第63話 雷獣
「見事よ。よもやそなたが、ここで開眼するとはな」
エルナの会心の一撃を、しかし南塔卿は剣にて受け止めた。動かざる山のようであった。
「詫びねばならぬ。躊躇いがあった。負い目があった。全身全霊と謳いつつ、手心があった。恥ずべきことよ。エルネスティーネよ、これより儂は、南塔卿でもグリツィーニエでもない。単なる一剣士と成ろう」
もとよりあの長ったるいしいフルネームは覚えられていない。それに最初から、肩書や家名はこの戦闘に大した影響も及ぼしていない。今さらの宣言だと思いつつエルナは、快晴だったはずの空が曇っていることに気づいた。分厚い黒雲が天を覆っている。
雲間で光がちらつき、雷鳴が響いた。
「雷神の祝福によって授かった神通力。そなたにならば――」
老剣士の最初の一撃と同じく、何の前触れもなく豪雨が降り注いだ。大風とともに、彼の魔剣は眩い雷を纏う。
雷神ソリスの恩恵はそれにとどまらなかった。轟音とともに落雷があったかと思えば、老剣士の周囲を、三匹の獣が取り囲んでいた。
模様のない虎にも見えたし、狼にも見えた。雷を纏い唸り声を上げるそれは、触れただけでたちどころに身を焦がし心の臓を停止させる、稲妻の暴威そのものだった。
ヴェントにおいて雷に打たれることは、雷神ソリスに祝福を受けることだ。どうやらラディスラウスは優れた肉体と精神のみならず、神性という強力な武器をも得た人間らしかった。祝福に相応しからぬ者は、もちろん骸となるのみだ。
エルナはしかし、怯んではいない。叩きつける雨と同様に、復讐への倦怠感が己を苛むが、役目を果たすことを躊躇ってはいない。だが、雷獣とラディスラウスの一撃が放たれると、勝機が消え去ったと思わざるを得なかった。
落雷そのものの突撃によって脳髄と魂魄までもが白い閃光に呑まれ、肉は焼け焦げるどころか炭化し、不壊のはずの魔剣ラップローヴまでもが一部溶融する。復讐者は痛みを感じる前に心臓が止まり、即死していた。
当たり前のことだが、人族は神には勝てない。そして落雷、大嵐――天災というのは、神の御業である。即時的に蘇ったエルナだが、今のラディスラウスの攻撃は見切るどころではない、と認めるしかなかった。そうする間にも再び全てが、白く雷光に染められる。復讐劇はここで仕舞いだと、一線を画されたような気がした。だが、本に書かれた文字は――復讐者という役割は、まだ焼け落ちていない。
残された手は一つだ。この雷神に祝福された老剣士もまた、〈本〉の中の登場人物に過ぎない。ラップローヴの力によって、異形の騎士エドゥアルトを退けたように、彼の定義を改竄するのだ。その反動――現実を書き換えたことに対する罰によってエルナに新たな定義が加えられるだろうが、このままでは埒が明かない。
復讐を遂げることが、すべてに優先するのだ。




