第142話 日課
「〈白アゲハ〉のことは覚えているか?」
ヴァイスが言った。この人物の全身は金属の箱に覆われているので種族は分からない。声から、年嵩の男性をイメージしているが実際、箱の内部は空洞なのかも知れない。
〈白アゲハ〉が何かは知らない、昆虫だろうか? と尋ねると、それはコンフルエンスの下層西地区で暗躍していた盗賊ギルドなのだという答えが返って来る。
「奴らは私設葬儀会社をいくつか運営していた。勝手に死者の臓物とか副葬品、霊魂を売り払っていた。オレとお前で壊滅させただろう。毎日、飛行機に乗って外からデュルガリアへ、大勢の迷宮守りがやって来る。数だけはいても腕はひでぇもんだから、じゃんじゃん死んでいく。葬式をひっきりなしにやらなきゃならないほどにな。だから白アゲハみたいな奴らは、今でも数えきれないほどいる。だが、それは別にいいんだ。問題は、邪教徒が奴らのイカれた儀式に使う生け贄を、大量に安く、白アゲハから購入していたことだ」
金属の箱ごしにヴァイスの声が響く中、もっと巨大な轟音が、それをかき消した。
窓の外の都市が、一体の獣になぎ倒されている。あまりに大きなそれを、シエラ以外の人々は気にする様子がなかった。即座にハイランド・イェーガーの〈猟鎧〉が出勤すべき緊急事態だが、誰もが轟音に対抗して声を大きくするだけだった。
あれは何かと尋ねると、〈日課〉だ、とライラックが答える。獣を見ているシエラに対しカインは、お前がその気になれば、あんなの何匹でも消し飛ばせるだろ、と呆れたように言う。
巨大な獣は、引き続き街を数分破壊して、どこぞへ去って行った。
都市が破壊されることは、エノーウェンでは時折あり、しかしすぐに修復される。迷宮からの魔物流出・スタンピード、魔法の暴走、そして個人による犯行。恐ろしいが気が付けば元通りであり、大して記憶に残らない場合が多い。
朔月の反逆者ラッド、人喰いダニエラ・ザロモン、〈切り裂き魔〉、根絶者ファルコ。それらの有名な殺人・虐殺犯と、一週間後に忘れられた者たちの違いは何なのか。名前は覚えていないが、五百人くらい殺した爆弾魔が先月いたはずだ。〈語り手〉による創作だっただろうか? その曖昧な犯人と、この街の〈日課〉は同じような存在らしかった。存在を認識していても、そいつのことを誰も気にしないし、話題にもならない。
語るべき物語が世界によって、記憶に値しないと定義されたのなら、語り手にできることはあるだろうか。忘却の亜神にでも、せめてうろ覚えに留めておいてくれと祈るしかないのだろうか。
再び窓の外を見るが、彩度の高い青空と元通りの街があるだけで、破壊の痕跡は消え去っている。〈白アゲハ〉の残党の調査を、この地区の迷宮公社がこちらへ依頼した、という話を聞き流し、シエラは店を出る。