第158話 西帝国兵
シエラがグリモに入って一週間ほどが経過した。ここまで何事もなく来たが、殺風景な枯れかけた針葉樹林にさしかかったとき、黒い靄とともに、ぼろぼろの兵装の一団に襲撃された。
どうやらアルバトロスが差し向けた〈ワイルドハント〉の一団のようだ。大して強くはないと思えたので、ガヴィンの戦闘技術でラップローヴを振るい相手をした。
戦闘を続けるうち、奇妙な幻影を見た――自分は今、劇場の舞台にいて、書き割りの木を背景に、襲撃者たちと戦っている。うす暗い観客席から大勢がこちらを見上げ、楽隊が緊張感のある音楽を奏でている。
【突如、シエラを襲撃したこのワイルドハント。彼らは〈西帝国〉の残党でありました――そう、旧帝国末期の大内乱時代、自ら皇帝を名乗った僭称者のひとり〈偽帝ガイウス〉。その哀れなる残党でございます】
弁士が聞き覚えのある声で朗々と説明をする。まぎれもなく〈語り手〉だ。規模の大きい盗賊でしかなかったガイウスは、当然、帝国軍からも元老院からも皇帝とは承認されず、這う這うの体でイーグロン大陸に逃げ延び、西帝国皇帝を名乗った。
これは意外と長続きしたが、彼らが帝国でかけられた呪いは徐々にその身を蝕み、狂える獣のように見境を無くし、仲間同士で争い、あるいは不幸な地元住民を襲い、軍によって討伐され、その数を大きく減らした。元より統一された兵装もなく、さして練度も高くない西帝国軍であったが、呪詛に冒されてからは慎重さも戦略もすべて捨て去り、イーグロンの中堅迷宮守りにすら易々と倒されるだけの哀れな標的と化した。
少しばかりマシな装備を身に着けていた最後の一人を倒したとき、音楽が悲壮感漂うものに変化し、新たな俳優たちが舞台に現れ、この隊長の過去を演じ始めた。家族が奇病にかかり、それを治すために金を手に入れようと怪しげな勧誘に乗って、あれよあれよという間に、西帝国兵として反逆の道を歩んでいたという。その奇病というのが、巨大な雄のナメクジに変異するというもので――舞台袖でシエラは、ナメクジに雌雄があっただろうかと思案している――その直後、観客席から悲鳴が上がった。
見ると、劇場の壁を突き破って巨大なナメクジが数体突入してきている所だった。これもアルバトロスの攻撃なのだろうか? それとも、〈語り手〉のシナリオが何らかの理由で狂っているのか、彼女が皇帝を満足させるためにアドリブで荒唐無稽な話にしているのか、見分けがつかなかった。
劇場の外は、半ば砂に埋もれた廃墟だった。
空は暗く、見上げれば分厚く舞い上がった砂塵で太陽は覆い隠されている。その向こうに巨大な影が闊歩しており、何らかの魔物のものらしき叫び声や、大勢の戦士が上げる鬨の声などが聞こえた。
ガイウス率いる西帝国軍の蜂起から更に時間が進み、いよいよ大崩壊そのものが到来しようとしているのか。
このままでは、北の果てギョールにあるキャスクボトムを目指すという目的が達成できない。なら、以前ページを黒く染めてデュルガリアから脱出したのと同じ手を使うしかない。
シエラは再び、朔月の騎士ニムロドを召喚する決意をした。