神託
私は、天才だ。
よくある過剰表現だとか、そんなのじゃなくて、文字通り。
どんなことでも、初めからそれなりに出来て、あっという間に他を抜き去った。勉強だとか、運動だとか、そんなのは当然で、他にもやれることは何でもやった。顔もそれなりに可愛かったから、歌ってみたり、踊ってみたり。他にも物語や、絵を描いてみたり。ゲームとか、ピアノとか何でもやった。文字通り。
私が何かをやり始めたら、皆が喜んで、褒めてくれた。だから、最初の内は楽しくて、これならやっていけるんじゃないか。とか、思ったりしたんだけど結局、飽きてしまう。
ちょっと上手くやってやれば、皆が声を揃えて称えるんだ。中には誹謗を飛ばす様な人もいたけど、気にならなかった。だって、その人達は私の才能に嫉妬してるって事を、知ってたから。人を悪く思う動機なんて、皆そんな物ばかり。人が思う事なんて、簡単に分かってしまう。
だからそれで、私は気づいた。皆が見てるのは、私じゃなくて、私の才能なんだって。親は私の学力や運動神経を褒めて、SNSでは私の声や作品を称える。きっと、それが私じゃなくても、皆は褒めたんだろうなって。世の中の人は、その声の、作品の、才能の主が誰かなんて、案外気に留めてないって事も、気づいた。
私は、もっと私を見て欲しかったんだと思う。自分の存在をもっと認めて欲しかったんだと思う。何でも人より出来たのに、自分の感情のコントロールだけ、どうして出来ないんだろうね。
――そして、そんな自分の、「認めて欲しい」っていう気持ちにも、気づいてしまった。
案外、人間は自分の事なんて、良く分かってない。でも、私はそれすらも分かってしまったような気がして、何だかもう、何もなくなってしまった。
でも、自分の感情に気づいても、それを抑える事は出来なくて。だから、それからも色々やった。過去にやった事をもう一回やってみたり、新しい事をやってみたり。でも、満たされなかった。つまらなかった。
だから、その時はこのまま、つまらないまま、ずっと生きて行くんだなって思ってた。
でもある日、通りかかった路地裏で、女の子の叫ぶような声と、男の人の怒号みたいなのが聞こえたの。だから、そっちに目をやったら女の子の事を、男の人が抑えつけて、色々怒鳴ってて。聞く感じ、どう考えても、男の方が悪いみたいだったから、私は傍にあったロープで、後ろから男の首を絞めて、――殺した。
もしかしたら私の判断が間違っていて、女の子の方が悪かったんじゃない?ってのはナシね。だって、私は天才だから。
殺したのはマズかったとは、自分でも思う。でも、仕方ないじゃん、ロープで男の首を絞めてる時、すっごい楽しかったんだから。久しぶりに、楽しくて。そんな感情を、制御できなくて。
その後、女の子は適当に言いくるめて、返してやった。最初は、女の子に通報されるんじゃないか、とか考えてたけど、されなかった。
みんなも……、例えば自転車を漕いでいたら、軽く自動車にぶつかられたとする。よく考えれば、法律的には自動車の方が悪い事は分かるんだけど、その時は気が動転して、事を荒立てたくないから沙汰にはしない。そんな事、経験がある人もいるんじゃないかな。
そんな感じで、みんな、自分の事ばっかり考えるから、案外人の事なんて気にしない。これは、さっきも言ったね。
それからはいつも、学校でも、家でも、路地裏での事が忘れられなかった。心臓に焼印を押されたみたいに、私の胸から焦がれて離れなかった。
あの路地裏が、私だけの居場所な様な気がして堪らなかった。
堪え切れなくて私は、退屈な日々を抜け出した。
家族の事とか、学校の事とかは気にしなくていい。……だって私は、天才だから。
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「この間の拳銃は……、よし。持った。準備は……っと、……うん、オッケー」
廃墟の扉を開けて、眼前の薄暗い路地街を見据える。空を覆う建物の隙間から、雨上がりの日差しが私を照らす。思わず手で影を作った。
そんな日差しの強い太陽の迎えを断って、私は日陰へと足を踏み入れた。
ぴちゃ、ぴちゃと足元の水溜まりを撥ねながら、湿ったアスファルトの上を歩く。廃墟を出てから、十数分歩いた。約束した場所はこの先。
配管や室外機で混雑した曲がり角を曲がると、細い道の脇には袋小路がある。ここが約束した場所だ。
「おお、キミが取引相手?」
「……そうです」
薄暗い廃墟の隙間で待ち呆けていたのは、アウターを羽織った若い男だ。
「へえ、キミ、随分とかわいいね。なんか、清楚って感じ? ……まあでも、こんなの買おうとしてる時点で清楚とは程遠いか」
男は小さく笑うように言う。話しながら男が出した手の内には、茶色い子袋のようなモノがあった。
「ホラ、早く出すモノ出してよ。キミも、こんな所に長居したくは無いでしょ?」
そう言って男は私の前に、もう片方の掌を差し出してくる。
私はポケットにしまっていたモノを取り出す。
「……はは!」
ソレからスパン、と乾いた音がする。
真っ暗な袋小路には、私一人だけになった。
眉と口角が浮いて、自分が歪な表情をしている事を理解しながら、私は愉悦に浸った。
しばらくは、死体を眺めていた。頭から流れる血液が、いつの間にか降り始めた雨に流されて、足元まで這い寄って来る。
私は振り返って、袋小路を後にした。淀んだ滓は、雨に流されて消えて行った。
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「先日、都内の路地街、第五地区付近にて男性が頭部から血を流して倒れているのが発見され、後に死亡が確認されました。死体は胸の前で手を握らされており、この特徴と、弾丸の線状痕から警察は、先日の事件と同人物の犯行と判断しました。同様の犯行による被害者は、今回で六名になります。近隣の――」
テレビから流れる映像をそのままに、私はかび臭いソファから立ち上がった。
「第五地区って事は……、えっと、この前のが十八人目で……。ああ、十二人目の、虐待のヤツか」
私はあれからも、人を殺した。初めは、殺せるなら誰でも良かった。だから、殺しても誰も悲しまないような、しょうもないヤツを、殺し続けた。この街には、そんな奴らの、今も見つかってない死体が幾つも転がっている。
人を殺すことに慣れても、人を撃ち殺した時の、あの快感が薄れる事は無い。頭を撃ち抜いて死体を眺める度に、SNSで事件の話題なんかを見る度に、ここが私の居場所なんだと、感じてしまう。
SNSでは悪人殺しだとか、私の事を正義だとかそんな事を言う輩がいるけれど、正直、以前はそんなこと、どうでも良かった。私は、自分の欲求を満たすために、人を殺しているんだから。私にそんな高尚な志なんて、無い。私も其処らの悪人と、何ら変わりない。
――でも。
自分の存在を噂して、求める様を見ていたらいつからか私自身が……、そうありたいと願うようになってしまった。
それが、皆が求める私の姿だから。
私は正義を後ろ盾に、人を殺している。いつからかそんな事を胸に、人を殺すようになった。
私は皆が噂する、そんな正義になってしまいたいと思った。皆が崇めて求める、神託に。
私に、悪人を裁きたいだとか、崇高な心なんてないけれど。それでもきっと、なれる。
だって私は、天才だから……!
私は机の上の拳銃を手に取って、住処の廃墟を飛び出した。
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時刻は午前二時、部屋は真っ暗。暗闇の中で光を放つテレビは、似たような話題を延々と繰り返す。
頭が冴えて眠れない夜。硬いソファの上で寝転がる私は、そんな映像をボーっと眺め続けていた。
「この前の女の人、浅短で、かわいかったなぁ……」
この間、現場に居合わせた女の人を、この部屋に連れて来た。ちょっと内を見せた風に優しくしたら、すぐに信じちゃって。
「……自分を攫った人の事なんて、信じちゃダメでしょ」
なんて、騙したのは自分なのにね。いとも容易く騙して、誑かした。だって私は天才だから。
私はソファから降りて、明かりを付けた。
外に出てみると、今の服装では少し肌寒い。
私は冷え込む身体を動かして、ビルの跡地へと向かった。
コツコツ、とビルの階段が硬い音を立てる。
私は、気分が良かった。
私が悪人を殺せば、皆が喜んでもっと私を崇め求める。この前の女の人だって、私の事を簡単に信じたんだから。誰だって私を止められない。私は天才、だから。
悪い人をどんどん殺していって、皆が私を正義と形容した。そんな歓声を浴びているうちに、いつしか私の中に、崇高な正義が芽生えた気がしたのだ。
屋上のドアは重たい音を鳴らしながら開いた。
私の殺しは、ただの快楽なのに!皆が私を見ている、この国中の人間が、私の正義を求めていたんだ……!
だから、私は正義になった。私は天才だから、何にだってなれるから!
「ははは……!」
今なら、何でもできる気がした!何だって出来て、何処にだって跳べる!腐りきったこの世の中を、いかにゴミで下劣なこの世の中でさえも、変える事だって出来るんだって……!この世の悪い事全部、私が殺してみせるって!だって!わt――――――――。