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世界の終わるちょっと前〈上〉

 そして、朝。

 僕は朝の鳴動をする携帯にのっそりと手を伸ばし、携帯を引っ掴むなり外気温の寒さからすぐさま布団のなかに手を引っ込めた。適当にいじってアラームを止める。

 しばらく布団のシーツを眺めつつ気合いを入れ、思い切って起き上がる。その部屋の寒いこと寒いこと。僕は何より先にエアコンをつけた。

 エアコンをそのままに階下に下りる。眠い目をこすり廊下の寒さに小さく震えながら、ダイニングに入った。ソファに座ってテレビを観ていた母さんが僕を見て驚く。


「あら、どうしたの? こんな朝から。なにか用事でもあるの?」

「うん、まあ。ちょっと友達と遊びに」


 ふぅん、と彼女は納得したように鼻を鳴らし、戸棚を示して菓子パンがあるから朝食代わりに食べるよう言った。僕は素直に頷き、戸棚から餡パンを出して封を開け食べる。食べつつ冷蔵庫から牛乳を取り出しコップに注ぐ。

 餡パンを半分ほど平らげ牛乳を飲みながら時計を見る。壁掛時計の示す時間は、八時二十六分。約束の九時にはまだまだ十分余裕がある。

 僕は最後の一塊を口に放り込むと牛乳で流し込む。そしてコップをシンクで水に浸け、餡パンのビニールをごみ箱に押し込んだ。リビングダイニングを後にして洗面所で歯磨き洗顔を行う。冷水で顔を洗うのは結構つらいが、お陰で目が覚める。傍らに置いてあるタオルで顔を拭いた。

 ふぅ、と一息吐く。そしてふと鏡に映る自分を見て、寝癖が無いことを確認。洗面所を出てトイレにて用を足し、自室に向かう。室内は既にしっかり暖まっていた。

 僕は寝巻のスウェットを脱ぎ、昨日決めておいた服に着替える。インナーやトレーナーは適当だが上にセーターを着込むので関係ない。下はジーパンで無難に済まし、カーキ色のジャンパーを上着に着る。カバンには持ち運びが楽な肩に掛けるタイプのものをセレクトした。


「まあ、こんなものかな」


 身なりを整え、僕は独りごちた。財布の中身を確認し、シンプルなキーホルダーが一つ付いただけの家の鍵をカバンのポケットに滑り込ませ準備は完了。ジャンパーのポケットから携帯を取り出して時計とメールを確認した。まだまだ余裕がある。

 僕は暖房を切り、寒い玄関に向かう。揃えて置かれたスニーカーを履いて家を出た。外の空は、雲の目立つ晴れである。

 僕はのんびり歩いていった。時々思い出したように風が吹き道端に溜まった枯葉を転がす。

 と、不意に携帯が素っ気ない電子音を響かせて鳴動しはじめる。僕は携帯を取り出して見た。腐れ縁の彼から電話だ。こんな朝から珍しい、と思いつつ僕は耳に当てる。


「もしもし、橋本ですが何用?」

『はよっす、もう起きてんのか。てかイエデンじゃないんだからその名乗りはないだろ』


 彼はいきなり僕にケチをつけた。僕は携帯を片手に左右を確認しつつ、ややイラつきながらも声は穏やかに催促する。


「解ったから。で、何の用なんだよ?」

『ああ、そうそう。お前、今日デートだろ?』


 脈絡なく彼が確認する口調で聞いてきた。僕は深く嘆息する。


「また……。芹沢さんは口軽いね。秘密なわけでもなかったけどさ」

『はは、まあそう言うな。お前さ、デートの待ち合わせには約束の時間より早めに行くんだぞ?』


 僕は足を止め、彼の言葉を疑問に思い尋ねた。


「もしかして、待ち合わせの時間知らない?」

『あ? 知らないけど、どうかしたか?』


 僕は意味もなく頷き、苦笑する。電話口に告げた。


「九時、だよ。もう待ち合わせ場所にいる」


 電話の向こうで時計を見る気配。荒い息遣いが受話器越しに聞こえ、彼は言った。


『十分前じゃん、少し遅いぞ。三十分前に居とけ。芹沢は居ないのか?』

「は? 居ないよ」


 僕はとりあえず答える。そうか、と彼は答えて唐突に話を変えた。


『今日コクるんだろ? 頑張れよ』

「あ、な……! お前さぁそういうこといきなり言うなよ!」


 ははは、と妙に爽やかな笑いを響かせる彼は僕に答える。


『まあまあ。俺は応援してるぞ、頑張れよ』


 彼の言葉にどう返そうかと僕が悩んでいると、脇から声がした。


「橋本くん?」

「あ、うわぁ?! あ、な……お早よう芹沢さん!」


 芹沢さんが来ていたことに全く気付かなかった。不覚である。

 受話器の向こうに居る彼は気付いたらしく、別れの言葉を残して切った。僕は苦笑いを顔に張りつけたまま携帯を閉じる。


「いいの? 誰から?」

「あー、いや。いいんだ、大丈夫」


 芹沢さんが気を使っているので、僕は携帯を軽く振って何でもないふうを表現する。ついでにマナーモードに設定した。


「ふぅん? まあ、いいってんならいいけど」


 そう言って芹沢さんは足をとんとん、と弾ませた。僕はその動きに釣られるように彼女の全身を眺めてしまう。

 今日の芹沢さんは、深みのあるグリーンの上着を召しており、上着の部分から覗く淡いベージュのインナーが落ち着いた雰囲気を引き立てている。スカートは長めで足首まである。ピンク系だが派手過ぎず、上下で上手くまとまっていた。彼女の手に持つ鞄もシックなデザインで、全体的にとても大人っぽくなっている。

 普段の彼女はどちらかと言えば明るく活動的な雰囲気を纏っているので、今日の落ち着いた芹沢さんはそのギャップからかより綺麗に見える。

 僕は男らしく覚悟を決めて感想を言うことにした。


「あー、その。芹沢さん、……その服似合うね」


 僕の急な言葉に彼女は目を丸くしたが、にっこりと微笑んで返した。


「……ありがと!」


 その笑顔は輝いてさえいるようで、それを見る僕は自分の想いを再確認する気持ちだった。僕は極上の笑みを見せてくれた彼女に精一杯の微笑を返し、そっと告げる。


「じゃあ、行こうか」

「うん、行こう」


 言葉を交わすと、どちらともなく歩きだす。目的地は迷いなく歩いている芹沢さんが決めたのだろう。僕達は付かず離れずの距離を保ってまだ寒い朝の道を歩いていった。

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