第130話 魔剣の出現
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〈浅はかな羊たち〉はモーンガルドに辿り着き、そこで怠惰な生活を送って幸せに暮らした。その物語を風生まれシエラ・キャスクボトムは、世界を隔てた遥か遠くにぼんやりと感じつつ、野を疾走していた。
風生まれは風の神マルゴルによって生み出された種族であり、楽園にて安寧なる生活を享受していた。だが、何らかの大罪を犯して追放され、永久に定住できない呪いを受けた。今日も哀れなる風生まれたちは、世界をさまよっている――それが広く伝わる神話だ。
しかし、当の風生まれにとっては駆けること、世界を巡ることが幸福であり、一か所に留まることの方がむしろ罰である。真相はむしろ、マルゴルは己が眷属を愛するあまり楽園に縛り、それによって彼らが苦しむ様を目の当たりにして考えを改めた、そして愛する子たちを敢えて厳しく育てるため、更には自戒も兼ね、楽園への帰還を封じた――シエラはそう考えている。
旅人が進むとき、周囲の大気が、景色が、世界が真後ろに高速で流れていく。今、眼前に見えるものこそが、風生まれにとっての全てだ。既に後ろへ消失したもの、未だ見ぬものは存在していないのと同じだ。シエラにとって、ラップローヴに内包された過去の記憶はそのような、既にありはしないものだった。
エルナよりも更に小柄な彼女は、この大剣を持つことはできないし、ブロウのように荷車で運ぶこともなかった。それは言うなれば、彼女の魂魄に突き刺さっていて、現実世界に存在していない。もちろん、抜こうとすればすぐに手元に現れるだろうし、自分の体躯を上回る刃を軽々と振り回すことはできるだろう。
だが、シエラはそれを使おうとは思わなかった。敵が現れたのなら、二振りのナイフでどうにでもなる。過去の凄腕たちから受け継いだ技量は、むしろ不必要だった。それは風生まれが嫌う、動きを鈍くさせる「荷物」だ。
「それも構いはしない。不使用というのも、使用法の一つだ、新たなるラップローヴの使い手よ」
そう述べる巨躯の英傑アレッシアとすれ違い、その強烈な容貌は背景に流れて消える。
だが、その後に、更なる登場人物が砂の混じった夜風とともに出現し、こう呟いた、【いえ、それでは困ります。秘宝を携えた魔剣士が物語に現れたのなら、その者は必ず振るわなければならない、それこそが必然なのです。わたくしを、我が物語を終わらせるために、シエラ・キャスクボトム、ラップローヴの継承者よ、その剣を振るうのです。
あなたは、魔剣士としての役割を全うしなければなりません】
その声、もしくはエノーウェンというページに現実というインクで書かれた台詞は、次の瞬間には消えている。これが、シエラ・キャスクボトムの冒険――長きに渡る迷走――の始まりだった。