第140話 数多の内の一つ、コンフルエンス
このコンフルエンスにも吠え猫通りという道があった。前の同名の場所とは違っていて、金融街だった。ここはバカンの都市のような雰囲気で、富の女神ブラニアの信徒が多い様子だった――バカンの言葉で表すと「黒い翼の内側」ということになる――多数の鳴かない烏が、じっと人々を見つめている。
人々は原色を排した正装を纏い、意味深な符丁を囁き合う。何かを、いくつかの身振りを交えて渡している人々もいた――バカン名物、贈賄だ。渡し方には送り手と受け手の関係性によって変化するいくつもの儀礼が存在する。堂々と「賄賂です」と言いながら。本に挟んで。握手で。不動産として。時候の挨拶と共に。菓子箱に入れて。赤いリボンのついたバスケットに入れて。迷宮公社で偽装依頼の報酬として。バカンでの袖の下は、れっきとした経済の一部なのだ。
〈語り手〉は、様々な相手に巧みに賄賂を贈り、豪商となった人物の話を語り始める。最後はその人物から賄賂をもらうことがステータスとなり、バカンの人々はその順番を早めるために賄賂を贈るようになった、という笑い話だった。
路地裏では迷宮守りたちが、狩ってきた魔物を解体している。目当ての臓器や骨を切り取ったら、そのままにしておき、烏たちに捧げる。これは供儀なのだ、決して、場所がないために路上で腑分けしているのではない。時には、殺し屋や盗賊ギルドの手によって、何らかの戒律に触れた犠牲者が同じ目に合うこともある。烏たちは哀れな生け贄へ向かうときも鳴かないが、わずかな羽音だけを、警告かのように出す――お前が何をやっても構わないが、やるときは手順をわきまえろ、と。
イネは気づいたらいなかった。またぞろ、妹の一人を害した敵対者への復讐を敢行しているのだろう。〈語り手〉も話を終えて消えた。
そのまま、シエラはバカン特有の幽かな魔力灯に照らされた、薄暗い街路をさまっていたのだが、予期せぬ出来事が発生する。
突如として彼女の目に光が差した。今までとは打って変わって、眩い陽光が降り注いでいる。そればかりではなく、世界全体の彩度が上昇したかのように、蒼穹の色彩が全てを包んでいた。
景色もまた、一変している。仄暗い路地ではなく、天を突く塔ばかりが立ち並んだ、巨大都市、その屋上と言うべき場所にいた。
そして、大気を揺るがし、巨大な何かが空を横切るのをシエラは見た。流線型のそれは生き物ではなく、人工物だ。エノーウェンには少数しかないはずの、空を飛ぶ乗り物、それが我が物顔で蒼穹を飛翔している。
何が起こったのかは分からないが、恐らく〈語り手〉の仕業だろう。彼女本人は見えないが、何らかの物語が始まっている。とはいえラップローヴはシエラの手に握られているし、アレッシアも傍に立っている。世界の彩度が上がり、飛行する乗り物が現れても何も変わってはいない。どうってことはないはずだ。