第119話 魔法事故
〈錠前屋〉に教わった呪文で簡単な発火の術を、最小火力で行使したところオレンジから青、紫と見る間に色の変わる不可思議な炎が生まれた。それは瞬時に燃え上がり、迷宮の一階層を全て包んだ。後で分かったことだが、その火は現実そのものを燃やしていた。焼け落ちた階層に、異世界の迷宮の一部が崩れ落ちてきて、数名の迷宮守りと魔物が落下死した。
シャロウシープもまた、急激に薄れた現実性に当てられて昏倒した。目を覚ますとダグローラの治療所で、目の前に警備隊の捜査官がいた。しかつめらしい親爺で、挨拶もなく話し始める。
「シャロウシープだな。貴様には〈地虫デパート〉の三十七階層を焼き尽くした疑いがかかっている。変質した魔力による魔法事故だな。突発的な事故かつ迷宮内につき、その罪は減刑される。弁護士を呼ぶか?」
そうしてくれと頼むと、当番弁護士がすぐに来る、と言って捜査官は退出する。入れ替わりで、面長な白い大型犬が入って来た。そいつは甲高い声で話す。
「この度は大変でしたね、あなたの魔力が変質した理由は定かではありませんが、現実燃焼性の魔術を理解するための講習と奉仕活動が義務付けられます。何か質問はありますか?」
犬が弁護士になったのか、他種族の弁護士が犬に変異したのかどちらなのだろう、と思ったが初対面で尋ねるには馴れ馴れしいと思ったので、シャロウシープはないと答えた。
先ほどの捜査官が再びやって来て、
「ところで貴様は、その魔術で良からぬことを企んではいないだろうな。例えばこの街を全て焼き尽くすとか」
否定すると「そうだろうな、現実的ではない」と彼は言う。油、可燃性ガス、爆薬、現実そのもの、いずれを燃やそうと、魔術的な障壁によって都市基盤への損傷は食い止められてしまうし、予見者だっていくらでもいる。当たり前のことだ。しかし、実際にシャロウシープは〈地虫デパート〉に損傷を及ぼした。それは迷宮内だったからだ。都市も広義の迷宮ではあるが、狭義の〈迷宮〉内では社会・世界の法則そのものが揺らぐ。その辺りを突けば、バブラスを都市ごと吹き飛ばすのも夢ではないのではあるまいか。
その後、シャロウシープはすぐに退院し、奉仕活動に従事した。それは得体の知れない神像を磨く作業だった。何の神でどんな恩恵が得られるか不明だということだった。ともすれば呪いのようなマイナスの効果を受ける恐れもあったが、シャロウシープは全力でそれをピカピカにした。その翌日、見知らぬ人物が突如近づいて来て、緑色の粘液に塗れた虫のさなぎを手渡してきた。それがどういう意味を持つのか分からなかったが、受け取ってじっと見つめていると、灰色の蝶が羽化し、いずこかへと飛び立った。