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後妻の棺を開けないでください ~一年後にまた死ぬ予定の私ですが、辺境伯が離してくれません~  作者: しげみちみり


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第13話 死体兵計画

 その日、リディアは少しおかしかった。


 いつもなら、訓練場から戻る足音は迷いがないのに。


 石畳を鳴らすブーツの音が、どこか落ち着きなく揺れているように聞こえた。


「ラウラ様。本日の護衛当番の報告です」


 夕方、私の部屋の扉をノックして、彼女はいつものように入ってきた。


 姿勢はまっすぐで、鎧もきちんと手入れされていて。


 一見すると、何も変わらない。


 けれど、違う。


 言葉を選びすぎているときの、あの固さがあった。


「今日は、王都からいらしたお客様方の警護を中心に」


「父と、ザイアル様ですね」


 昼間、遠目に見えた。


 父の馬車の脇を、リディアが無表情で歩いているのを。


 胸の奥が少し冷たくなったのは、空気が冷えてきたせいだけではない。


「お疲れさまでした。あの二人を同時に見ていると、頭が痛くなりませんか」


 冗談めかして言うと、リディアは一瞬、返事に詰まった。


 ほんの一瞬。


 けれど、それは彼女には珍しいことだ。


「……そうですね。筋肉の疲労とは別の、妙な疲れ方をしました」


 ようやく絞り出した言葉は、慎重すぎるくらい慎重で。


 私は首を傾げる。


「何かありましたか」


「いえ。今はまだ、ラウラ様にお伝えすべき段階かどうか」


 そこまで言って、彼女は自分で言葉を切った。


 いつもなら、報告があるときははっきり伝えてくれる。


 逆に「問題なし」のときは、涼しい顔でそう言って、すぐに退室する。


 今日のように、途中で飲み込むことはなかった。


「リディア」


 私はベッドから立ち上がり、そっと一歩近づいた。


「私の身体のこと、ですよね」


 彼女のまなざしが、わずかに揺れる。


 図星だったらしい。


「宮廷魔導師と父が、同じ城にいる。私のことを話題にしない方が、不自然なくらいです」


「……ラウラ様は、本当に勘が鋭い」


 リディアは小さく息を吐き、いつもの凛とした表情に、疲労の影をにじませた。


「詳しい話は、もう少し整理してからお伝えしたいのですが」


「いいですよ。今でなくても」


 私は微笑んでみせる。


 これ以上追及すれば、彼女を困らせるだけだと分かっていた。


「ただ、ひとつだけ」


 リディアが言う。


「私は、ラウラ様の味方です」


 それは、とても短い文だった。


 けれど、胸の奥に落ちた音は、驚くほど大きくて。


 思わず、手が震えそうになるのを、スカートの布を握ってごまかした。


「……ありがとうございます」


「ですから、少しだけ待っていてください」


 リディアはそう言って、一礼した。


 扉が閉まったあともしばらく、その言葉の余韻が部屋の中に残っていた。


 私はベッドの端に腰を下ろし、胸に手を当てる。


 鼓動は、少し早いけれど、乱れてはいない。


 ただ、不安と、よく分からない予感のせいで、落ち着かなかった。


 のちに、リディアはあのとき何があったのかを、私にすべて話してくれた。


 彼女の言葉を借りれば、それは「世界の危機」と「私個人の危機」が、ひとつの計画に重なった瞬間だったらしい。


     ◇


「最初は、ただの警護任務のつもりだったのです」


 後日、リディアは淡々と語った。


 私が、彼女の話を途中で止めないようにと、手をぎゅっと握ったままうなずき続けた日のこと。


「陛下の使者が滞在している間、余計なトラブルが起きないように見張っておけと」


 その「使者」の中に、私の父も含まれていた。


 王都の貴族たちと一緒に、この黒鷲領へやってきたらしい。


 借金で首が回らないはずの人が、王都の使節団の一員としてここへ来る。


 それだけで、嫌な予感しかしない。


「最初は、魔獣対策についての会議でした」


 リディアは、あくまで事務的に説明を続ける。


「城の作戦室で、閣下とザイアル殿下――いえ、ザイアル様ですね。それから、何人かの将軍が集まって、最近の魔獣の動きについて話し合っていました」


 その場には、父もいたという。


 爵位を持つ一人として、王都の代表のひとりとして。


「ですが、会議が終わったあとです」


 リディアの瞳が、少しだけ鋭くなる。


「ザイアル様が、ラウラ様のお父上に『少し、落ち着いて話ができる場所はありますか』と声をかけられた」


 その時点では、まだ不自然ではなかった。


 宮廷魔導師と、禁術を成功させた貴族。


 互いに話したいことはいくらでもあるだろう。


「私は護衛として、使節団の方々の動きを見張る役目でしたので、距離を取りつつ後をつけました」


 城の奥、あまり使われていない書庫の一角。


 重い扉の内側から、掠れた父の声と、低いザイアルの声が聞こえてきた。


「本来なら、盗み聞きなどすべきではありません」


 リディアはそこで一度、私に視線を向けた。


「ですが、ラウラ様の名が出た瞬間、足が止まりました」


 私は何も言えず、ただ、彼女の手を握る力を少し強くする。


 彼女は、小さくうなずいて、続けた。


『――一年だけ動く娘、ですか』


 扉の隙間越しに聞こえたザイアルの声は、柔らかく、そして冷静だった。


『はい。詳しい理論は私にも説明しきれませんが、実際にこうして成功している』


 父の声は、どこか誇らしげだったという。


『本来ならとっくに朽ちているはずの肉体を、この一年という枠の中で動かし続けることに成功したのです』


『理論上、ありえないはずの成功例ですね』


『そうでしょうとも』


 笑い声が混じった。


 リディアは、拳を握りしめて廊下の陰に身を寄せたらしい。


『娘はもともと、私の失敗作でした』


 その言葉を聞いた瞬間、リディアの中で何かが切れたと、彼女自身が言っていた。


『病弱で、何をさせても長続きせず、家の役にも立たない。死んだときは、正直、これで厄介ごとがひとつ減ったとさえ思ったものです』


 知らなかった。


 父が、そんなふうに思っていたなんて。


 心のどこかで薄々感じていたことではあったけれど、実際に言葉にされると、胸の奥がじりじりと痛む。


『ですが――』


 父の声が、そこで少し弾んだ。


『この術式のおかげで、娘はようやく役に立つ存在になった』


『役に立つ、ですか』


『ええ。今度こそ成功例として利用してやるつもりです』


 リディアは、その言葉をはっきり覚えていた。


 何度も何度も、脳裏で反芻してしまうほどに。


『死と生の狭間に固定された肉体。痛覚も疲労も、ある程度鈍くなっている。戦場で使えば、兵士たちは恐怖をほとんど感じずに前へ進めるでしょう』


『なるほど。死を恐れない軍勢』


 ザイアルの声には、嫌悪もためらいもなかったという。


 代わりにあるのは、純粋な興味だけ。


『王国にとっては、非常に魅力的な兵力になりうる』


『そうでしょうとも』


 父は、まるで新しい商売の話でもしているかのように言ったらしい。


『死体兵部隊。たとえ半分朽ちていても、働いてくれれば十分です。家名を守るために、ようやく娘が役立つ』


 死体兵。


 その言葉の響きが、喉の奥でひっかかる。


『ただの娘一人のために、ここまで貴重な術式を使ったのは、最初は失敗だと思っていました』


 父の声が、少し低くなる。


『ですが、王都の情勢を考えると、むしろ好機だったのかもしれません。宮廷の研究所と協力して、この術を洗練させれば』


『死なない兵士を量産できる、と』


『はい。国境の守りも、魔獣討伐も、今とは比べ物にならないほど強固になるでしょう』


 廊下の陰で、リディアは奥歯を噛みしめたという。


 私のことを「死なない兵士」と呼ぶ声。


 私の身体を、王国の兵器としか見ていない話しぶり。


 そのどれもが、静かな怒りを呼び起こしたらしい。


『もちろん、最初は辺境で試すのがよろしいでしょうね』


 父が、軽い調子で続ける。


『黒鷲領は魔獣の頻度も高い。実験に適した環境です』


『辺境伯閣下が納得されるでしょうか』


『あの男は、思った以上に娘に甘いようですが』


 父の声が、嘲るように笑った。


『一年の契約だと、きちんと伝えてあります。期限が来れば、あの男も手を引くしかない。あとは王都の命令があれば、どうとでもなりますよ』


 自分の命が、勝手に「実験」の枠組みに組み込まれていく音がする。


 リディアは扉の向こうの二人を睨みつけながら、剣の柄を握った。


 もしもその場に私がいたら、きっと立ってはいられなかっただろう。


『ただ――ひとつだけ懸念があるとすれば』


 ザイアルが、少しだけ声音を落とした。


『娘さん自身の魂の強度です』


『強度?』


『はい。あなたの術式は、理論上は崩壊していてもおかしくない』


 ザイアルは淡々と言ったという。


『それでも一年も保っているのは、ラウラ様ご本人の魂が異常なほど強いからだ』


『それなら結構ではありませんか』


『結構でもあり、危険でもある』


 柔らかな声の中に、鋭い興奮が混じる。


『魂が強ければ強いほど、術式の枠を越えて、自らの行き先を選び取ってしまう可能性がある』


『つまり、制御できなくなると』


『ええ。だからこそ、魂の“方向づけ”をこちら側で完全に握らなければならない。そうでなければ、死体兵がいつの間にか、我々の手の届かない場所へ行ってしまうかもしれない』


 リディアは、その言葉の意味がよく分からなかったと言っていた。


 ただひとつだけ理解したのは。


 彼らが語っている「魂の行き先」は、おそらく本人の意思とは無関係に決めようとしている、ということだ。


『……ラウラ様ご本人の意思は』


 そこで、リディアは思わず口を挟みそうになったらしい。


 けれど、彼女は軍人として、自分の立場をぎりぎりのところで思い出した。


 その代わりに、胸の奥で問い直す。


 この人たちは、私の意思など、考えたことがあるのだろうかと。


『娘の意思など、考える必要はありませんよ』


 父の返事は、あまりにもあっさりしていた。


『伯爵家の娘は、家のために生き、家のために死ぬものだ。たとえ死んだあとでさえ、そうであるべきです』


『立派なお考えです』


 ザイアルの言葉は、皮肉でも何でもなく、本心からの賛辞のように聞こえたという。


 その瞬間、リディアは、違う種類の寒気を覚えた。


 この二人は、価値観が似ているのだと。


 人を人として見るのではなく、役割や結果の集合としてしか見ていない。


『では、具体的な計画について――』


 ザイアルがそう言って話を進めようとしたとき。


 リディアは、そっとその場から離れた。


「これ以上聞いていたら、扉を蹴破ってしまいそうでしたから」


 彼女は、苦笑いしながらそう言った。


「軍人としては、上官に無断で会議を妨害するべきではありません。けれど、あれ以上聞いていたら、剣を抜いてしまったかもしれない」


 私は、言葉を失っていた。


 父の言葉。


 ザイアルの言葉。


 どちらも、想像していたより少しだけひどくて、でも、完全な驚きというわけでもなくて。


 自分でもよく分からない感情が、胸の奥で入り混じっている。


「そのあと、私はすぐに閣下に報告に行こうかとも思いました」


 リディアは、真っ直ぐな瞳で私を見る。


「ですが、まずラウラ様にお伝えするべきだと考えました」


「どうして、私に」


「これは、ラウラ様ご自身の身体の話だからです」


 彼女の答えは、とても単純だった。


「上の命令がどうであれ。王都の意向がどうであれ。ラウラ様がどうしたいのかを聞かずに、勝手に動くわけにはいきません」


 そんなふうに言われたのは、生まれて初めてだった。


 私の意思を、最初に考えると言ってくれた人。


 父はいつも、「家のためにこうしろ」と命じるだけだったから。


「……私、どうしたいんでしょうね」


 思わず、情けないことを口にしてしまう。


「一年後に死ぬのは、最初から決まっていることで。そこまでの時間をどう使うかだけを考えていればいいと思っていました」


「それでも」


 リディアは、少し身を乗り出した。


「死に方を選ばされるのと、勝手に決められるのとでは、違うと思います」


 その言葉が、静かに胸に沁みる。


「死体兵として前線に送られ、人として扱われないまま朽ちるのか」


「……」


「それとも、自分で納得できる終わり方を探すのか。あるいは、そもそも終わらせない道を、無茶だと笑われても選ぶのか」


 彼女の瞳は、まっすぐだった。


 戦場に立つ人の目だ。


「私は、ラウラ様がどの道を選んでも、味方でいるつもりです」


 胸の奥が、熱くなる。


 泣きそうになるのをこらえながら、私はゆっくりと息を吸い込んだ。


「……ありがとうございます、本当に」


 かろうじて、それだけは言えた。


 死体兵計画。


 世界のどこかでは、きっと魅力的な案だと評価する人たちがいるのだろう。


 魔獣に怯える領民を守るため。


 国境を守るため。


 誰かの「大義」のために、私のような身体が使われることを。


 正しいと言う人たちが。


 けれど、私は。


 少なくとも、自分のことを「失敗作」だの「成功例」だのと言う声に、従いたくはなかった。


「リディア」


「はい」


「私、自分の終わり方を、ちゃんと自分で決めたいです」


 言葉にしてみると、不思議と少しだけ楽になる。


「怖いですけど。でも、誰かに勝手に利用されるのは、もっと嫌」


「……その答えを、閣下にも伝えましょう」


 リディアは、満足そうに頷いた。


「黒鷲辺境伯は、そういう言葉を決して無駄にはしない方です」


 死と生の狭間に固定された身体。


 それを兵器にしようとする人たち。


 それを許さないと決める人たち。


 世界の大きな流れと、私ひとりの小さな願いが、少しずつぶつかり始めている。


 胸の鼓動は、まだ少し不安定だ。


 それでも。


 私はその揺れを、棺の中ではなく、この世界の空気の中で受け止めたいと思った。

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