第73話 底這いずり
ひび割れた鏡に自分の姿が映った。吸血鬼は鏡に映らないという言う者もいるが、それは正確ではない。そういった特性を持つ、高位の個体がいるというだけだ。目は深紅で、口を開ければ肥大した犬歯が見える。当然、顔色は青ざめているが、これはこの種族になる前、エルフだったころからそうだ。日の当たらない場所で粗食を続ければ、誰だってそうなる。
吸血鬼には、同族に噛まれ、しかるべき儀式を受けてなる者もいれば、迷宮病の症状や魔法具の効果で変異する者もいる。ソラーリオなら何れにしろ、すぐさま捕縛されるだろうが、フォルディアの底部で痩せこけた、死体漁りの不健康な男が、一人変貌したところで誰も気に留めたりはしない。
エルナは復讐に縛られ、嫌々ながら遂行していた。モーンガルドの労働者は、くたびれ果てた顔でのそのそと蠢いていた。まるで自らが世界で一番不自由だと言わんばかりに。しかし自分に言わせれば、彼らは自由この上ない。
このフォルディア王国では国土も、民も、その役割も、すべてが細かく区切られている。国土そのものが一つの建物、一つの迷宮であるこの地は、まず魔力が物を言う。これが乏しければ王侯貴族だろうと容赦なく下に落とされる。ほぼゼロに等しい魔力しか持っていなかった者は、この底部の暗がりにおいて、上から投げ捨てられるゴミや死体を漁って生きていくしかない。
だが、自分には幸運が舞い込んで来た。このまま一生を終えるかと思いきや、魔剣ラップローヴという贈り物を授かった――二振りも。どうやらこの荷車も保有者としての定義に入るらしく、壊れることはないようだった。そして、ガヴィンとエルナが出会った人々の記録が本には刻まれている。
この力を利用し、フォルディアから脱出してやるのだ。
まずはこの、どん底の空洞を端まで横断する必要がある。荷車にはラップローヴと薪、穴トカゲの爪と鱗、干し肉などが積んである。今や食事に関しては大して気にする必要もないはずだ。エルナも横着がって気が向いた時以外は食事を抜いていた。疫病や怪我も恐れる必要はない――とはいえ、ここには自分を傷つけるような魔物や犯罪者はいやしない。一応は吸血鬼であり、常人よりは少しばかり腕力や生命力は強いはずだ。
天蓋の裂け目から光が差していた場所を離れ、闇の中に入って行く。荷車の後ろからアレッシアが付いてくる。彼女はエルネスティーネという個人ではなく、ラップローヴ保有者全員に対する傍観者らしい。彼女は無害どころか、変身の土台として有用ではあるが、次に受けるペナルティもそうだとは限らない。エルナが二度行った、標的への改竄は避けるべきだ。




