52・憧れの存在
キョーと名乗った女性は、この近くにある名もない村の住人だという。
「ここから先へ行くのはお勧めしないよ」
彼女が真剣な顔でそう言うので、ナーキトたちはとりあえず森の中で泊まることにした。
なんとか開けた場所を見つけてテントを張る。
「ふむ。 やはり危険ということだね」
ツァルが女性と真剣な話をしている横で、ナーキトは夕食の準備をしていた。
「キョーさん、キョーちゃん?、食事が出来たよー」
嬉しそうに声を掛ける。
「まあ、ありがとう」
三人で食事にする。
ツァルが呆れるほど、終始ナーキトはキョーに見惚れていた。
「美味しかった!、ありがとう。 じゃあ、またね」
キョーは立ち上がる。
ツァルは後片付けを引き受け、ナーキトの背中を押す。
「送っていけ」
「あ、ああ」
ツァルはニヤニヤしながら二人の後ろ姿を見送った。
「我に護衛など必要ないぞ?」
「分かってる」
ナーキトは微笑みながらキョーの隣に並ぶ。
キョーはナーキトのほうを向かずに話す。
「何か話があるんだろう?。 信頼している仲間にも話せないような」
「ああ」と、ナーキトは苦笑する。
「君は黒竜か?」
キョーからは未知の『魔力』の気配がした。
たいていの魔獣は相手をしてきたナーキトでも知らない『魔力』だ。
「ふふふ、よく分かったね」
キョーは機嫌良さそうに笑う。
竜は『魔力』を使う生物である。
その『魔力』を使った魔法で人間の姿になっていたとしても不思議ではない。
魔獣討伐を生業にしている雇兵のナーキトにとって、竜はなかなか出会えない憧れの存在である。
死ぬまでに一度はその姿を見てみたい。
出来るなら戦ってみたい。
ナーキトは少年のように心が躍った。
「とても綺麗だ」
「ふふっ、ありがとう」
二人はやがて森を抜け、広い場所に出る。
「良かったら、竜の姿も見せてもらえないか」
「先ほどの食事の礼だ。 構わないよ」
ブワッと風が吹く。
「お、おお」
真っ黒な鱗が月明かりを浴びて金色に光る黒竜の姿。
ナーキトの胸が高鳴る。
(しかし、おぬしたちは竜討伐に来たのであろう?)
頭の中にキョーの声が響く。
ナーキトは一瞬驚いたが、すぐに「そうだ」と頷いた。
(どうする?。 我を倒して手柄とするか)
「いや」
キョーの言葉に、ナーキトは首を横に振る。
そして真っ直ぐに黒い竜を見上げた。
「オレはアンタに惚れた。 その美しさ。 その圧倒的な『魔力』に」
(ほお?。 だから番になれ、と)
キョーの鼻息でナーキトは飛ばされそうになるのを堪える。
「無理強いはしないさ。 だけどオレは本気だ」
巨大な竜は、先ほどの女性のキョーの姿に変わる。
「討伐はどうするのだ?」
「それは、なんとか誤魔化すよ。 だから、キョー」
ナーキトはキョーの前で片膝を折る。
「お前が望むならなんでもしよう。 オレをお前の傍に置いてくれ」
正式な礼を取るナーキトをキョーは困惑した顔で見つめる。
お伽話でも構わない。
ナーキトはずっと竜をこの目で見たいと思っていた。
今回、渋々依頼を受けたのは、その願いが叶うかもしれないからだ。
そしてその願いは叶った。
「すぐに返事がもらえるとは思っていない。 オレたちはしばらくこの森に滞在する。 その間に考えてくれ」
「分かった。 ただ人間にとってはここは危険な場所であることは変わらないからな」
「分かってる。 キョーの返事を聞くまでは死なないさ」
ナーキトがそう言うと、何故かキョーに睨まれる。
「死などと簡単に口にするな。 お前たち人間はか弱い。 さらに我々より寿命が短いのだから」
竜に比べればどんな生き物もか弱く、短命だろう。
ナーキトはクスリと笑う。
「ああ、そうだな。 悪かった」
再び竜の姿に戻ったキョーは月夜に舞い上がり、森の向こうへと飛び去って行った。
森に戻ろうとナーキトが振り返ると、ツァルがボケッと突っ立っているのが目に入る。
「何やってんだ、ツァル」
近寄って声を掛けた。
「な、な、なな」
口を開くが言葉にならない。
「ああ、竜か。 本当に綺麗な生き物だよなあ」
「な、なにを言う!。 りゅ、竜は討伐対象だぞっ」
ナーキトは恐怖で青ざめた顔のツァルを落ち着かせるように問いかける。
「誰がそう言った?」
「国でそう決まってー」
「国で誰かが被害に遭ったか?」
「昔の文献では街を焼き、国を滅ぼしたと」
ツァルは必死に思い出しながら答える。
「そんな昔のこと、今は関係ないだろ。 最近の実害はあるのかって訊いてるんだが?」
ナーキトの剣幕にツァルは驚いて座り込んだ。
「ツァル。 こんな山奥で静かに暮らしてる竜を、何故、討伐しなきゃならん」
実際、ここまで来ても自分たちは襲われていない。
王国では何十年も竜を見たという記録さえないというのに。
ただ伝説として、この山脈の中に竜の棲み家があると言われてるに過ぎない。
それは国王も分かっている。
それなのにナーキトとツァルを送り出した。
彼らは、討伐隊の二人は竜を見つけることさえ出来ないと分かっているのだ。
永遠に山中を彷徨って野垂れ死にか、討伐を諦めて戻ることになるか。
戻ったとしても、勇者であるナーキトは役立たずと非難された上、下手をすれば罪人ツァルと共に処刑されるかもしれない。
それが国の企みであると分かっていても、王の命令には逆らえなかった。




