第148話 愚かな〈語り手〉の物語
「当然でしょう。シエラはコンフルエンスを救った英雄なのよ。こんな魔物一体なんて物の数じゃないわ」
当人が一切記憶していない英雄譚をメリッサは未だはっきりと覚えている。
「彼女が強者であるのは見ただけではっきり分かった、内側に数多くの力が――書架の本のように、と言えばいいのか――詰め込まれている。意外なのは貴公のほうだ、メリッサ」
「どう見えたのか知らないけれど、私は魔女様の護衛だったのよ」
得意げに言う通り、メリッサがフォルディアで魔女階級の私兵だったことを、ラップローヴの記録からシエラは知っている。身体強化の術と魔法具の扱いに優れ、しかもそれを秘匿し無害な町娘であるかのように偽装することにも長けていた。だが、ある時デュルガーを招いたことが、フォルディアでの生活の終わりを告げた――デュルガリアにはデュルガーがいて、それ以外の場所にいるべきではないのだ。
ハイドラを討伐した一同が進むと、森林の一角に、空間に穴が穿たれている。そこを越えると、遠くに迷宮都市を臨む平原に出た。元の世界かは分からないが、デュルガリアの外、香辛料半島にやってきたようだ。
メリッサは丁重に礼を言って別れたが、彼女が今後、再びデュルガーを招き寄せるであろうことはシエラにも本人にも分かっていた。その後、再びデュルガリアへ向かうことになるのだろうか。ケビラは調査報告のためにコンスタンスフェアへ向かった。
また一人旅に戻り、近くの宿場町へやって来たシエラは、吟遊詩人が歌を奏でているのを聞いた。それは、不死なる〈語り手〉の活躍を描いたものだった。あらゆる危険な場所に赴き、魔物を屠り、迷宮を巡り、その冒険を自ら物語る。しかし、彼女は身に余る強者に挑んでしまった。狼の魔物を喰らってその呪詛を飲み干した騎士へ。〈語り手〉は騎士に破れて死に、彼女が抱え込んでいた物語は魂魄とともに散逸した――数多の世界へと。
ここは、あの〈語り手〉が実在しない世界なのかも知れない。つまり、シエラも自由になったことになる。彼女が語った物語だけは、今もシエラの中で生きている。あるいは、その力をラップローヴの中に転載し、呼び出すこともできるかも知れない。気が向いたら、試してみるのもいいだろう。
シエラがその場を離れようとすると、酔客たちは聞き飽きた話だったな、と吟遊詩人を見ながら酒を呷る。あの帝国の〈語り手〉――シェヘラザードの話なんて。ま、賑やかしにはなったな。そういう客に対して、吟遊詩人は次の曲を始める――異なる地、デュルガリアの都市コンフルエンスにて活躍した英雄たちの物語。酒場〈硝子の月〉に集いし流れ者たち。それが始まる前にシエラは店を出て、再び走り出した。