、いろいろ考えて、聞いて欲しいのは君になんだって思ったから。だから、黙って聞いていて欲しいんだ。聞いていてくれるだけでいいから。俺さ、今日は飲まずにはいられなかったんだ。自分を忘れるくらい飲んで、馬鹿騒ぎをしないと気分は最悪で、そうしないと壊れそうだったから。もう、自分でも何をしているのか、よくわからない感じ。でもさ、俺、馬鹿だからさ。自分でもどうしようもないくらい、筋金入りの馬鹿だから、それ以外に方法なんてわからなかったんだよ。……ごめん。そんな話、君には関係ないよね。突然電話して申し訳ないです。ごめんなさい。おやすみなさい」
自分一人で勝手に喋りたいだけ喋って、杉浦は一方的に電話を切ってしまった。
沈黙してしまった携帯をしばらく眺めていたけど、もう一度鳴る気配はなくて、美雪は諦めて携帯をベッドの上に放り投げた。着信履歴からかけ直すという手もあったが、何となく、杉浦はその電話を取らないような気がしたからだ。
一体、杉浦晃という人はどういう人なのだろう。
美雪の中で、その気持ちはまた大きくなって行く。
ライブ会場で見かけた時。バイト先のパン屋で会った時。そして、今の電話。
全てが同じ人のはずなのに、それぞれの時に美雪が感じた彼のイメージは、全く別のもののような気がする。
どれが、本当の杉浦なのだろうか。
そんなことをうだうだと考えているうちに、段々と空が明るくなって来てしまって、美雪は完全に寝るタイミングを逃してしまった。
眠いけど、今、寝てしまったら間違いなく起きることができない。遅刻どころか、欠席になるかもしれない。
(杉浦さんのせいです……!!)
心の中で恨み言を言ってみても、それが彼に伝わるわけではない。今度会った時に文句を言ってらねば、とか考えてみた。
そこで、大変なことに気づいた。
美雪は、結局、彼のことを何も知らないのだということ。
美雪の携帯に残っている、さっきの着信履歴以外に知っていることは、彼の名前だけ。彼がどういう仕事をしているのか、どこに住んでいるのか、何も知らない。
そんな状況で、これから先どうしようって言うのだろう。
一瞬、あまりのことに眩暈がした。だが、よく考えてみれば杉浦は恵梨の友だちなのだということに思い当たった。
だったら、恵梨に聞けば話は解決だ。
そうと気づいてしまえば気楽なもので、美雪は、ほとんど眠れなかった割には元気に学校へ向かったのだった。