➁ノードロットの少女たち
こんばんは。
第二話もお楽しみください。
今から千三百年前、世界に不治の病が出現した。それは等しく人間を蝕み、最後は必ず死に至る。病の原因は今でも解明されておらず、わかっていることは感染力が強いということ。病を持つ人と同じ空間にいれば、あっという間に感染する。感染が進むと、皮膚に不可思議な青い模様が浮かぶ特徴がある。記録の中では、青い模様が浮かぶ人間が押し寄せた光景は、この世の終わりに相応しいと書かれたという。
人間の滅亡を防ぐため、世界は二つに分けられた。すなわち、非感染者と感染者の世界である。空気感染も確認されていた為、感染者の世界は巨大な壁で覆われた。二つの国を監視する中央管理局を境に、左が非感染者の国、右が感染者の国と決められたという。
こうして、完全に隔離したことで計画は成功した。非感染者の世界から病は消えたらしい。彼らは死の恐怖から解放され、どこまでも広がる空の下で生きている。
対して、感染者の世界は長らく絶望に染まった。何度も壁を破ろうと暴動が起きたが、すべて失敗に終わったと記録されている。
右の国の者が左の国に行くことはできない。生まれてから死ぬまで、壁の中で生きていく。
左の国から右の国に来ることはできるが、わざわざ死の国に訪れる人はいない。門からやってくるのは、左の国で罪を犯した犯罪者だけ。罰として右の国に捨てられ、病気を発症して死ぬか、不満が溜まった国民によってストレスのはけ口にされるか。
母体感染もある病だ。右の国に生まれた者は、最初から感染者である。病の発症は人それぞれであるものの、いつかは苦痛に包まれて死ぬ。それを悲観した感染者により、とある薬が開発された。安楽死用の薬である。
透明な液体のそれは、感染者の体内に入ると心臓を止める。使用者は睡魔を感じながら、眠るように死ぬことができるという。
液体は透明から始まり、持つ者の病の進行に合わせて色を変える。薄く色がつき始め、使用推奨期には真っ青に染まる。
また、苦痛に襲われた時、それも感染末期。年齢に関係なく、薬を使う時である。いつ『その時』が来るか、誰にもわからない。ゆえに、右の国に住む者は、誰しもが首から下げて生活している。自分の命を終わらせる薬を、胸元で揺らしているのだ。
「大体調べた通りだけど、やっぱり詳しいね」
「こっちでは学校で習うよ」
「文化の違いを感じた」
わたしの部屋の中、少女が「右の国のことを教えて欲しい」と言うので説明をすると、彼女は嬉しそうに頷いた。
「知らないことを知るのはいいことだ」
「面白い話ではないと思うけど」
「だとしても、知れてよかった」
少女は手を差し出した。
「話してくれてありがとう。よければ名前を教えてよ」
わたしは手を握った。
「エレノア」
彼女は驚いたように目を大きくした。わたし、何かおかしなこと言ったかな。
「いい名前だね」
「そう?」
「君にぴったり」
「そうかな」
「そうだよ」
彼女はカーテンが閉まったままの部屋を歩き、電気を消した。目が慣れず、彼女の姿が見えなくなる。
「明るいところでは見えないものがあるんだよ」
「でも、暗いと何も見えないよ」
「いいや。暗いからこそ見えるものがある」
少しずつ目が慣れてきた。スイッチのところに少女はいない。
「暗い方が光はよく見える」
彼女は隣で微笑んでいた。ふっと離れると、窓際に座る。
「君からすれば、贅沢な悩みかもしれないけれど、向こうは眩し過ぎたんだ」
「だからこっちに来たの?」
「それもある」
「他に理由が?」
「知らない世界を見てみたかったんだ」
暗い部屋の中、空を閉じ込めた瞳がわたしを見ていた。
「生まれた場所も家族も嫌いというわけじゃなかった。むしろ好きだったし、感謝もしてる。愛されていることもわかってた。でも私は、どこにいても、何をしていても、『ここじゃないどこか』に行きたくて仕方がなかったんだ」
わずかに伏せられた瞳。
「何かに急かされるように、逃げ出したい気持ちがずっと燻っていた気がする」
なぜだろう。他人事のように思えず、わたしは彼女の言葉の続きを待った。
「そのせいか、幼い頃から旅をしていたよ。家族も理解して送り出してくれた。本当に感謝しているんだ。私が『左の国に行きたい』と言った時も、優しく頷いてくれたんだよ」
もう二度と会えない死出の旅。私が彼女の家族だったら、何て言っただろう。
「一度だけ、『どうしても行くの?』と訊かれたけど、私に辞めるという選択肢はなかった。とんだ親不孝だよね」
でも、と彼女は強い意志を携えてまっすぐ目を向けた。
「私は光を見つけたかった。その為なら、この命を懸けられるんだ」
「右の国に光があるの……?」
「さあ?」
彼女はあっさりと首を傾げた。わたしは思わずぎょっとする。少しばかり行動が軽率な気がする。左の国に求めるものがあったらどうするのだろう。もう向こうには戻れないというのに。
「その為の旅だよ」
「だとしても、もう少し左の国を旅するという手もあったんじゃないかな」
「ごもっともな意見だね。でも」
「でも?」
「こちらに来たことが間違いじゃないと、私はもう知っているんだよ」
真意を訊こうと口を開きかけた時、彼女がカーテンを開けた。眩しい光に視界がぼやけた。
「それじゃあ、私はそろそろ行くね」
「えっ……」
「右の国は広いから」
「そう……、だね」
空想の物語はここでおしまい。わたしを現実から引っ張ってくれた彼女は、旅に出て二度と会うことはないだろう。心の奥がざわついて仕方がない。喉元まで言葉が出かかるが、声になることはなかった。
もう会えないのなら、せめて。
「名前を教えて。覚えておきたい」
「左の国に生まれて愛された私はもういない。だから、名前はないよ」
「じゃあ、どうすればあなたのこと記憶しておけるの」
忘れたくなかった。顔も色も声も薄れていくとしても、旅人の名前は物語になる。覚えていられると思ったのに。
悲しみが溢れてきた。彼女を知る者はこちら側にいないのに、誰が彼女を覚えていられるのだろう? いつか病によって消えてしまうわたしでは、その役目は果たせないというのに。
しかし、わたしの不安をかき消すように、彼女は「簡単だよ」と続ける。
「君が決めてよ」
「えっ?」
「私の名前。君が決めて」
「え、でも、今すぐなんて……」
「うん。だから、明日の昼十二時に、市場の先の公園で待ってる」
「公園……?」
「それを過ぎたら、私は旅に出る。もし、君が心の中で考えていることを空想ではなく現実にしたいなら、公園に来て。名前はその時に聞くよ」
心臓が跳ね上がった。私が考えていること。どうしてそれをあなたが……?
何も言えずにいると、彼女は小さく微笑んだ。鍵を開け、開かれた窓から風が吹く。綺麗な青色の髪がなびくのもそのままに、「君は私と似ている気がするんだ」とつぶやいた。
「人生は一度きり。後悔がないようにね、エレノア」
ひときわ強い風が吹いた。思わず目を閉じ、次に開いた時、彼女の姿は消えていた。
「えっ、ちょっと嘘でしょ! まさか窓から……」
咄嗟に駆け寄るも、影も形もない。夢を見ているようだった。
「後悔がないように……」
彼女の言葉を反芻しながら、わたしは胸元の薬を握りしめた。
お読みいただきありがとうございました。
第三話もお楽しみくださいませ。




