第128話 空欄
バブラスの本格的な攻撃が開始されたのは、八の月も半ばを過ぎた暑い夕刻だった。何の前触れもなく、ニンフェルの街に無数の巨大な人型機械兵器が出現した。それはグリモで用いられるものだが、警備隊の使用する〈魔導甲冑〉とは全く異なる技術体系で作られた兵器だった。それは軍が運用している〈猟鎧〉と呼ばれるものだった。グリモ人でもそれらの実態はほとんど知らない。数々の迷宮内での伝説をただフィクションを読むかのように耳にするだけだ。
その機械仕掛けの巨人たちが破壊的な光を放ち、ニンフェルを火の海にしている。そして、実に恐ろしいことに、誰一人としてこの状況を疑問視していない。迷宮守りも警備兵も、都市破壊を防ぐため送り込まれたはずのクラッスラも「そういう日もある」といった態度で済ませている。
シャロウシープは破れかぶれでアレッシアに話しかける。あなたは世界の改竄や破壊を許しはしないはずだ、と。
「この都市のことを言っているのなら、それには該当しない。これらの破壊は、単なる表層の変化に過ぎぬからだ。それに貴公もニンフェルを焼き払うという計画を進めていたはずだが」
確かにそうだ。それはバブラスに対する攻撃だったが、それを先にやられてしまうとは、ふがいないことだ。高楼が焼き切られ、道路が崩れ、人々は吹き飛ばされるが悲鳴の一つも上がらない。
とりあえず地下鉄の駅にでも避難するべきか、と思っていると、一人の酔っ払いがふらふらと目の前にやって来た。その相手には見覚えがあった。エルナが最初に手にかけた博徒〈逃げ水坂のメイヴ〉だ。
「おお、あたいのことは思い出したのかい。だけど今はそれよりも大事なことがあったはずだよ。忘れてることを思い出させるってのは、本来は〈忘却の亜神〉の管轄なんだけど、オーマ様もお許しになるはずさ。なにせあんたは、あの時飲んでたからなぁ。思い出しな、あんたは徒党を結成する時に、ちゃんと書いたのかい?」
シャロウシープは受付に向かって走り、自分たちの徒党の書類を見せて欲しいと言った。それはすぐに手渡されたが、そこには記入ミスがあった。
徒党名を未定で空欄のままにし、代表者名に「シャロウシープ」と記載したはずだが、酔っていたせいか、両者は逆になっていた。
すなわち、代表者は空欄、徒党名が「浅はかな羊たち」であったのだ。
それがどのような意味を持つのか、即座に判断することはできなかったが、なら、今から自分は名も無き者で構わない――などと思っていると、ついに破壊的な光が、迷宮公社支部、そしてその一帯を焼き尽くした。