46・幻想の庭
目の前にある山を越えたら違う世界に行ける。
そんな気がして、シューゴは山越えに挑戦していた。
冬に向かう季節に無謀なことは分かっている。
それでも、ずっと誰かが追って来る気がして止まれない。
『急ぎ足』で歩けるだけ進み、疲れると岩や大木に隠れて眠った。
マントで『隠し』ているため、体を丸めて包み込んでいる。
魔獣相手には気配を薄めるだけでは効かない場合もあるらしいので、物理的に隠れ、祈りも念入りにしていた。
幸い、山に入ってからは魔獣に遭遇していない。
何日経ったかも忘れたある日、いきなり雨に遭い、それを避ける場所を探していると。
「なんだ、あれ」
険しい山の中にぽっかりと、小さな森のような緑色の空間が見えてきた。
周りには他に緑はなく岩だらけ。
引き寄せられるように中に入ると、空気は清浄で嫌な気配はない。
シューゴはすでに歩き疲れていて、このままではいつか野垂れ死ぬかもしれない。
「まあ、それでもいいか」
そう思っていたはずなのに。
心の中で「助かった」と思ってしまった自分に苦笑した。
雨は密集した枝に遮られて、あまり下まで落ちてこないようだ。
なのに薄暗さはなく、不思議なほど明るかった。
しかも、かなり山を登って来たはずだが寒くはない。
「まるで『神の庭』みたいだな」
教会に飾られている神様の絵画。
その背景に描かれている場所を『神の庭』という。
人それぞれの中に神が住む、その心の中にある場所とされる。
「ここが僕の中?」
だとしたら、自分はもう死んでいて、幻覚を見ているのかもしれない。
ぐるりと周りを見ている間に雨音は止み、チロチロと水が流れる音が聞こえてきた。
シューゴは足元に流れる水の筋を見つける。
急にこの水がどこから来るのか、知りたくなった。
「ハァハァ」
しかし、どれだけ歩いても先が見えない。
「そんなに大きな森じゃなかったはずなのに」
やがて、シューゴは疲れ果てて立ち止まる。
先ほどまで明るかった周りも暗くなってきた。
シューゴの身体がフラリと揺れ、そのまま倒れた。
薄く目を開く。
どれだけ時間が経ったのか、空には星が瞬いていた。
「星?」
鬱蒼とした森の中で倒れたはずだが、目の前には星空を映す美しい湖がある。
シューゴはいつの間にか水辺に横たわり、今にもズブズブと岸から水中へと沈みかけていた。
「うわっ、なんだ」
慌てて起き上がり、岸へと這い戻る。
その時。
『何故、逃げる』
「え?」
男とも女とも、大人か子供かも分からない声がした。
シューゴはキョロキョロと辺りを見回した。
ふいにザワリと湖面が揺らぐ。
光が立ち昇ったと思うと、その中に人影が浮かんだ。
「な、なんだ?」
明らかに人ではないそれは、シューゴと同じ年齢くらいの人間の姿をしている。
『どこに行く』
どうやら声はソレが発しているようだ。
「え?」
シューゴはオロオロする。
(なんなんだ、これは)
魔物の類いなのか、それともただの幻なのか。
『これからどうする』
無表情なその顔が誰かに似ていると気付く。
しかし。
「もしかして」
シューゴは最初、その姿が母に似ていると思った。
そしてハッとする。
あまり鏡を見る機会もなかったが、シューゴはずっと母親に良く似ていると言われていた。
「神様?」
全ての人の中に神がいるなら、人の数だけ神がいる。
その中の一つがシューゴの中にいる神ならば、シューゴに似ていて当たり前なのだ。
シューゴは慌てて、膝をついて礼を取る。
なんて言えばいいのか分らないが。
「お、お会いできて嬉しいです」
ソレはピクリとも動かない。
ただ視線はずっとシューゴに向けられていた。
『何故、逃げる』
『どこに行く』
『これからどうする』
これはシューゴがシューゴ自身に問うているのだと分かった。
「僕は逃げるわけじゃない!」
違う世界に行きたいだけなんだ。
「この山を越えて、僕のことを知らない人たちがいる街に行きたい」
地図には色々な街や村がある。
ムラトの話では、王都から来た開拓団はこの山を迂回して移動していた。
この山の向こうなら、同じ国内でも英雄も巫女も知らない人々がいるかもしれない。
「僕は、そこで今までとは違う生活をするんだ」
家族のためじゃなく、自分自身のために生きる。
ソレがヘラリと笑った気がした。
シューゴは気が抜けてへたり込む。
星空を見上げると、まるで昼間のように明るい月が浮かんでいた。
気付くと、シューゴは何かの布に囲まれている。
「なんだろう」
手を伸ばすと布は見えなくなり、シューゴはいつの間にか外にいた。
振り向くと、そこには使い古されたテントがある。
その色や匂いには覚えがあった。
「これはマントなのか?」
フッとテントが消えて足元にマントが落ちた。
その時、何かが頭に浮かんだ。
シューゴが【テント】と呟くと、マントが消えて、同じ布で気配の全くないテントが現れた。
テントに入ろうとすれば、もう中にいた。
触れられないのに出入り出来る。
「これも『神力』なのか」
シューゴは心のどこかで納得していた。
ふと、腰を見ると兄に捨てられたはずのムラトからもらった布袋があった。
「何か入ってる?」
チャポン
「水だ」
手を洗うようにして溢してみたが、ずっと流していても一向に減らない。
試しに飲んでみると美味しい水だった。
シューゴは、あの湖で出会ったのは『神』で間違いないと分かった。




