第147話 ハイドラの襲撃
ケビラはリースと違い、あまり積極的にラウンドテーブルの闘技場へ誘引しようとする様子はなく、どちらかというと帝国の戦士のような、淡々と高い実力で着実に任務を遂行する、冷静で自信に満ちた雰囲気を感じた。シエラがそう言うと彼は、確かに自分は帝国軍にいたのだ、と説明する。時折二人を振り返って気遣いながら、ケビラは樹海を先導する。
「帝国からバカンへ転移し、それ以来二度と東の地へ立ち入ることが出来なくなってしまった。やむを得ず、ラウンドテーブルで闘士として日銭を稼いでいた。やがてフレデフォート候に目をかけられ、騎士に叙されたのだ。名誉なことだ」
シエラは、帝国兵は全員迷宮人なのだと思っていた、と呟く。
「そうとは限らん、志願兵もいる。もっとも、自覚がないだけで、わたしも実際は迷宮人なのかも知れんがな」
帝国の軍団兵は極めて特異的な存在だ。皇帝と、指揮権を与えられた各地の総督や将軍にのみ従う。決して裏切らず、降伏することもない理想的な軍隊。それは帝国という、熱砂の上の巨大な迷宮の一部だ。
「迷宮人ですって? だけど、あなたが迷宮人なら、生まれた迷宮を離れることはできないはずでしょう」
メリッサが言うが、ケビラは首を振る。「例外というものはある。いわば、迷宮病に罹患した迷宮人だ。自覚なしに経歴を与えられ、生まれた地を離れる。そうなれば人族とそう変わらない。どれほどの離脱者が都市で暮らしているのか、正確な数は数えようがない」
「ただでさえ人口の多い街に、他所からいつの間にか紛れ込んで来るなんて。住む場所がなくなってしまうわ」
「その心配はない。迷宮都市というやつは、常に全ての住民を受け入れるほどの広さを持っている。各々の居場所がどの程度居心地が良いか、それにはかなりの幅があるがな」
メリッサのフォルディア訛りの混じった、時に流麗な声と、ケビラの帝国訛りのやや堅苦しい口調。それらに名も知らぬ鳥の囀りが混じると、奇妙ではあるが印象的な音楽にも感じられた。〈語り手〉がもし、今この世界の外側でこれを紡いでいるのなら、彼女はどのように各々の台詞を再現しているのか。
そんなことを思っていると、何の前触れもなく巨大な蛇の頭が木陰からずるりと這い出した。毒液の滴る牙と黄色く鋭い目。多数の首を持つ怪物、ハイドラという奴だ。
メリッサは即座に剣を抜いて一振りした。彼女の持つ魔剣〈万年雪〉は、眼前の一頭を凍結せしめる――期せずして、爬虫類の魔物には効果的な低温による攻撃だ。背後から食らいついた大口が閉じた時には、既にその場から消えている。捕食し損ねた頭を、シエラが大剣にて貫いた。
ケビラはいくつかの首に餌付けを施していた。彼がハイドラの口に放り込んだのは円卓の騎士に支給される〈聖なる果実〉――という名の手榴弾であった。
毒液と共に血肉が吹き飛び、しかしこの騎士が身に着けた何らかの魔法具の効果か、毒々しい緑色の汁は瞬時に真水へと変換された。「なかなか強いな」と、彼は同行者二人を讃える。