最終話 Chapter14 「アサシン米子の原点」
「沢村米子か。すごい戦闘経歴だな」
霞が関の中央合同庁舎第2号館のがらんとした会議室に公安部部長の阿南警視監の声が響いた。阿南は米子に関する調査レポートに目を通していた。会議室には公安1課課長の神崎警視正、公安第1課3係係長の鷲尾警部と元刑事の原田徹と公安第4課に所属する川島賢吾警部補が会議室の前方に座っていた。
「はいっ。しかも沢村栄一の娘です」
公安第1課3係係長の鷲尾警部が言った。
「沢村栄一?」
阿南が訊いた。
「何!! 沢村の娘なのか!? 監視は付けていなかったのか?」
公安第1課課長の神崎警視正が訊いた。
「当時は9歳で被害者だったので監視対象外となったようです。今は高校3年生です。まさか内閣情報統括室の工作員になっているとは」
鷲尾が説明する。
「沢村栄一? 何者だ?」
阿南が再び訊いた。
「元公安の刑事です。赤い連隊の襲撃で死亡しました。配偶者と息子も犠牲になりました。事件当時は警部でした。大卒の準キャリアでしたが、事件は秘密裏に処理されたので殉職による階級の特進はありませんでした。娘の沢村米子は運よく襲撃を免れました」
神崎が説明する。
「そうか。竹長を暗殺したのも沢村米子なのか?」
「そうです。有楽町の講演会での暗殺は阻止しましたが、新宿の暗殺は防げませんでした」
神崎が苦々しい顔をして言った。
「二和会や龍神会の幹部襲撃にも関わってるようだな」
「はい。沢村米子の戦闘力と作戦立案能力は非常に高いようです。神宮の件でも我々の組織の人間が10人以上殺られてます。IQが200に近いとの情報もあります」
「なるほど、興味深いな。沢村米子に監視を付けろ」
阿南が言った。
原田徹と川島賢吾は黙って話を聞いていた。原田は沢村栄一の元上司で川島は後輩だった。
沢村栄一は公安1課の刑事だった。役職は警部で準キャリアだった。当時の年齢は36歳。主な仕事は極左集団への潜入捜査だった。日本で一番戦闘的で凶悪とされる極左集団『真革派』の実働部隊である『赤い連隊』を調査していた。警察の用語で『S』と呼ばれるスパイを調査対象の内部に作り、コントロールしていた。沢村栄一自身も身分を偽り、『赤い連隊』に潜入していたのだ。
『真革派』は1970年代までは共産主義による世界同時革命を目指していたが、1980年代からは政府打倒を主眼として西側諸国との国交断絶及び資本主義経済の崩壊を目指して破壊活動や要人へのテロなどを行って来た。1950年代の安保闘争から1970年代の成田闘争の頃は学生が主体でゲバ棒や火炎瓶を武器とし、数を頼みにデモや暴動を起こしていたが、1980年代に入るとの規模は縮小し、プロの活動家を中心とした破壊工作メインの活動を行うようになった。現在の構成員は、末端の末端までいれると6000名程度である。資金源は全国の労働団体や左翼系団体からの支援によるものが殆どであったが、近年では企業恐喝や大型の詐欺などでも資金を得ている。新型インフルエンザの給付金詐欺でも多くの資金を得たとされている。また、共産主義や社会主義に基づく独裁国家などからも資金援助を受けているとの噂もあった。
原田と川島は新橋の居酒屋『割烹:ふぐり』にいた。久しぶりの再会だった。
「原田さん、仕事の方は忙しいんですか?」
冷酒をお猪口で一口飲んで川島が訊いた。
「興信所なんて浮気調査や素行調査ばっかりだ。小説や映画の探偵とはえらい違いだ。まあ、仕事があるだけでもありがたいけどな。しかし今日の呼び出しには驚いたな。鷲尾さんから電話があった時はびっくりしたよ。神崎さんは相変わらずだったな」
原田はコップに入った常温の日本酒を飲みながら言った。
「沢さんの娘が『内情』(内閣情報統括室)にいたなんて初耳です。沢さんの娘って米子ちゃんですよね? 沢さんの家に何回か遊びに行って会った事があります。あの頃は小学校の低学年でした。可愛くて聡明な娘でした。あの時も1人で現場にいましたよね」
川島が言った。
「ああ、俺も知らなかったよ。俺も1、2度会った事がある。今は18歳の高校生だってな。しかしあの現場は辛かったな。あの娘は1人であの現場に『3日間も座ってたんだ』。壮絶な光景だった。俺はあの光景を一生忘れないだろう。たしかあの時に『失声症』になって擁護施設に引き取られたはずだ。表に出せない事件だったし、喋れないんじゃ親戚も引き取れなかったんだろうな」
原田が言った。
「なんで米子ちゃんがウチら公安にマークされてるんですか?」
「良く分からん。今、公安と内情は揉めているようだ。双方のバックの大きな力の対立が影響しているらしい。お前の方が詳しいだろ」
「米子ちゃんは内情の工作員みたいですね?」
「かなりの腕利きらしいな」
「沢さんの血ですかね? 沢さんは射撃も格闘も教官クラスでしたし、頭もめっぽう良かったです。捜査も的確で、ひよこだった私は沢さんに捜査と公安刑事のイロハを叩き込んでもらいました」
「そうかも知れないな。沢村は優秀な男だった。歴代の俺の部下の中では1番だった。沢村の娘は『夜桜』にかなりの被害を与えたようだ。さっきの阿南さんの話だと竹長の暗殺にも関係していたみたいだな」
「夜桜ですか。名前は聞いた事ありますが、警察内部でもアンタッッチャブルな組織ですよね。じゃあ米子ちゃんは公安の排除対象になったんですかね?」
「いや、むしろ逆だろう。公安は内情と手を組みたいんだ。『赤い狐』と戦いに負ける訳にはいかないからな」
原田がイカの一夜干しを噛みながら言った。
「『赤い狐』って例の組織ですか? 最近、国際社会に急に登場しましたよね」
「組織なんてレベルじゃない。ロシア、中国、北朝鮮の諜報機関の連合体だ。実働部隊も持ってる。それに急に登場したわけじゃ無い。じっくりと準備をしてターゲッットをこの国に定めたんだ。最終的な目的はアメリカを始めとする西側諸の崩壊だ。ウクライナ侵攻だってその手段に過ぎない。日本の公安なんかが勝てる相手じゃない。力の差は大人と子供以上だ」
「まさか上は戦うつもりなんですか?」
川島が勢いよくお猪口をテーブルに置いた。
「よくわからんが夜桜のバックについてる勢力が戦おうとしてるみたいだ」
「バックの勢力?」
「『新しい力』とか言うらしい」
「聞いたことないですね。私は公安に身を置く身ですが初耳ですよ。原田さんはどこから情報を仕入れてるんですか?」
「蛇の道はヘビだ。昔の仲間とは今でも付き合いがある。新しい力は水面下にいた大きな勢力だ。最近姿を現し始めたんだ」
「じゃあ夜桜と内情が手を組んで『赤い狐』と戦うって事ですか?」
「新しい力と公安としてはそういう目論見だろうな。戦闘や暗殺では内情の方が実力は上だ。特に戦闘の経験が豊富だ。自衛隊とのパイプもある。非合法の組織だからな。夜桜は危険な集団だが警察の中の組織だ。暗殺はそれなりに実行しているが、戦闘の経験は少ない」
「米子ちゃんを引き抜くつもりですかね?」
「俺達が呼ばれたって事はその線もあるかもな」
原田がコップに残った日本酒を一気に喉に流し込んだ。
「しかしあれは酷い事件でしたね」
「もう9年になるのか。俺もあの事件で警察を去る事になったが、沢村は全てを失った。自分の命と家族だ」
原田がため息をつくように言った。
【9年前 沢村家】
食卓の上に鉄の鍋が置かれ、牛肉と切り揃えた具材が大皿の上に載っていた。
「ママ、今日は御馳走だね。パパがいるから?」
米子はニコニコしながら言った。久しぶり父親に会えて嬉しくたまらないのだ。お気に入りのキャラクターのTシャツを着ていた。
「そうよ。パパと会うのは久しぶりだもんね。夕ご飯はパパが大好きなすき焼きよ」
母親の晴美が言った。
「わあ、楽しみ。私もすき焼き大好き、パパと同じ」
「僕はハンバーグの方がいいな」
弟の秀斗が言った。
「秀ちゃん何言ってるの。久しぶりにパパに会ったんだからパパが優先なの~」
「わかったよ。じゃあお姉ちゃん、かくれんぼの続きしてよ」
「いいよ。でもパパがお風呂から出てくるまでだよ」
「もうすぐご飯だからいいかげんにしなさいよ」
晴美が笑顔で言った。その笑顔は幸せに満ちていた。沢村一家は東村山市の2階建ての一軒家に住んでいた。中古住宅だが、広さは十分だった。平凡ではあるが平和で幸せな家庭だった。米子の父親の沢村栄一は警視庁公安部の刑事だった。階級は警部。大卒で国家公務員一般職試験に合格した準キャリアだった。妻の晴美は同じ大学の1年後輩だった。天文サークルで知り合って交際を始め、26歳の時に結婚したのだ。米子の弟の沢村秀斗は当時5歳で米子とは4つ違いだった。常に米子にくっついて回る甘えん坊だった。父の栄一は潜入捜査の為、家族とは別のアパートを借りて住んでいたがこの日はたまたまに家に帰っていたのだ。栄一にとって米子は自慢の娘だった。知能指数が人並外れて高く、スポーツ万能で、明るく素直な子供だった。非情な任務に身を置く栄一にとって米子や秀斗と過ごす時間は何ものにも代えがたい幸せな時間だった。
米子は懐中電灯と漫画本を持って押入れの中に隠れていた。押入れがあるのはリビングの隣にある家族の寝室となる8畳の和室だった。リビングとの仕切りの襖は全開だった。米子が押し入れの中で懐中電灯の光で漫画を読んでいると、バタバタと足音をさせた秀斗が和室に入って来た。米子は押し入れの襖を2cmほど開けて和室を覗いた。秀斗がつんのめって前に倒れた。
<秀ちゃんドジなんだから>
米子は笑い声を上げそうになって慌てて手で口を塞いで堪えた。弟の秀斗は俯せのまま起き上がらなかった。米子は不思議に思った。『えっ!?』米子が心の中で驚きの声を上げた。秀斗が倒れた腹のあたりの畳が真っ赤だった。赤い色はどんどん広がった。
<えっ、何?>
米子は驚きのあまり固まった。赤い色は血だった。
「キャーー! 秀ちゃ~ん」
母の晴美が叫びながら和室に入って来て秀斗の上に重なるように倒れ込んだ。倒れた
春美の首の後ろから噴水のように血が吹き出している。
<ママ!? ママ! ウソだよこんなの やだっ!!>
米子は驚きのあまり体が硬直し、頭の中が爆発するように混乱した。襖を開けて出て行きたかったが体が動かなかった。晴美の首から噴き出る血は徐々に勢いを失っていった。
『ガシャーーン!』
ダイニングで大きな音がした。テーブルに何かがぶつかり、皿やコップが割れる音だった。
「この野郎! 俺の家族に何をした!? 出てけ!」
父親の栄一の声が響いた。
米子は襖を30cmほど開けて恐る恐る顔を出した。リビングには腰に白いバスタオルを巻いた父親の姿があった。目出し帽を被った男達と向かい合っていた。男達はベージュの作業着を着ていた。テレビにはプロ野球のナイター中継が映っていた。
「おい、やれ!」
背の高いリーダー格の男が言った。小太りの男が大きなナイフを持って栄一に飛び掛かった。栄一の右正拳突きが小太りの男の顔面を直撃し、小太りの男が真後ろに吹き飛んだ。もう一人の男が栄一に前からタックルして組み付いた。栄一は上から男の背中に肘打ちを喰らわせた。どこから現れたのか、別の男が後ろから栄一に抱き着くようにぶつかった。右斜め後ろから栄一の脇腹にナイフが突き刺さった。
「ううっ!」
栄一の声が響いた。後ろの男が栄一の体からナイフを抜いた。前から組み付いていた男が一旦離れるとベルトに吊っていたナイフを右手で抜いて栄一の左脇腹を刺した。ナイフは深く刺さり、男が手を離しても刺さったまま落ちる事は無かった。
「お前ら、赤い連隊だな、Z小隊か? よくも」
栄一は左手で脇腹に刺さったナイフを抜いた。傷口から血がダラダラと流れ、腰に巻いた白いバスタオルが赤く染まっていった。栄一はダシュするように1歩踏み込んで前にいる男の腹の右側にナイフを刺した。ナイフの刃は男の肝臓を突き破った。男は言葉も無くその場にしゃがみ込むように沈んだ。栄一は後ろの男が動く気配を感じ、前の男の腹に刺さったナイフ抜くと体を勢いよく回転させながら左手に持ったナイフを払うように振った。ナイフの刃は後ろの男の喉を左から右へ水平に深く切りつけ、喉仏を上下に真っ二つにした。首の傷は蛇の口のようにパカっと開き、大量の血が噴き出した。男は両手の掌で喉を押さえるが血が勢いよく流れ出て、栄一にもたれ掛かるようにして、ずるずると崩れた。激しい動きに栄一の腰に巻いたバスタオルが床に落ち、栄一は素っ裸になった。栄一は多量の出血のせいで視界がぼやけ、酒に酔ったようにフラフラした。
「クソっ、何だこいつ! 国家の犬のくせによお! コソコソ嗅ぎ回りやがって。Z小隊を舐めるなよ!」
正拳突きを喰らって倒れていた小太りの男が震えながら立ち上がって言った。その手には腰から抜いたリボルバーの拳銃が握られていた。
「いいから早くそいつを殺るんだ!」
リーダー格の男が叫んだ。栄一が渾身の力で前蹴りを出した。小太りの男は両手で構えた銃を発砲した。栄一の前蹴りが小太りの男の下腹部に喰いこんだと同時に銃の発射音がリビングに響く。銃は自作の改造銃だった。釣り用の重りを溶かして作った鉛の弾丸は栄一の右胸から体内に入り肺に大きなダメージを与えた。小太りの男は銃を落とすと両手で下腹部を押さえてしゃがみ込んだ。栄一も前に勢いよく倒れた。
「おい、引き上げるぞ!」
リーダー格の男が言って玄関に向かって歩きだした。小太りの男もふらつきながら再び立ち上がり、下腹部を押さえてゆっくりと玄関の方へ移動した。栄一は力を振り絞り、両肘で這いながら和室に入った。霞んだ視界の中に晴美と秀斗が重なって倒れているのを認め、力尽きた。米子は全てを見ていた。
事件が発覚し、米子が発見されたのは3日後だった。連絡の取れなくなった沢村栄一を心配した上司の原田と部下の川島が米子の家を訪ねたのだ。異変を感じた原田と川島は部屋に上がり込んだ。米子は両親と弟が倒れている和室に虚ろな目をしてペタリと置物のように座っていた。すでに両親と弟の遺体は腐敗し始め、部屋にはハエが沢山飛んでいた。遺体の目や傷口などには黒い塊のようにハエが集り、直接産み付けられたハエの小さな幼虫が蠢いていた。米子にはこの3日間の記憶が無かった。原田と川島は驚愕し、慌てて救急車を呼んだ。米子は警察病院に3カ月ほど入院した。取り調べ中もまったく喋ることができず、食事も殆ど取らず、全てに対する反応が極めて乏しかった。米子はこの時、人として大事な何かが凍り付いたか、失ったのかもしれない。徐々に最低限の筆談が出来るようになったが、言葉を取り戻すのに2年を要した。事件の前の米子は明るく聡明で、運動神経も良く、先生やクラスメートに好かれ、何度も学級委員長に選ばれ、輝く花のような存在だった。事件後の米子は病院を退院した後に養護施設に入り、学校も転校した。極端に口数が減り、笑顔を見せる事も無くなった米子は学校のクラスに馴染めず、その見た目の美しさとは裏腹に影の薄いキャラクーとして小学校生活を送った。中学生からは少しずつ周りとコミュニケーションを取れるようになり、抜群の学力と運動神経を発揮したが愁いを含んだ美しい顔が笑顔になる事は無かった。ただその美貌は輝きを増し、誰もが認める美少女になった。心を寄せる男子生徒も多かったが米子はまったく興味を示さなかった。そして米子の並外れた頭脳と運動能力に一番興味を持ったのは内閣情報統括室のスカウトだった。
JKアサシン米子 第3部終了
ご愛読ありがとうございました。
ご愛読ありがとうございました。『JKアサシン米子 第3部』は本Chapterをもって終了となります。お楽しみいただけたでしょうか? 明らかになったダークヒロイン米子の過去。米子の向かう未来は? 仲間達は? 第4部をお楽しみに。ご感想・ご意見をいただけると励みになりますのでよろしくお願いいたします。
南田 惟




