第100話 余白
ブロウは荷車を引き、夜の砂漠を進んでいる。異世界の自分との融合は進みつつあるが、未だに完全ではない。あの墳墓で最奥に安置されていた〈黄昏の宝珠〉を手にしたが、これ自体は何らの効力をも発揮しなかった。ならば、クーシャに向かいアスラの血を飲めば、一挙に融合が進むのではないかと思われた。
コスの地は妙な具合だった。ガヴィンの記憶では、夜だろうと容赦なく魔物が襲い来る修羅場に他ならなかったはずだ。それに、大気のにおいが違う。スゥレの苛烈な陽光の魔力、その残滓は夜だろうと消えないはずだ。未だにフォルディアの中にいるかのような気がした。
眼前に、〈館主〉の導灯が燃えている――砂漠の只中に、突如として燭台がぽつりと立っているのだ。不自然さを覚えつつ、ブロウは手をかざした。
手の中には大きめの魔石が握られている。それはネイらとあの迷宮に潜り、アスラの写し身を倒した報酬だった。やはりここは未だフォルディアだという扱いらしい。正確に言えば、フォルディア内部にいるブロウの、更に内部にある場所らしかった。異世界の断片との融合を果たす過程で、便宜的に生まれた、統合性を保つ処理のための空間であり、完全に一体化した暁には消滅するようだ。
そもエノーウェンは複数の世界の集合体だが、同時に多層構造を成している。無数のページが重なり合って一つの本となっているかのように。住民の肉体や魂魄についても、いくつもの階層が存在し、今回のような融合や他の変化のための遊び・余白となっているらしい。
〈館主〉は、完全に融合を果たすまでは、フォルディアの迷宮守りとしての役割を全うせよ、と命じ、ブロウはこれを承諾した。その後に待っている役割は、アスラを狩り血を飲む狩猟者だ。
クーシャ亜大陸に向かうついでに、荷運びの仕事を請け負うことにした。幸い荷車は既にある。その上には、墳墓で息絶えた迷宮守りの遺体が乗ったままになっている。
コスの砂漠では腐敗が遅く、死体漁りは西よりもずっと盛んだ。亡骸そのものを買い取る商人の数も多い。無論、犯罪によるものかどうかは調べられるが、迷宮で行き倒れた者なら問題はない。昔取った杵柄、というわけでもないが、フォルディアの底を這いずっていた頃を少し思い出した。
底部では遺体の取得は早い者勝ちだった。誰もが栄養状態は悪く、腕ずくで奪い取ろうという者はまずおらず、いてもじゃれ合いのような動作に終始した。あの地に降りてくる行商人はなんだろうと買った。腐敗が進む前に死体は解体され、臓器は薬液に浸され、皮は干される。死体漁りの役割が、その技術を与え、流れるように手が動いた。今もその技は健在なはずだが、眼前に都市が見えていたので、解体はせずに売るつもりだった。
街に入る前に、門番たちはランプから出る煙の精――ジンによる詳細不明な検査を施し、同じく謎の魔術をいくつか用いた。それらは恐らく、犯罪歴や違法な物品を洗い出し、虚偽を判別するためのものと思われた。その上でブロウは持ち込んだ死体が、己が手を下したのではないと説明しなければならなかった。
これらの死体は、迷宮探索中、多脚型自動機械の怪光線で即死した。加害者名は苦汁攪拌者ボードウィン。発生現場は名称不明の墳墓、場所は恐らく帝国南部、同時にフォルディアにいる自分の内部世界である。その理由は異世界の自分と魔剣の効果で融合しつつあるからであって――と、経緯すべてを説明する必要があったが、兵士たちも理解しがたい経歴には慣れているようで、黙って書き取っていた。