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①閉ざされた世界

こんばんは、天目兎々と申します。

初めましての方も、いつも読んでくださっている方も、閲覧いただきありがとうございます。


二人の少女が旅に出るまでの小さな物語。ぜひお楽しみください。

 わたしの世界は、いつも壁に覆われていた。目を覚まし、カーテンを開けると、大きな大きな壁が目に映る。空に浮かぶ太陽が映像であることは、五歳の時に知った。流れていく雲も、夜になると輝く星も、すべてまがい物。本物は、こことは違う世界にある。

「…………」

 壁の向こうにあるはずの世界を、わたしは決して知ることはできない。『こちら側』に生まれた運命は、絶対に変えられないのだ。

 空想の物語のように、わたしも主人公になって素敵な人生を送れるかもしれない。その希望を抱くことが、どれだけの絶望をもたらすのか、七歳の時に知った。

 それ以来、わたしはおとぎ話の本を開いていない。どんなに空想しても、空を見上げるだけで現実が降り注ぐのだ。夢と希望を持っていられるほど、わたしは強くなかった。ここが真っ暗な世界だと理解してから、ずっとどこかに逃げたくて仕方がなかった。

 視線を上から離しても、わたしたちを覆う壁が無言で現実を突きつける。そこから逃げても、ここに生きる人々の存在が、また。

「エレノア、おつかいお願いね」

「うん」

 母からバッグを渡され、わたしは家を出る。母のことは好きだけれど、見たくはなかった。どう足掻いても、母の姿は現実そのものだから。

 逃げるように歩くわたしの胸元で、人差し指程度の長さの物が揺れる。小さな試験管のようなそれには、透明な液体が入っている。綺麗なアクセサリーならいいのだけれど、と思う。

 通り過ぎていく人の胸元にもそれはある。みんな、首から下げ、肌身離さず持ち歩いている物。わたしたちの命を握る物。

 店までの道を歩きながら、隣にそびえる巨大な壁を横目で見る。灰色が冷たく見下ろしているようで、息がつまりそうだった。切れ目のない無機質な壁を辿っていくと、やがて大きなゲートが見えてくる。この国と壁の向こうを繋ぐ、唯一の道だ。

「今日は支給の日だったかな」

 何台ものトラックが保管庫の方へ走って行くのが見える。運がよければ、新鮮な果物が手に入るかも。魚が買えたら今日はパーティーだ。

「……あ」

 支給トラックの様子を窺いながら、建物の陰から異様な雰囲気を漂わせる人物を見つけた。真っ黒なフードを被り、顔を隠してゲートに体を向けている。体格からして男性だろう。

 彼が何をしようとしているのか、考えなくてもわかった。だから、わたしは通り過ぎて市場の方へ向かう。しばらく歩いた頃、後ろの方で何かが爆ぜる音がした。

 こどもの頃から何度も聞き、慣れてしまった音。わたしを含め、誰も足を止めることはない。空想の物語の中では見たことがないから、きっと普通ではないのだろう。けれど、わたしたちにとっては日常の一幕。

 わたしも何度か考えたことはあるけれど、甘い理想はすぐに銃声に消されてしまった。だから、わたしは今日も同じように生きていく。同じようにしか生きられない。

「……本当の空って、どんな色なのかな」

 死んだ後ならわかるだろう。そう思った八歳の時のわたしは、十七歳の姿をして今もここにいる。


 〇


 おつかいを終え、帰路につくわたしは、やけに門がざわついているのに気がついて足を止めた。普段、壁に近づくことのない人々ですら家から出てきている。見たことのない数の門番がうろうろしていた。今日の支給は終わったはずだけれど、まだ何かあるのかな。

 気になって野次馬の中に入ってみる。

「おい、この騒ぎはなんだ……?」

「知らないわよ。ただ、門が騒がしいなって」

「とんでもねえ支給品が来るんじゃないか?」

「左の国がそんなもん寄越すかね」

「やばーい犯罪者が来るんじゃない? 百人を殺した連続殺人鬼とか!」

「それにしては、門番も困惑している感じだけどな」

 野次馬を抜け、一番隅へと移動した。彼らの話を聞いても、なぜ集まっているのかわからない。犯罪者が来るのなら、わたしは帰ろう。血みどろの現場など、不満が溜まり溜まった危険な大人に任せればいい。

「かわいそうに」

 犯罪者といえど、門をくぐった瞬間に肉片にされるのは哀れだった。まあ、こちら側に来た時点でもう結末は決まっているのだけれど。

 門が開く重い音が響く。野次馬から声にならない驚きの波が起きた。帰ろうとしていたわたしは、一瞥した門に広がる光景に目を見開いた。

「……女の子?」

 とても犯罪者には見えなかった。これまでの罪人と違い、身なりも綺麗で、個人の荷物も持っている。淀んだ魂から滲む陰鬱とした空気など欠片もなく、清らかだった。

 まるで、濁った水の中に落ちた透明な雫のよう。笑ってしまうほど、ここには似合わない。

 わたしと同じくらいの背丈の少女は、彼女を守るように立つ門番に頭を下げていた。門番も同様の行動をし、「お気をつけて」と声をかける。犯罪者に対する態度ではない。

 わたしが壁を見始めてから、初めての出来事が起きていた。心臓が早鐘のように鳴り、呼吸がうまくできない感覚に陥った。後ろから背中を大勢に押され、急かされているようだ。バッグを握る手が震えた気がした。

 野次馬のざわめきも大きくなっていく。みんなの中で『犯罪者ではない者がきた』という認識が光の速さで広がっていった。

 過去に例があるのだろうか。ないとすれば、これは、一体……。

 門が閉まっていく。また世界が閉ざされる。死が充満する光のない国に、空想の世界から使者が訪れた気分だった。挨拶を交わした後、門番が去っていった。

 空を見上げたまま、動かない少女。野次馬たちは彼女を見つめ、しばし無言を貫いた。やがて、ふと現実を見たかのように、人々はひとり、またひとりと去っていく。離れつつも、彼らが建物の陰や遠目から少女を見ていることがわかる。わたしも帰ろうと思ったが、体が動かない。彼女のことを知りたいと叫んでいる。

 魔法をかけられたように硬直したわたしをよそに、三人の男性が少女の方へと足を踏み出した。歪んだ笑みを浮かべ、舌を出した。

「よお、嬢ちゃん」

 少女は目線を空から下げ、男性を捉えた。

「こんにちは」

「お前、犯罪者じゃないようだが、どんな要件だ?」

「見ての通りですよ」

「はっ、何が見ての通りだ。首からぶら下げているのはおもちゃってことか?」

「これのことですか。左の国に住む者が右の国に行く時は、必ず渡されるようでして。門番からもらったのですが、おもちゃには見えませんね」

 自分よりも一回り以上大きな男性を前にしても、少女は淡々と話していた。正面に立つ男性が話している間に、もう二人が少女を囲むように動いていく。彼女はわずかな視線の動きでそれを感知していた。

「こちら側がどういう場所が知っていて来たのか」

「もちろんです」

「ふざけるなよ」

「ふざけていません」

「ふざけてんだよ。病の恐怖もない左の国に生まれながら、当然みたいな顔して右の国に入ってきたお前は!」

「私には私の理由があります」

 声を荒げる男性に臆することなく、彼女は凛と答える。その姿は、かつて物語の中で見た主人公のように美しかった。しかし、男性にとっては逆鱗に触れるものだったらしい。

「どんな理由があろうと、自ら死にに行くお前を止めるやつはいなかったようだな」

「家族に送別会はしてもらいましたが」

「その家族も、門番も、お前を見放した。なぜなら、右の国に行ったらどうなるか、教えてもらわなかったようだからなぁ!」

 殺意をまとった男性が少女に腕を伸ばす。逃げようと後ずさるが、周囲の大柄な男性が遮って不可能。少女は為す術なく、男性の腕を引き受けることになった。

 男性は少女の首からさがる物を引きちぎった。

 ハッとして、わたしは動こうとした。あれはだめだ。大事なものなのだから。けれど、男性三人にわたしなんかが敵うわけもない。怖くて足が動かなかった。

「これはお前には不要だ」

「だとしても、勝手に奪われるのは見過ごせません。返してください」

 男性は蔑んだように口角を上げた。

「いいだろう。動くなよ」

 言葉通り、少女はぴたりと動かない。男性の口角がさらに上がっていく。

 だめだよ。逃げて。そう言いたいのに声も出ない。

 男性がにたりと笑う。次の瞬間、それは少女の首に突き刺さった。耳障りな笑い声が響き渡る。

「あぁ…………」

 やっと絞り出したわたしの声は、彼らの嘲笑にかき消される。首を押さえる少女は、空になったそれを見ても何も言わなかった。入っていた透明な液体は、彼女の体の中。その意味が何を表すのか、わたしは震えながら少女を見つめた。

 一秒、二秒、三秒……。どれだけ経っても、少女はけろりとしている。男性たちの笑い声が冷えていくのがわかった。

「……やっぱりな。これで死んだら仲間と認めてやるつもりだったが、お前はだめだ」

「…………」

「お前はここで死ね」

 男性の手が再び少女に伸びる。しかし、今度の少女は黙って止まってはいなかった。

「お断りします」

 静かに宣言すると、腰に挿していた短剣を抜き、高らかに上げた。

「あ……?」

 ぽかんと口を開けた男性は、無くなった腕の先を見て絶叫した。

「て、てめえ、なにすんだ!」

「正当防衛かと」

「うるせえ! おい、こいつ殺せ!」

 指示された二人が少女の命を奪おうと襲いかかるが、

「これも正当防衛」

 つぶやいた少女によって目を潰され、耳を切り取られ、腹部を押さえる羽目になった。

「脂肪が厚いようなので、すぐに治療すれば助かりますよ」

 あっさりと告げる少女に、男性たちは殺意と憎悪の目を向けた。しかし、彼女はどこ吹く風。短剣についた血を拭き飛ばし、鞘に納めた。

 自分が息をしていなかったことにようやく気づく。瞬きもせず見ていたようで、目が痛くて仕方がない。速いままの呼吸を落ち着かせようとするが、うまくいかなかった。

 ……すごい。本の中でしか見たことがない存在がそこにいる。現実と空想が混ざり合う音が聞こえた気がした。

 呪いの言葉を吐く男性たちはもはや眼中にない少女が歩き出す。話しかけたかったが、わたしはやはり動けなかった。

 わたしが関わっていい相手ではない。同じ国にいても、住んでいる世界が違う。彼女が見ている空は、まがい物ではないのだろう。

 帰ろう。空想の世界を間近で見られただけでも幸せだった。今日の出来事を思い返すだけで、わたしはこの先も生きていける。

 そう思った時だった。

 片手を失い、地面に転がっていた男性が音もなく起き上がった。力の差は歴然。片手でも容易に首を絞められるだろう。

 背中を見せ、建物を観察している少女は気づいていない。このままでは……。

 だめ。そんなの絶対に許さない。

 わたしは走り出していた。男性には敵わなくとも、少女を逃がすことはできる。

「こっち!」

 男性が起き上がったと同時に走り出していたわたしは、彼女の手を取って逃げた。驚いた表情を浮かべた彼女は、背後を見てすぐに前を向いた。

 何も言わずに足を動かし、わたしに身を預けてくれた。

 まだ心臓がどきどきしている。張り裂けそうに痛い。しかし、負傷した男性に追いつかれるほど弱くはない。

 わたしは自分の家に駆けこんだ。鍵を閉め、部屋のカーテンもすべて閉めた。玄関で止まっている少女の手を引き、自分の部屋までさらに走る。自室のカーテンを閉めたところで、体から力が抜けた。

 へたり込んで肩で息をしていると、わたしの背中をさする手があった。

「大丈夫?」

「だい……じょうぶ……。あなたは、ケガは?」

「ないよ」

「でも、首……」

「平気」

 彼女は服を引っ張って見せた。小さな注射痕があるだけで、問題はなさそうだった。

「そう……。なら、よかった」

 安心したからか、やっと息が整っていく。最後に大きく息をはくと、鮮明になった頭は自分のしでかしたことをご丁寧に教えてくれた。

「あ、ああああの、ごめんなさい、わたし勝手に……!」

「ううん。助けてくれてありがとう」

 少女は穏やかに微笑んだ。私を見つめる瞳は、何度も見たようで、一度も見たことのない色をしていた。

 ああ、やっぱり。なんて綺麗な色なんだろう。幾度となく見上げた作り物の空とは違う。どこまでも澄んだ色。空想したものよりも遥かに美しかった。

「どうかした?」

 わたしの視線に、彼女は首を傾げる。

「え……っと、綺麗な色だと思って」

「ああ、これ。人からはよく『空色の瞳』って言われたかな」

 空色。それはきっと、覆われた壁に映し出されたものではなく、本当の空の色。わたしが憧れ続け、夢の中ですら見ることが叶わなかった色が、いま目の前にあった。

「えっ……⁉ ど、どうしたの。大丈夫?」

 彼女が慌てふためく理由はわたしにある。でも、どうか今だけは許してほしい。

 死んだ後にしか見られないと思っていた空をわたしは見たのだから。

 神様に願っても壊れることのない世界に光が差したのだから。

 これほど生きていることに感謝したことはない。わたしは今日の為に生きていたと思うほどに、嬉しかった。

 どうして、とめどなく溢れる涙を止めることができようか。

 閉ざされた世界で生きてきたわたしでも知っている。これを人は、幸せと呼ぶのだ。

お読みいただきありがとうございました。

第二話もお楽しみくださいませ。

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