第3話 変容する獣
エフェメラが言ったとおり、周囲には魔物の姿はなかった。比較的安全な迷宮ということなのだろうか。荒れ果て、がらんとした屋敷のような場所を、二人は順調に進んでいく。
やがて長い階段と、その先に口を開ける門が見えてきた。陽光が差し込む出口を目にして、ガヴィンは安堵する。だが、エフェメラは笑顔を曇らせ、なにやら深刻そうな顔をしている。
「ガヴィンさん、私はここまでです」
ここまで、とはどういうことだろうか。怪訝に思っていると、突如として彼女の体は黒い煙に覆われ、その姿を変えた。長身のガヴィンよりもさらに頭一つ大きい、巨躯の戦士だ。恐ろしい怪物の顔を象った兜で、その表情を窺うことはできない。
「我が名は〈悪鬼のヌミトル〉、エフェメラに代わって我が身の秘密を明かそうではないか。ガヴィンよ、我らは人族ではなく魔物なのだ。それゆえに迷宮外へ出ることはできぬ」
ヌミトルと名乗った戦士によれば、この〈赤蜘蛛邸宅〉の下層はさらに危険な地下迷宮に接続されており、そこには喰らった相手の姿と力を奪う、危険な魔物が生息していたという。
〈変容する獣〉と迷宮守りたちが名付けたそいつは、ヌミトルやエフェメラを含む探索者多数や魔物を喰らい、時にその姿に化けて油断させ、犠牲者を増やし続けていた。
獣の危険性はその変身能力のみならず、〈昇階〉の特性を持つことだった。
「通常、魔物は迷宮の階層をある程度しか移動できん。例外としてスタンピードとか流出と呼ばれる現象や、ある種の召喚罠などが挙げられるが、〈獣〉の奴めは他の魔物や人族に化けることで、その縛りを越えるものだ。我ら、〈獣〉の犠牲者はどうにか奴の意志を押さえつけているが、それでも街の外へ出ることはあまりに危険だ。いつ、この危険な捕食者が目覚めるか分かったものではないし、下手をすれば軍が討伐に動く可能性すらあるのだ。分かってくれるな、ガヴィン」
悪鬼の面でねめつけ、ヌミトルは決然と言い放つ。彼らは初め、ガヴィンを介抱するために最も人当たりのよさそうなエフェメラに任せ、今は、こうして我が身が危険性を説くために、恐ろし気なヌミトルに交代したようだった。
ガヴィンとしては無理に彼らに来てもらうわけにはいかないが、過去を失った身であるために、ロドー家と繋ぎを付けるには味方が必要だ。街の中まで来てもらうわけにはいかないが、途中まではだめか? と尋ねると、
「ううむ、確かに我としても貴公一人で行かせるよりは、もうしばらく同伴したいという意思もある。だが、我らの総意としては――ん? 何、そうか、それを早く言え、ああ、初めのころに捕食されたゆえに、出てくるのが遅かったと? 栓無きことか」
ヌミトルが何かぶつぶつと言っている。他の犠牲者と何か話しているようだ。
「すまぬな、ガヴィン。どうやら召喚士が我らの中にいたらしい。そやつが我らの声を代わりに届けてくれるそうだ。これで貴公を引き続き助けることができるな」
ヌミトルが心なしか喜色を帯びた声で言った。
「我らは〈獣〉に喰われし残滓に過ぎぬ、だが迷宮守りとして、未だできることがあるならばそれを成す、それが我らが共有する理念よ」
ガヴィンは、まるで徒党のようだと評する。これにヌミトルはさらに気を良くし、
「おお、まさにその通りよ。うむ、これまで〈犠牲者〉と自らを称していたが、そのような敗残者のような呼称は相応しくない、これより我らは奴めの名を頂戴するとしよう。我らは徒党〈変容する獣〉よ」
ヌミトルは黒い煙に包まれ、長い髭のドヴェルの老爺に代わった。彼は頷くと、手のひらに翼の生えた小さな少女――妖精を召喚した。ガヴィンはこの使い魔を伴って、迷宮の外に歩み出た。