第75話 底狼
この場所には天蓋の裂け目からゴミが投げ落とされ、それを狙って弱い魔物が入り込む。いるのはそいつらと同業者、たまにやって来る行商人くらいだ。出口は部屋の端にあり、もちろん衛兵が見張っている。衛兵は技量や、自らの肉体を強化する術に長けた者がなる。勤務地も、各々が持つ魔術的特性によって左右され、例えばこの底部であれば、腕っぷしはそれほど強くなくても良く、暗視と疫病に対する耐性などが優先されることだろう。
そうした人々を、フォルディア国外に生きた者の記憶を持った上で考えると、異様さが引き立つ。まるでこの王国は、ラップローヴの本の中のようではないか。定義づけをされた人々がそれを忠実に遵守し、内心嫌々ながら復讐を遂げるしか道の無かったエルナのように生きる。なんとも寓話的な、滑稽な民ではないか、とブロウは暗がりにて一人ほくそ笑んだ。彼の内面を支配しているのは、外部から得た力によって自由になれる、という希望と優越感であった。
荷車を引く足取りも軽くなり、リニィにてユルゲンの写し身に害された風生まれ、シャンティが好んでいた舟歌などを口ずさむ。
宵の口にゃ酔いも覚め
オーマの酒は蝶びたし
西のラーレの娘たち
おいらの髭を編んどくれ
その歌に惹かれてか、一匹の魔物が滑り込んで来た。
底狼、そう呼ばれる生白く痩せた狼だ。かつてこの地を襲った大狼が残した暗がり〈スコルの疵〉から生まれる、最も卑小な仔。少し驚かせば、非力な底這いずりでも追っ払える。だが、ブロウは強力なる魔剣にて討伐することを選んだ。
剣を縛っている縄をほどき、荷車から下ろす必要はなかった。使用者が必要なときに、それは手に握られている。しかしブロウは二振りも必要としていなかったので、片方の剣を両手で握り、狼を斬った。そうして、小さな魔石を取ると、亡骸は他の同業者や生き物に任せて先に進んだ。
裂け目から光が差し込んでいる場所にたどり着くと、そこで休憩を取ることにした。水が湧き出ており、少しばかりの草木も繁茂している。リニィで巨人の残骸が安置されていた場所を連想させた。
あそこにいた妙な少女は〈鬼火斬り〉の一人だった。いや、そういうことにされたのだろうか――あのページでできた怪人によって、エルナの出会いが流用された。そのようなことも起こり得るはずだ。破砕されたというアレッシアの世界と同じく、エノーウェンもまた、無数の断片の集合体だ。過去と未来、各人の人生行路は組みなおされ、羅列された文字となって目の前にまた現れる。




