第135話 変容する舞台、デュルガリア
その後も〈語り手〉は朗々と数々の物語を紡いだ。起承転結があるもの、何の意味もなさそうなもの、今彼女が考えながら話しているのではないかというほどに支離滅裂なもの。それを一方的に話すことを、やはり〈語り手〉は伝承と呼んだ。恐らくそれらはラップローヴの中にシエラの記憶として残り続けるが、彼女が企図しているのはそれとはまた別のことらしかった。
〈不和の淵のカインの物語〉〈くらげの騎士の物語〉〈狼狩りのピュロスの物語〉〈帝国一間抜けな商人の物語〉〈玻璃冠のジェリアの物語〉〈心配性の王様の物語〉〈濠のキルケの物語〉〈リニィの堕落者の物語〉〈黄金の角杯の物語〉〈眠らぬ竜の物語〉〈傲慢なるエイレーネーの物語〉など、シエラはほとんどそれらを聞き流し、風の音か何かと思うようにしていたが、数日後、奇妙なことが起こった。
雲一つない晴天で、静かな日だった。デュルガリアの首都を目指しているというイネに続いて〈語り手〉の朗詠を聞き流していると、前方から白い何かが大波のように押し寄せてくるのが見えた。
それは、大量の紙――否、ページだった。何事かが書き込まれた無数のページが、壁のごとく押し寄せてくる。あれに押し潰されった所で、どうってことはないのでシエラはそのまま進んで、その流れに飲み込まれ、何も見えなくなった。
気が付くとシエラは、見知らぬ酒場にいた。夕暮れ時らしく、酔客たちが騒ぎ立てている。シエラが座っているテーブルには、あまり特徴のないエルフの迷宮守りがいて、シチューを少しずつ食べている。
シエラは隣にいた彼に、ここはどこか、と尋ねた。
「吠え猫通りの公社支部だ」
どこの国か、と尋ねると、デュルガリアだ、という答え。次に、あなたは誰かと聞くと、
「オベロンだ、ここの皆には〈チャフ〉と呼ばれている」
彼の髪に、おが屑は付いていない。二代目のチャフだ。〈語り手〉の話した物語の内部に入り込んだのだろうか、とシエラは思った。やはり彼女は、シエラに自らの知る物語を継承し、役割を果たして消えることが狙いではなかったのか。こうして物語の中に相手を引きずり込むことで、何かを目論んでいるのか。
シエラは、チャフと周囲の人々に、自分の状況を説明した。奇妙なことに、その声は〈語り手〉のように朗々たるもので、人々は声を失い、それを清聴した。
話し終えると一通り拍手はあったが、「続きは?」と皆が尋ねた。シエラは沈黙を返す。
続きは未だない、自分はこうして〈語り手〉の話した物語に引きずり込まれた。その舞台として用意された奇怪な場所デュルガリアに。だが〈語り手〉は必ず、再び自分の前に現れる。継承は終わっていないからだ。