君の勇気に
麗らかで清らかな春。
そんな爽やかな朝の始まりは、自宅前まで迎えに来てくれた幼馴染との、トキメキ溢れる甘酸っぱい――
「ハンカチ持った?」
「うん」
「学生証持った?」
「うん」
「筆記用具は持った?」
「うん」
――確認事項から。
「教科書は持った?」
「持った、持ったし心配しすぎだって!セナは僕のお母さんなの?大丈夫だって」
「だってルイ。すぐに忘れ物するし…本当に大丈夫なのか心配になるの…忘れ物は本当にないよね、ちゃんと剣は持った?」
「おう、急にバイオレンスな質問…ってアレ…あー」
「…忘れた」
◇
何処かの地より訪れし勇者が魔王を討ち滅さん。
【アルベルト戦記】
今から遡って約三千年も昔のこと。
世に暗雲と邪悪を齎さんとし、星の支配を目論んだ魔王とその配下達の手によって、世界は瞬く間に魔の手へと堕ちた。
当然、星に生きてきた者達はただ黙って支配される筈もなく。当時、大陸の半分を支配していたとされる人類も、魔王の勢力に抗った。
だが、そんな抵抗も虚しく。
魔王の使う未知の力によって、星は混沌と絶望の渦に呑み込まれ、為す術もなく生命は魔王に支配されたのであった。
俗に〝闇の時代〟と呼ばれるこの光なき時代はこうして始まり――そして、たった一人の勇気ある若者が手によって終わりを迎える。
その清廉たる心を〝大いなる神〟――女神様より認められ、聖剣を授かりし若者は邪智暴虐の限りを尽くす魔王軍に剣を向け、反旗を翻す。
彼の若者の背後には、若者の強い勇気に感化され、最後の英雄に希望を見出した民衆が連なって立ち上がった。
こうして僅か十三年という歳月で、三百年続いたとされる〝闇の時代〟の幕は降りる。後の世に――勇者と呼ばれる英雄と聖剣の力によって、世界に平和がもたらされた。
これは、そんな闘いから三千年経った〝平和〟な時代の物語。
◇
どこまでも澄み渡る青い空。
春の雪とも謳われるラムラの真っ白い花弁と小鳥たちの心地よい囀りは、今日という記念の日を祝福してくれているようであった。
『おはよう、空よ樹木よ小鳥たちよ』
…なんて心の中で気取っている僕の渾名はルイ。
珍しい黒髪と低身長が若干のコンプレックスな、どこにでもいる普通の高等性。
友人たちからは『抜けてるよね』とか『やる気がない』とか『好き嫌いが激し過ぎる』とかと、手厳し過ぎるお言葉を頂く難儀な性格の持ち主だ。
だがしかしその分のマイナスはまぁ、母親似の愛らしい顔と生来の愛嬌を駆使してなんとか、均衡を保っていたりする。
だから別にクラスメイト達から嫌われているとかそういうんじゃ…っと、今はそんな話どうでもいいんだ!
なにせ今日は、最初にも話した通り、僕らにとっては門出の日なのだから。
『春、ラムラの花が咲き乱れる季節の記念日』と言えば答えは簡単。
そう!新入生にしてみれば入学式で、僕ら三年生からすれば最後の年の始業式でもあった。
お世辞にも授業態度がよろしくなかったルイが、三年生を迎えられた証の日であるのだ。これを喜ばずにいられるか?
否である。
つまり僕は多少なりとも浮かれていた。卒業できる可能性が出てきたことに、大人の階段を登って最上級生になれたことに――
「はぁああッああ!!!!!!!」
――彼女の怒声を聞く、その時までは。
◇
閑静な住宅街で、僕は隣を歩く女性から怒声を浴びせられる。
「はぁぁあ!!無くしたぁああ!?」
「うるさいなぁ。だから…そうだって」
「いや、え!!はぁ?――いや、いやいやいや」
みんなからすれば、急に怒りを顕にした怖い人に見えるだろう彼女は、僕の親友のセナ。とっても綺麗な美人さんだ。
その美しさは彫刻家すらも息を呑むほどで…白んだ金色の細い髪は適度に編まれ。マルセナ湖よりも透き通った碧色の瞳は、紙なら切れる程度の鋭さを持っている。
もちろん、スタイルも抜群で…すらりと伸びた細い足は初対面で思わず「なっ、、が」と誰もが驚愕するってのが社交界の常識になるくらいだ。
…まぁ、冷たく棘のある顔立ちの美人さんだから、第一印象は怖い人になりがちだけども、その実彼女はとても面倒見が良いんだ。
なんてったって、今朝も寝坊しそうになっていたどこぞの親友を、わざわざ家まで迎えに来てくれるぐらいなんだから。
「なんでッ、そんなッ、平然とッ――」
しかし、そんな見かけによらず優しいセナも怒る(いや、優しいからこそ怒るのだろうか…?)。
そして、美人という整った顔の人に怒られるというのは、普通の人からの説教よりも何割か増しに恐ろしく感じるものだ。
「一昨日まであったよね?えっ、馬鹿なの?」「だからルイはどうしてそんな平然としているの?馬鹿でしょ?」
「あの〝剣〟が世界にとってどれほど重要なモノかルイも知らない訳じゃないでしょ。馬鹿」
「もう!合間、合間に馬鹿馬鹿言わないでよ!!ホントに馬鹿になったらどうすんのさ」
「…―――」
へいへい、僕は今も昔も大馬鹿者ですよ…。
怒るでも責めるでもない、憐みの籠ったセナの視線に、僕は何を言い返す事も出来ず、ただ肩をすくめる。
特権階級
貴人とそれに準ずる者は古くより、腰に剣を差す・佩く・携えることが法律で認められている。
――というよりも昨今は寧ろ、帯剣を推奨されており、そこにはこの世界に住む人々の階級と身分に理由があった。
魔王が世界を支配する前から今日まで存在する階級制度。人の上に人を作り、人の下に人を作る制度だ。
そんな階級をまぁ、ざっくり説明すると貴人・平民・罪人の大まか三つに分けられる。
その中で武具の所持・使用を法の下に許可されているのが貴人…つまりは王侯貴族や特権階級の人間達って訳だ。
では何故、貴人階級の者だけにこの帯剣制度があるのかというと、平民や罪人が街に下りた高貴な者を一目で見分ける為である。
平民でも着飾ることが容易となった昨今。
一昔前のように衣服で差別化を測ることも難しく、けれど万が一にも平民や罪人が、知らぬとは言え貴人に下手を起こせばどうなるか…。
――想像に容易い。
平謝りで済むほど、未だこの世界は甘くないのだ。
そこで十年くらい前に掘り起こされたのが、この前までは古い習わしを守る一部の上級貴人しか行っていなかった帯剣制度である。
これを国会で努力義務化したのだ。
この法律によって面倒で凄惨で理不尽な事件を予め起こすこともなく、貴人の自尊心を満たすこともできた。まさに一挙両得な法律である。
「本当にルイは抜けてるんだから…今朝も寝坊寸前だったし…。まったく私がいなかったらどうしてたの?」
「………」
「またそうやって逃げる」
「いや、別に、逃げたわけじゃ…ただ」
「ほら、その拗ねた顔、、。はぁ…それで?その腰の剣は…何」
「あぁ、よく聞いてくれた!これはねぇ式典の時に貰った貴剣なんだよ、納屋にあったのを今朝思い出してね!!」
セナの憤りに長々と語った帯剣の歴史と意味。
それらから推測できる通り、僕は個人的にも世界的にも大切とされる〝剣〟をなくしていた。
テヘっ!
――っとまぁ、愛嬌で失敗とのバランスをとっておいて、ここは一先ず僕の話を聞いてくれ。
産まれた時から肌身離さず…肌身離らず付きまとってきた剣を紛失した事に気がついたら僕は、考えた。
『面倒だし、なくしたことは忘れよう』
『怒られるかなぁ…でも無いものは無いしなぁ』
『平民みたく剣を持たずに登校するのは…』
『セナがキレるかなぁ…いやだなぁ』
『そうだ!納屋に式典用の剣がしまってあった筈!』とか色々。
そして現在。
昨晩、こねくり回した小細工なんて無視してセナは言う『その腰の剣は…何』と。
これは言葉そのままの意味で、セナが僕の腰の剣に興味を示した…訳ではなく『なんだその質の低い剣は?』という意味である。
当然、僕はセナの質問の真意に気がついている。
――が、しかし…気づいていても無いものはないし、有るものはありあわせの儀礼剣だけだ。
「私の言いたいこと気付いて言っているよね?」
「いやいや、確かに元の剣とは比べもんになんないけど、それでも儀礼剣としては他にない名剣だよ!え〜っと、例えば…ほら、ラーメン屋の店主にでも上げたら、それこそ家宝として後生大事にされるくらいの名剣だよ!」
「なんで貴族でもましてや鍛冶屋でもなくラーメン屋に剣をあげるのよ、…えっじゃあ何?ルイは本当に、そんな剣で登校するつもりなの?馬鹿を通り越して痴呆になってしまった…愚か者?」
「罵倒がツライ!」
咄嗟に思いついた適当なプレゼンも空しく。
どこかの誰かが作った儀礼剣とカボチャ畑で出来た僕は、セナの普通に酷い言葉の的にされてしまう。
(あれかな、セナは僕が泣かないとでも思っているのかな?…泣くよ普通に)
心のどこかで『「似合ってる」って褒めてもらえるかも』なんて期待していたルイは、気恥ずかしさもあり。無駄に装飾された白い鞘と黒い髪をいじっていじける…。
「…そんなに変…似合ってない…かな?」
――それも上目遣いという奥義を使って。
「あ、え?――いやいや待ってルイ!?私は似合ってないなんて一言も…違う。そもそもルイに似合わない剣なんてこの世に一振りたりとも存在しない!ホントに。似合ってるし、格好良いよ?」
これこそがルイの奥義であり、必殺技。
なぜか親しい人間には効きが悪くなるが、セナだけには昔から変わらず効果覿面の最終手段。
一人では何もできない仔兎のような『幼さ』と『愛くるしさ』という自分の武器を全面に押し出した、ぶりっ子技である。
「えへへ、そうかなぁ?――ありがとぉ」
操作した流れと言えど、美人に褒められると自然に口元がほころんでしまうなぁ。
「――でも、それとこれとは話しが別。ルイの腰にあるべき剣は過去も未来も今も聖剣だけ」
「あ、はは」
知っていた流れと言えど、美人に凄まれると自然に口角が引き攣ってしまうなぁ。
「はは…聖剣、ね」
聖剣――女神様が初代勇者に授けた剣。
後にも先にも女神様が人間に武具を授けたのは一度だけ。何万年と続く人類史でたったの一度だけ授けられた神の剣。
世界で最も有名で、世界で最も贋作が多く、世界で最も高い破壊力を有した兵器。
不失で不滅で不壊な剣。
それが聖剣だ。
世界の命運すら左右することが可能な唯一の剣。
権力者が欲してやまない全てが詰まった神の剣。
初代勇者から歴代の勇者へ脈々と受け継がれてきた聖剣の当代担い手である僕の名は、ルイーゼ。
魔王討伐せし初代勇者、直系の子孫にして――今代の勇者である。
◇
春麗らかな今日という素晴らしき日。
低等から高等まで幅広い学生が在籍する我が校は、古く長い歴史を誇る。
約一千年前に起きた魔王信奉者集団による国家転覆が現実味を帯びた頃に軍学校として設立されて以来。今日まで理念を、規則を、枠組みを変えて存続し。現在では由緒正しき貴族専用の学園として運営されていた。
「とうちゃーく、っと」
「あ、待ちなさいルイ!話はまだ――」
そんな超が付く名門学園の、ここは西門前。
東南北と他にもある門のどれよりも古く、大きく、立派な門の前だ。
先生の話では学園設立と同時期に建てられた、千年前から現存し現役する唯一の門だとか。
そんな軍学校時代の歴史が透けてみえる頑強な門を、セナの口煩いお小言から逃げるのに利用しようとした――その時だった。
「――おい!」
「や、やめて下さい」
(…なんだ、アレは?)
制服を着崩した…下級生か?が集団で、薄汚れた制服を纏う小柄な男子生徒一人を花壇へと追い詰め、言い合っている光景が目に入った。
「逃げんなよ!これじゃあ、まるで俺らが悪者みたいじゃねえかよぉ」「そうだぜ」
「俺らはただ少しばかりその腰に帯びた剣を貸して見してくれって言ってるだけだろ?」「そうだぞ」
囲い込むようにして少年を追い詰めるその様はまるで、狩をする狼のようにも、数の力で個をいたぶる“イジメ”のようにも見えた。
「セナ…あれは何――」
『おい、お前ら騒が「――何をしている貴様らぁああ!」!?』
門前の騒ぎを聞きつけたのだろう。校舎からやってきたおじさん教師の第一声を遮るようにして放たれた一喝は、隣に佇むセナからだった。
『「!?」』
彼女の声は静寂を生んだ。
第一声の手鼻を挫かれた教師も。少年を囲っていた下級生も。登校中の様々な生徒も驚きに黙り込むーーが、突然真横から鼓膜突き抜く爆音に見舞われた僕は、その比ではないほど驚いていた。
それは大きな声にもだが、決断の早さにも。
「栄えあるダルタリシア学園の学徒である人間が、決闘ならばまだしも!!大勢で一人を追い駆け回すとは全体、どういう了見なのだぁあ!!」
セナの声は昔からよく通り、みんなの心を惹きつける力があった。政治家にでもなればきっと、その美貌も相まって人気になること間違いなしだろう。
(まぁ汚職を黙認する。なんてことは性格上できそうにないから、長続きはしなさそうだけど…)
親友であり幼馴染の激怒を真横に、僕はそんな現実から思考への逃避行をしていた。
「――貴様らに貴族としての誇りはないのか!」
「ッんだとオン「おい、待てあの剣!魔剣だ!」――ッ!」
「じゃ、じゃあ上級貴族の…」「まずいぞ、どうすんだよ」「そ、そうだぜ」「どうすんだグレイ」「…いくぞ」
楽しき狩りに乱入してきた女の腰に差さる剣が、ただの名剣や貴剣でないことに気が付いたのだろう。
本当に貴族か怪しい風貌の彼らは悪態をつくことも無く、校舎の方へすげすげと帰って行くのだった。
「まったく、対抗する気概もないか…とことんだな」
“ぱちぱちぱち”
彼女の大立ち回りと、劇さながらの迫力ある雰囲気に魅せられた周囲の人々から徐々に拍手が上がり、それは次第に大喝采となる。
【セナミレイユ=ノビリシス=ローザ】
数少ない上級貴族、ローザ家の一人娘たる彼女はそんな雨音にも勝るほどの絶え間ない拍手の音に、少しの恥じ入る素振りもなく。
少し手を挙げ観衆に答えてから、僕の隣に戻ってくるのであった。
どこまでもイケメンだな。
“パチパチぱち”
「で、いつまで手を叩いているつもり?」
「んぅ?…カッコよかったよ王子様」
「ふふ…それはどうも、お姫様」
軽口には軽口で返す、いつものやりとり。
貴族としての誇りや礼儀を命よりも重んじる彼女の荒ぶる心を、そうやって丁寧に宥め、落ち着かせてあげる。
…ちなみに王子様とは彼女が中等生の頃の渾名で『棘薔薇の王子様』とは彼女のこと。
セナの性も相まって嵌ったその渾名を、僕はいつもからかいのネタにしていた。
っで、そんな王子様の横でいつもお世話されていた僕の渾名は、怠惰姫だった…。
(やっぱり悪口だよね?)
「あ、あのぉ」
下らなくとも大切なやりとりに、まるで水滴のような…か細い水が刺され振り向けば、そこには花壇に追い詰められた側の少年が立っていた。
「名のある御家の方だと存じます。そんなお方が力なき下級貴族の末席を汚す自分なんかを救っていただき、感謝に絶えません」
おかしな言葉遣いだ…。
まともな教育を受けてこなかったのか?目上の者との話し方なんて基礎の基礎だぞ。それとも彼の実家では、そこら辺は曖昧だったのかな。
「…私は別に君を助けようとした訳ではない。あの者らのやり口が気に食わなかった、だから少し口を出したまでだ」
「そ、それでも自分が助かったのは事実です」
けれど人に感謝を伝えようとする心は持っている、か…良い人ではあるんだろうなぁ。
「そうか…」
しかし不思議だ。
何故そんな人間が出来ている彼が、始業式という祝いの日から、いじめのターゲットにされているのか…。
(…まぁ僕には関係ない話か!)
「ねぇ、セナ。拍手して手が疲れた!立ちっぱなしで足がくたびれたぁ。早く新しい教室行こうよぉ。誰が同じクラスかも見たいしさッ」
悪いな、王子様に助けられた、か弱き子羊よ。
セナは今も昔も僕のモノなのだよ。
「はぁ…まったくルイは…。ではな青年、もう話す機会もないとは思うが――いや、余計な口出しついでにもう一つだけ」
「?」
――たとえ卑劣な手を使われようとも。多勢に無勢な状況であろうとも。だからといって知恵を働かせず。ただ逃げ惑うだけの者もまた貴族にあらずだと、私は思う。
「…」
抜き身の刃がごとき鋭い雰囲気と立ち姿を併せ持つ女性は、厳しくも貴族としては正しい在り方を捨て台詞に、先を歩く小柄な生徒の跡を追う。
『権力があるから、武力があるから、そんな強くあれるんだ!』なんて負け惜しみの言葉すら溢すことも出来ず。
薄い…橙色の髪を持つ少年は、美しく気高い女生徒の背をただ見つめ続けるだけだった。
◇
「それでさ、セナミレイユ様が――」「聞いた、聞いた」『上級家族の中でも最高峰のお家柄なのに』「でも淑女としては」「凄いよね、俺なんかビビって――」
時は流れて昼休憩の食堂。
今日から、親元離れて寮住まいとなる多くの学生が午前の式も終え、自由となった時間を満喫する為にごった返していた。
まぁ、とは言ってもそれは下のロビーでの話。
上級貴族のみが使えるこのエリアでは、騒がしさは上ってくるものの、煩わしさは少しもない開放的な空間である。
「―――」
実はこの学園には他にも、そういった下級と上級の貴族とで差別化が図られている施設が多くあり。今でこそ慣れたが、そこに込められた学園側の配慮と意図が透けて見えたりもする。
(上級貴族のあくなき欲求は凄まじいからなぁ)
おっと、このペラルーン豆め!狡猾にもそんな所に隠れていたのか!まったく、コールドに気付かれずに皿へ移す僕の身にもなれ!ほんとに。
「始業式から大人気ですなぁ、セナミレイユ嬢」
「そ、そうですよ、ボクの教室でも話題でしたよ」
「別に大したことではないよ」
「まぁ謙虚なこと。どこぞの〝愚者〟と違って素晴らしいですね。セナミレイユさんは!」
「おい、誰のこと言ったんだ。その愚者ってのはッ!」
愚者と聞いて背筋が一瞬ピクッとするも、どうやら僕のことではないみたいだ…コールドの皿に差し出したスプーンを引っ込める。
「あら、べつに特定の誰のことでは…ですが、もしかして愚者としての自覚がおありでしたか?」
「てめぇ、喧嘩うってんのか?」
「これだから愚者…間違えた。コールドさんは短気なんだから」「おい、お前。いまハッキリと俺のことを愚者って呼んだよなぁ!」
「いえ、聞き間違いかと…耳まで愚かとは救えない」「おい聞こえんてんぞ!この優れた耳でなぁ!!」
「た、確かに。コールドさんがセナミレイユさんの立場なら、墓場まで自慢し尽くしそうですもんね」
和やかで賑やかな食卓を囲むのは、僕とセナ共通の友人たち。
ワイルドな風貌に似合わず優しい男、コールド。
おどおどした口調とは裏腹に毒を吐く、ニーナ。
コールドとは何故か気が合わない、フィアナ。
例え王様の前でも、気兼ねなく食事を楽しめる自信のある僕だけど…それでも彼ら彼女らの前では気楽にいられるから好きなのだ。
こうして上級貴族のテーブルでありながら、下らない会話で盛り上がれる状況が。
「でも、一体全体何だったのでしょうね」
「何が、だよ?」
「あ、朝の騒動のこと?」
「えぇ…どうして彼らは始業式という日に。それも衆目を集めるかのような騒ぎを、わざわざ西門の前で起こしたのでしょうか?」
「…」
「ん、ん〜」
(おっ、このサラダ美味ッ!)
「さぁ?私には奴らの考えは分からないな…」
セナは山盛りのサラダをむしゃむしゃと頬張る僕や、フィアナの疑問に押し黙って悩むコールド達を見回してから口を開く。
「――だけど、分かることもある。あの場・あの時・あの状況下には、正義も誇りも存在しえなかった…とはね」
「おぉ〜」「流石はセナミレイユさんですね、ご立派なことです」「そ、尊敬します」「…正義、ね」
「ルイ、どうかしたかい?」
「いんや」
校庭の隅で育てられている草食動物のように、野菜を貪り食っている僕は…こんなナリをしていながら〝正義〟という言葉を嫌っている。
より正確に言うのなら〝正義という言葉を使うこと自体〟を、一丁前に嫌っているのだ。
まぁ、そのことについて深く語るつもりはない。
みんなも十数年しか生きていない若造の、痛い自己語りなんて聞きたくないだろうし、それに…そんなの僕には似合わないと分かっているから――
――…ただ。見方を変えれば見え方が変わるのは当然の話。もしかしたらボロボロの少年を追い詰めていた彼らにも、彼らなりの正義があったのかもしれない。
彼らを悪だと決めつけたセナの方にこそ、権力と武器で下級生を脅し、いらぬ説教を喰らわして良い気になる、悪女が見てとれるかもしれない。
…だからこそ僕は不確定すぎる〝正義〟という言葉を避けている。この世に蔓延る正義の殆どが、ていの良いモノか行き過ぎたモノだと知っているから。
本当の正義なんて、それこそ何千年と顕現していない女神様くらいにしか知らないのだろうと思っているから。だから僕は――
「――まっ、十中八九あれだろ。新年度早々クラスメイトに上下関係を叩き込もうとして空回ったんだろ。そういうのはファーストインプレッションが肝心だかんな」
「や、やけに具体的だけど、じ実体験だったりする?」「フィアナの影に隠れてるけど、ニーナ。お前も中々俺の事を馬鹿にしてるよな?」
「え?、あ、いや別にそういう訳じゃ」
「はいはい、そこまでだよコールド君…あんまりニーナを苛めないの。それとフィアナに罵倒の餌を与えていないで早くランチ食べちゃいな?…冷めちゃうから」
だから、ほら、さっさと、その豆を、食って、証拠隠滅しろ。さぁ、早く!!
「俺だッけが、悪党かよ!納得いかねぇ!!」
「ふふ、ルイ。あまりコールドを揶揄わない。ニーナもフィアナも」
「『はーい』」
「ごめんね、コールド。久しぶりに会った友人にみんな、少し調子に乗ってしまったようだ」
「え!あ、いや大丈夫!だから、全然。俺は一切これっぽっちも気にしてねぇ、から。むしろドンと来いって具合だぜ」
「そう…かい?」
朝こそ少しバタバタしたものの。こうして再び仲良し五人組で集まれ、賑やかに昼食を楽しめている状況に感謝し――
「――ってか、話は変わるけどよ。ルイお前聖剣はどうしたんだよ?」「コールド黙れ」
「あら」
「ほ、ホントだ。それは…き、貴剣?なんで」
「ああ、そうなんだ。皆んなも聞いて――」
コールドの無駄な時ばかり鋭い観察眼と、セナの余計な密告によってバラされた聖剣の紛失は、みんなからの罵倒。
並びに聖剣の大切さと重要性を懇々と説かれる権利を頂戴する羽目にあったのだった…仲良し五人組は今日で解散だぁ!!
それと『剣は心…魂』なんだってさ。
◇
春真っ盛りと言えども夜吹く風は未だ冷たく。
皮肉にもご自慢な黒髪は夜風の誘いに靡き、煩わしくも踊らされ、傷一つない小ぶりな僕の耳を露わにさせる。
「寒ッ」
僕がいま歩いているここは、校舎横に引かれた石レンガ製の古い道で、過去には大砲を引く道だったとか。
しかしそれも昔の話。今は人通りが少ないながらも道は綺麗に整備されており、夜なんかは橙色のグランドライトが下から木々を照らしている。
夜の授業も夕食も終え、あとは寮に戻るだけという時に僕は、少し遠回りながらも、この物静かな道を使っている。
たったっ、たった。
風に流されてゆったり揺れる木々に、上から地上をぼんまり照らす月星。僕は一人寂しく歩くこの静閑なる時間が好きだった。
なんて事を考えていたのがいけなかったのか。
〝たったっ、たった〟という聞き馴染み溢れる軽やかで楽しげな足音が、後方から近づいてくる。
(はぁ、一人を楽しんでいたのに。まったく寂しがり屋さんなんだから…)
僕は自分の口角が緩まっていることを自覚しながらも、木々に倣ってゆったりと振り返る。
するとやはりそこにはセナがいた。
「ルイ、一人でどうかしたの?」
「んぅ?…いんや。久しぶりの寮生活だからね、体を慣らそうかと思って。食後の散歩がてら歩いていただけだよ」
「本当に?」「ほんとーに」
「ふ〜ん」「なにさ…」
誘わなかったのがいけなかったのか、幼馴染は拗ねた子供みたく口を窄め、流れ星のように綺麗な色の髪を整える。
「お風呂は?」「まだだよ」
「一緒に入る?」「君は僕を何歳だと思っているんだい」
「ふふ、冗談だから」「タチが悪いよ?」
「―――」「…ふんぅ」
景色を眺め、黄昏ていた僕の隣を歩くセナ。
空いていた左隣から感じていた、聖剣の時と同様の居心地悪さを埋めてくれる。
「ねぇ、ルイ。聖剣は本当の本当に失くしたん…だよね?」「…なんでそんなこと気になるのさ」
「そんなことって国の一大事だから…じゃなくて、私にはルイが…聖剣を〝自分の手で〟手放しているように、見えるの」
「あー、はは」
僕が彼女と共に歩んでいる状況に安心を覚えるように、彼女も僕に同じ感情を抱いてくれている。
だって僕らは…それこそ僕が聖剣と共にした年月と同じ…つまり産まれてからずっと、共に歩んできているんだから。
「ねぇ、ルイ」「――大丈夫だよ、セナ」
だからこそ僕は、僕の心なら簡単に見抜くセナを安心させてあげたい。
「きっとセナの心配しているような事にはならないから」「本当に…本当に大丈夫なんだよね?」
「大丈夫だって。僕がこれまでにセナの信頼を裏切った事が…何度か合ったことは認めよう。ホントごめん。でも、けど今回こそは本当の本当に大丈夫だよ――この気持ちに誓ってそう言える」
「―――」
(…こういう時は普通。剣とか誇りとか信念に誓うんだろうけど、生憎と今の僕はそのどれも持ち合わせてないので、彼女に対する嘘偽りない気持ちに誓った)
「―――…」
「…―――」
「…はぁ、分かった。今はルイの言葉を信じることにする――だからそんな顔をしないで、ね」
「ふふんぅ…セナは昔からこの顔の僕に甘いからね。まったく悪い男に騙されないか心配に…って何だ、アレ?」
だん、だっだっだっ。
遥か前方より、静かで甘い雰囲気をぶち壊す化身が、大振りな腕を振るって走ってくる。(君らはこれしか登場パターンを知らないのかい?)
薄暗くとも分かる、あの大柄なシルエットは――
「おーい、ルーイ!」
「どうしたんだよ、コールド。そんな走ってきてからに」
「もう風呂入ったか?」
「君らの話題はそれしかないのかい?」
◇
聖剣を紛失した日から数えて七日目の昼。
新しいクラスメイトとも良好な関係を築け、いっそう専門的に難しくなった講義に邁進し、僕らが始業式の喧騒すら忘れた頃――それは起きた。
それは春の暖かな陽気に昼食後というダブルパンチを喰らって、僕が落ちかけていた時のことだった。
『―――』
とてつもなく大きな爆発音と共に、机や椅子どころか教室を揺らすほどの衝撃が襲ってきたのだ。
あぁ最初に断っておくけれど、学園物語お約束のテロリストとか武装集団による襲撃ではないよ。
誰も、腰から真剣をぶら下げている集団に喧嘩を吹っかけるような真似はしないからね。
だから〝居眠りのルイ〟こと僕は、ガス管の破裂による爆発だと推理したわけなのだが…それにしてはどうにも教師陣の反応がおかしかった。
適当に事情を説明して、さっさと授業を再開すればいいものを…教師は結局一限丸々潰して事故対応に追われていた。
『ガス管の破裂ならそれも当然。むしろ生徒を避難させるべきだ』と普通はなるのだろうけど、あいにく僕らは優秀な剣を持つ貴人であり貴族だ。
ガスを吸っても息ができなくとも死なないし、爆発をまともに無防備に受けても死なない。
だからこそ今回の事故は〝不思議〟であった。
――ので、僕はその日の授業が終わるや否や他クラスの教室へと走った。
「…」
他の講義を受けているセナの所ではないぞ!!
あの潔白で潔癖で高潔な女性は〝不正義〟を許さないから。それはもう不正義に親でも殺されたのかと思うくらいに(彼女の両親は共に健在だ)。
だから今回の事件で、僕が知りたい情報を僕が知ろうとすること自体を否定する筈だ。
それは少し面倒なので、僕はそういった清濁を飲み込める人材の元へ――そう、コールドとは犬猿の仲であるフィアナ嬢の元へ向かっていた。
「…えっー、と」
どうしてフィアナの元へ向かったのかと言うと、大商家の出である彼女は世に言う情報通で、学園での事なら何でも知っている…という噂がある。
事実、前に落とし物で困っていたら、落とし場所を教えてくれたりもした。当時の僕は知っているのなら拾っといてよ、と思わなくもなかったけれど、まあ情報と噂に偽りなし。
「あ、いた!」
――てなわけで、教室へ遊びにきた僕は廊下から、胡桃色のふんわりした髪の女性へ手を振る。
すると彼女もこちらに気が付いたようで、僕を見て珍しそうに目を細めるのだったが、その姿はまんま狐のようだった。
「ごめんね、友達と話してたのに」
「いえ、お気になさらず…友人たちも勇者様の姿を間近に見られて嬉しそうでしたし」
「えぇー。ホントかなぁ」
「ふふ…それでルイさん。ご用件は?」
「あ、そうだった。フィアナと二人だけで話すのが久しぶりで、用件を忘れるとこだった。…実はね、教えてほしいことがあるんだ」
「?」
小首を傾げる彼女の所作は、とても金銭で貴族位を買った商家の娘とは思えぬほど流麗で、お手本のように可憐だった。
…が、そんなこと今はどうでもよくて。
兎にも角にも情報が欲しい!知的好奇心を埋めたい…けれど、情報の対価なんて持ち合わせてはいない僕は、だから彼女の前で悩みに悩んだ末。
恥も外聞も貴族らしさも捨て、友人価格ということで何とか、フィアナ嬢に〝おねだり〟しながら尋ねてみることにした。
しかして呆気なく、可憐さ勝負では負けないことをついでに証明した僕は、やはり全容を知っていた彼女の口から意外にもすんなり。
情報を引き出すことに成功した――のだがそこには、想像外の事実がねじ込まれていた。
「今回の爆発は実は、事故ではなく事件だったのです」そう淡々と語り出すフィアナ。
そんな彼女とは違って、僕は内心『まさかのテロリストフラグが!?』なんて慌てていたのだが、犯行グループの特徴を聞いて更に驚く。
事件を起こしたのは、始業式の日に西門前で暴れていた側の、学生集団であったという。
事件の原因はいじめの延長線。
危険な実験中に主犯格の男子生徒が、いじめ対象者の器具をワザと破損。それによって混ざり合ってはいけない薬品が混ざり合い大爆発といった具合。
当然、実験室は当分使用不可能。上下左右の部屋も半壊した為に、他のクラスでも授業の遅れが出ることは確実らしい。
まあ幸いにも、室内にいたのは全員貴族だったので怪我人こそいなかったらしいが、しかし問題を起こした男子生徒は当然。いじめを黙認していたクラスメイトや担任の教師にも、連帯責任として相当に重たい罰が下るらしい。
それが今日の昼の出来事だった。
「…ありがとッ!」
話を最後まで聞き終えた僕は一応。情報の代価にと腰から儀礼剣を差し出すも、にべもなく断られてしまったので、素直にお礼だけを述べて走り出す。
今度は下級生のクラスへ向けて――
◇
始まりは些細なイタズラからだった…と思う。
始業式から遅刻しないよう、朝早くに登校した僕が標的となったのは多分きっと偶然か…それとも運命であったのだろう。
朝早くから登校した僕よりも先に教室で会話していた二人組は、やがて三人組に、三人組から集団となっていき――彼らのイタズラは始まった。
最初は足をひっかけてくるような些細な嫌がらせから、次第に物を投げ付けられるようになり、持っていた本を奪われ、鞄を奪われ。
果てには剣すら奪われそうになって、そこで僕は逃げ出した。
しかし二、三回しか来たことのない学校である。土地勘なんてものある筈もなく…僕は逃げようにも逃げ切れず。ただ追ってくる奴らを振り切る為だけに走り回った。
そこで起きた上級生とのトラブル。
それは彼らの自尊心を大いに傷つけた、僕や周囲の弱者と見下す人間から舐められ、馬鹿にされたと感じるほどに…。
そうしてイタズラは嫌がらせへと変わり、やがてはいじめへとエスカレートしていった。
この数日間。
小さな教室で彼らは確かに頂点だった。教師すらも黙認する王様の独裁政治だった…が、しかしそれも今日の実験中の爆発によって崩壊する。
彼らもまさか、あの程度の悪戯があんな大爆発を生み、これ程までの騒ぎになるとは思ってもいなかったようで、あの時の恐慌が脳裏に残る。
爆発後の授業は全て潰れて自習。
一人ずつ専門の先生に呼び出され、事件の原因を知った学園長から下された罰と判断により、クラスの評価はガタ落ち。
当然、クラスに在籍する生徒や教師の評価も急降下してゆく。貴族学校でそれはつまり、将来への暗雲を意味することとなる。
だから、だろう。
「…」
「…なんで私たちまで」
振り出しの雨音かのような、罅の隙間から染み出た水滴は、しかし通夜のように静かな教室によく響いた。
「はぁ?んだよ、全部俺らの所為ってかよ!」
いじめの主犯格で尚且つ、クラスで唯一の上級貴族であるグレイは怒りのままに怒鳴り声を上げ、間髪入れずに目の前の机を蹴り上げる。
いつもなら、これで黙る。
しかし、今回においては悪手だった。
静かだった教室に鳴り響く、金属と木材の転がる音はぐわんぐわんと耳から脳を揺らし、罅割れていた堤防がいよいよ決壊する。
「…お前らの所為だろ」「お父さんに何て説明すれば」「足引っ張んなよ」「上級貴族だからって偉そうに」「勝手に行動したんだから、勝手に沈めよ」「イジメなんてするから…」
これまで触らぬ神に祟りなしとはがりに、イジメと横暴を黙認してきたクラスメイトの言葉は、次第に徐々に確実に彼らへ向けて流れ込む。
「ふっざけんなよ、テメェらだって黙認してただろ」「そ、そうだぜ」「立派な共犯だろ!」
「うっせぇ」「そもそも私は彼を虐めることを否定してた」「勝手に死ね」「お前らがこの学校にきたから」「なのに貴方達が圧力で従わせてたんでしょ」「消えろ」「全部お前らの所為だ!」
「はぁ、ふっざけんな!」「お前らも笑ってたじゃねえか」「そうだぜ」「俺らだけ悪者かよ、、裏でのこと吐けば先公も」
「はは、お前らだって十分――ッ痛」
グレイの言葉は、彼の顔目掛けて投げられた鋭いペンによって遮られ、彼の王国は反乱という革命に飲み込まれ、崩壊する。
「痛ってぇな!!テメェ、ぶっ殺すぞ!」
「――お前が死ね」「てか、殺す」「お前らが…お前らの所為で」「私は何も悪くないのに」「何もしてないのになんで私たちまで」「これまでの努力が…お前らの為に。殺してやる」「殺す」「首縛って自殺したって事にすれば」「自分で責任とったって」「ロープ持ってこい」「こいつらが全部悪いんだから、死んで当然だよな」
「は、はぁ?ま、待てよ。冗談だろ?いや、まだ親父の力使えばこんな細事――」「落ち目の貴族が何言ってんだ」「黙って従ってれば調子に乗りやがって」
「お、俺らは関係ねぇぞ!」「そ、そうだぜ、コ、コイツに無理やり従わされてただけで」「俺はシラねぇから」「はぁあ、ふざけんなよテメェら、っておい!逃げんなよ」
「あ、おいコイツだけは絶対に逃がすな!」「ロープ持ってきたぜ」「縛るから、そこ結べ」「おい、おい!!お前らマジで…まじで待てって、俺の話し聞けよ!」
「偉そうに気取ったんじゃねぇよ」
彼の綺麗な顔に拳が飛ぶ。蹴りが腹に入る。チャラチャラと耳についていたイヤリングは引きちぎられ血が散る。髪は引きちぎられ、背中は彼自身の剣で鞘越しに叩かれる。
『いい気味だ』
そんな声が聞こえてくる。誰かからではなく皆から。因果応報。他人をいじめるから、圧政を敷くからこんな事になっているんだ。自業自得だ。
『俺らは私たちは僕たちは間違っていない』
こいつが悪だ、こいつを殺すのは正義だ、こんな悪人を殺すのは問題ない、自分達が社会に殺される前に殺せば問題ない
正義に乗せられ、正義に魅せられ、正義に脅された彼女、彼らは正義の代行者・代弁者として悪を叩く。
周囲の流れに呑まれた者。過度で過剰なストレスにおかしくなった者。不安と恐怖に苛まれた者。
おそろしくも雄大な、おぞましくも公明正大な正義という名の大海は…荒ぶる人の意思は、津波のように彼を底へと引き摺り込む。
「…ッ」
か細い声で助けてと僕に向けて囁くグレイ。
なぜ僕に言うのか、僕が同じことを願った時は笑って腕を蹴ってきたくせして、どうして…どういう神経してそんな頼みが出来るのか?
ホント、人様の人生の邪魔をする前にみんなの前から消えて…死んでしまってくれ――
――そう、思えたらどれほど良かっただろう。
震える足はそれでも自然と前へ、助けを求める彼の元へと動いた。
彼が可哀想だと思ったから?
「違う」
彼には改心する余地があると思ったから?
「違う」
彼を可哀想だとでも思ったから?
「違う、違う」
「や、やめてあげてくれ!!」
そんな慈悲も先見も崇高な理念も理由も持ち合わせていない。ただ、ここで『彼を助けなければならない』と、そう思ったから、僕のつま先は動いたのだ!
例え弁当を頭から掛けられた相手だろうと、クラスメイトの殆ど全員から罵声を浴びようと…。
「んだよ、お前!庇うのかよ」「お前もコイツに酷い目に合わされてただろ!」「お前もコイツの仲間なのか」「そもそもアンタが虐められていた所為でこうなってんのよ」「そうだ、コイツも同類だ」「吊そうぜ」
恐ろしい。
僕をいじめていたグレイの瞳には、喜びの感情があった。下位者をいじめて安心感を得られる喜び、鬱屈とした日常から解放される喜び、そんな感情で瞳はらんらんと輝いていた。
しかし今も口汚く罵り叫ぶ彼ら、彼女らの瞳は違った。
まるで廊下に落ちていた紙屑をゴミ箱へ捨てるかのような、間違えた文字を消し去るかのような。
当然のことをしていると、自分の行動の正当性を信じて疑わない…そもそも信じるとかそういう話ではなくて。当たり前の善行を積んでいると…一種の無感情ですらある瞳をしていた。
(正直怖くて堪らない)
行っていることは断罪されるべき悪なのに、しかしこの人たちの瞳は澄んでいるのだから。己の行動を誇ってすらいるのだから。
でも、しかし、だけど、それでも僕は一歩も引かない。何が僕をここに引き留めているのか、貼り付けているのか分からない。
でも彼ら彼女らの行いが〝間違っている〟ということだけは分かった――だから引かない。
「邪魔すんな!」
けれども現実はそんな心情を一切鑑みず、自体は急速に発展し、一人の先走った男子生徒が己の剣を抜剣。グレイを庇うようにして立つ僕に切り掛かってくる。
二秒後には右肩から左脇腹までが、ずさりと切られた肉の塊が出来上がる想像が、みなの脳内で瞬時に出来上がったのだろう。
思わず僕すらも、そんな光景から目を伏せた。
だがしかし、そんな時は訪れなかった。
「――君の勇気ある行動に、当代勇者たる僕が純然たる敬意を表そう。君はこのクラスの誰にもなしえなかった行いをした」
◇
緊張の糸が解けたのか、はたまた恐怖に腰が抜けたのか、座り込む少年の目を見てしゃがみこむ僕は、気高き子羊である彼に伝える。
「僕は君を心から尊敬するよ」と。
なにせ本当は手出しするつもりなんて無かった。
野次馬の一員として…例え怪我人が出ようと、無視する構えでいた僕は、彼の勇気に魅せられた。
この前は馬鹿にして悪かったね、と心の中で謝罪をしながら立ち上がり、今度は集団を見据えて叫びを上げる。
「僕の名はルイーゼ=クランシズ=キサラギ。悪鬼羅刹の悉くを滅ぼし、星に平和を取り戻せし初代勇者の末裔である!!」
セナをイメージした名乗り上げは「キサラギ様だ…「勇者様だ」なぜここに」「本物か!?」「ならアレが――」「噂は本当だったのか…」廊下のギャラリーや教室の一部から驚嘆・感嘆の囁く声を募らせる。
「『我が祈り、我が願い、我が想いに応え顕現せよ。この血に縛られし、唯一にして無二なる神の剣ーー世界の理そのものよ』」
(心臓がドクドクと煩いなぁ)
【こんなものが正義…だと言うのなら…なら僕は一体なんの…誰の為に……】眼前に広がる死屍累々と喜色満面に思わず、剣を手放した嘗ての僕。
「『その聖なる力の一端を我が手中に』」
(あぁ、目が熱い)
そんな僕が人の為に再び剣を取る。
もう唱えることもないと思っていた祝詞を紡ぎ、勇者の魂から溢れ出る光を剣へと形成する。
その剣は不失であり、不滅であり、不壊であり、勇者にしか触れられぬ剣。教会関係者は剣を神剣と呼び、王侯貴族は聖剣と呼び、民衆は――
「彼に剣を向けるというのなら、この僕が…歴代最強の勇者ルイーゼが相手になる。どこからでも掛かってこい!」
「まあ怪我しても…治療費は払ってやらんがね!」
――勇者の剣と、そう呼んだ。
◇
とある翌日の昼下がりにおいての蛇足。
「へぇ、じゃあ自主退学って形になったんだ」
「そうみたいです。事件の加害者であり被害者でもある生徒も、すんなり親の言に従ったとか」
「何にしても気持ち悪ぃ話しだったな!」
「そ、そうですかね?」
「まあ何はともあれ良いじゃないか、問題児だった生徒は穏便な形でいなくなり、ルイの腰に聖剣が戻ったのだから――」
「そ、そうっすよね、俺もそう思うっす」
「――それでルイ…彼が」「そう、セナは始業式の日に会ったよね。新しく僕の友達になった…自己紹介は自分でした方が良いよね」
「ぼ、ぼぼぼぼくの、な名前は――」
始業式の日の小鳥や木々の祝福は、やっぱり僕の気のせいではなかったようだ。…こうして新たな友達を迎えることができたのだから。
◇
「大将、ラーメン一つ」
「あいよ!」
「…ん?おいおい、その白いの…まさか鞘かい?――なんだよ大将、貴人様の真似事でもしようってのかい!?」
「ちっげぇよい馬鹿野郎!これはお忍びで来られた貴族様が、忘れた金の代わりにって置いていかれた、れっきとした真剣だ!アホんだらぁ」
「マジかよ!…こんなおんぼろラーメン店に貴族様が来るたぁ、変わった貴族もいたもんだな」
「テメェ馬鹿にしてんのか!」