信託
――其々に正義があって、それらは他人からしたら悪であるかもしれない。
最近ではもう、ありきたりな文言ですよね。
――今、殺人犯が私の目の前にいる。
それも、幾人もを殺した連続殺人事件の犯人だ。
「や。おねーさん。もしかして、見た?」
どうしてそんな事が分かるのかって、目の前の……、十六くらいであろう少女の横には、頭から血を流す死体が横たわっているのだから。そして、可憐で目を引くような少女は自分を連続殺人犯だと、語ったのだから。
今ちょうど、銃口が私の方に向いたところ。私は、死ぬのだろうか。恐怖のせいか、身体を上手く動かす事ができない。
「おねーさんはさ、万引きとかしたことある?」
私はなんとか、首を横に振った。
「へえ。じゃあ、いじめとか、したことある?」
再び私は首を横に振った。
「ふーん。じゃあ、何か悪い事、したことある?」
私は首を……、横に振った。
「そっか」
少女は拳銃を下ろした。
――――――――――――――――
此処は都内某所、街外れの路地街だ。陰気臭い雰囲気が漂っていて、雨続きだったためか、水溜まりが其処ら中に広がっている。
そんな曇り空の元、薄暗い裏路地の、汚れた、廃墟みたいな建物の中に、私は居る。
カビ臭くて、硬いソファに座りながら、ざらざらとした音を垂れ流すテレビを見ていた所だ。
「昨夜、都内オフィス街の路地裏にて、男性が頭から血を流して倒れているのが見つかり、死亡が確認されました。死体は胸の前で手を握らされており、この特徴から警察は、近頃起こる連続殺人事件と同一の犯人による――――」
突然、テレビの映像がプツンと消えて、そこには真っ暗な液晶だけが残る。
「はあ、陰気臭い場所で、陰気臭いニュースばっか見てどうすんのさ」
「……今のニュース、あれ、アンタの事でしょ……?」
「ああ、そうかもね?」
私は、今話している少女に連れられて、ここに来た。
「私もいつか、ああなるの……?」
私は恐る恐る聞く。今でも、現状に対する恐怖からか、声が震えている。
「ううん。だって、お姉さんは悪い事、してないんでしょ?」
あれは……、嘘だ。だって、悪い事なんて……。
少なからず、今まで生きてきて、後ろめたい事をしたことは、ある。けど、万引きだとか、いじめだとか、そんな程度の重たい事ではない。だから、私は首を横に振ったのだ。
でも今、首を縦に振ることは、出来なかった。
「私は、自分の家に帰れるの……?」
「ううん。私が満足するまでは、一緒に居てもらうよ」
私は、絶望した。少女がどうすれば満足するか、だとかを考える事は無くて、ただ、私は帰ることが出来ないという事に、絶望した。今の曇り空みたいな心境が、一層重たくなったような気がする。
私は、連続殺人犯にいつか殺されるかもしれないと感じながら、生活していかなければならないのだ。元の、アパートに一人暮らしで、仕事も上手く行くようになってきて、友人と遊びに行ったりしていた生活には、きっと戻れないのだ。
私は目から涙を流した。
「ええ、ちょっとちょっと! どうしたの!? お腹空いたの? 食べ物ならいっぱいあるから、何か作ろうか?」
少女は、突然泣き出した私を見て驚く。私に近寄って来る少女に、演技臭さだったりを見て取ることは出来ない。
連続殺人犯である少女の、慌てふためく様や、言葉遣いは年相応の物だ。そんな、少し可愛げもある少女がどうして人を殺すのか、私はなんだか、知りたくなった。
涙の粒を袖で拭って一息ついてから、私は口を開く。
「ねえ、君はどうして……、人を殺すの?」
少女は少し考える振りをしてから、再びこちらを向く。その顔は、笑顔だった。
「おねーさんが見た現場、あれさ、何人目だと思う?」
「……?」
「私に殺された人、どんな人だと思う?」
少し、沈黙を置いてから、追って少女は話す。
「あれは、十九人目。名前は雨宮アキヒト、三十五歳」
少女は殺した男の詳細を語る。しかし、今まで語った内に、動機になるような事は全く無い。
しかし、少女は加えて、宣うように言った。
「ソイツはね、一回暴行で捕まったんだ」
私は、声が出なかった。どうしてかは、自分でも分からない。でも、何とも言えない感情が、胸の内側で渦巻いていたのは、何となく分かった。
「私は、悪い人を殺すんだ。殺して、殺して、それから、悪い人が居ない、みんなが幸せに暮らせる世界を作るんだ」
私は、ぱっちりとした眼で笑う少女が言う事を、理解できなかった。悪い人をみんな殺す……?みんなが幸せに暮らせる世界……?そんなの、無理だ。
私には、今の少女の発言が、狂心だとしか思えなかった。教信からなる理想論を掲げて、大言壮語を並べながら、やっていることは相手と変わらない……、ううん、もっと悪い事だ。そんな狂信を謳う彼女を、私は怖く思った。そんなキョウシンを声にして示したって、誰からも共信を得やしないだろう。
パッとしない気持ちと同時に、心が狭苦しくて、息詰まってしまいそうで、声を上げた。
「……お腹空いた」
「そっか! じゃあ、ご飯にしよっか!」
私はぎこちない夜を、少女と共に過ごした。
朝、硬いソファの感触で目が覚める。全身が凝り固まったみたいに動かしにくい。昨夜はよく眠れなかった。
キッチンの方に目をやると、少女はエプロンをしていて、そこからフライパンで何やらを焼いている音がする。
「あ、おはよう! もうすぐ目玉焼き出来るから、まっててね!」
少ししか眠れていないが、慣れない環境のせいか、目はすぐに覚めた。
意識を起こして、それから身体を起こして。そうしていると、少女がテーブルに皿を並べる。
私は椅子に腰を掛ける。テーブルの上にはトーストが一枚と、目玉焼きが一枚。
目の前の少女は、はむっ、とトーストに齧りつく。こんな様子を見て、誰が彼女を殺人犯だと思うだろうか。
「その……、今日も、殺しに行くの?」
「もちろん。悪い人は殺してあげなくちゃ」
昨日の事が全部夢だったり、幻覚を見ていたんじゃないか、とか思って確認してみたが、そんな事は無かったみたいだ。いっそ、私の頭がおかしかった方が、良かったんじゃないか。全部夢か幻覚だったら、どれだけ良かっただろうか。
そして、その返事が嘘じゃない事は、後にテレビが教えてくれた。
「都内某所にて、男性が頭から血を流しているのが見つかりました。遺体の様子から見て、先日の殺人事件と同一犯と――――」
私はテレビを消した。昨日と似た様な事を繰り返すニュースを見ていると、なんだか私までもが事件に関わってしまっている気がして、堪えられなかった。
少女が住処にしているこの廃墟は、ドアに鍵なんかついていないし、窓だって開けっ放しになっている。つまり、私はいつでも逃げることが出来るという事だ。
でも、私は逃げなかった。逃げられなかった。
私が逃げて、少女を告発すれば、きっとこの殺しは終わるだろう。
でも、そうすれば正義は潰えて、罪は氾濫を起こしてしまう。
逃げたら、私は正義を現した様な彼女から、苛まれてしまう様な気がして。私は彼女から、殺される理由を得てしまう様な気がして。
仕方なく、仕方なく。そうって先送りにした断罪を、彼女が下すのだろう。
なけなしの倫理観のせいで、正義だとか、良心に板挟みにされてしまった私は、どっち付かずで動けないままに、時間は経っていく。
次の日も、一人。
その次の次の日にも、一人。
その次の日には、三人。
どんどん人が殺されて行く。そして、その死んで行った人達は皆、後ろめたい過去を持っているのだろう。
しかし、それが少女の殺しの免罪符になるとは、私は到底思えなかった。
血生臭い両手で正義を謳う少女を、私は未だに、まともだとは思えなかった。
私は陰った心のまま、眩しくも感じる少女と相対した。
「おねーさんはさ、何をしていた人なの?」「おねーさんはどんな食べ物が好き?」「おねーさんの趣味ってなあに?」
色んな事を聞かれた。でもその内容は全部、他愛のないものだった。初めて出来た友達と話すときの様に、少女は私に質問をした。
「おねーさんの名前、なんて言うの?」
「……曇。クモリ、ミカ」
「そっか。私はハレ! 改めて、よろしくね!」
「よ、よろしく、ね……」
すると、ハレは口を閉じる。私はこの静寂の持つ意味を理解できなかった。
「ね、クモリ! 買い物行こう!」
「えっ」
そう言って、ハレは私の手を掴んで、路地裏を飛び出した。
天気は曇り。でも、暗がりに居た私には、少し眩しかった。
「ちょっと……、ちょっと!」
「……うん?」
どんどんと前を行くハレは、私の止める声を聞いて、不思議そうに後ろを向いた。
「うん? じゃなくて、大丈夫なの?」
「人目に付くところに出て、その……、バレたりしないの?」
私は、この健気な少女が殺人犯だという事を、今更思い出した。
「ああ、大丈夫だよ。それに、堂々としてると、逆にバレないっていうじゃん?」
「そっか、そうだよね……、ごめん」
「ううん。でも、クモリが私の事気遣ってくれて、うれしかった!」
ハレは私に微笑む。……やっぱりまだ、眩しいな。
食べ物だとか、歯ブラシだとか、生活に必要なモノを、店を転々として買っていった。それから、ハレの案で、買い物が一段落した後、私達は街中の喫茶店に向かった。
落ち着いた雰囲気の喫茶店では、パソコンを開いて仕事に勤しむ人だったり、男女でテーブル席を陣取る様子だったり。ローファイの生み出す風情が、それらを一つの色へと纏め上げる。
「いらっしゃませ、お好きな席どうぞ」
ハレは入り口から近いカウンター席に向かっていく。私も隣に座った。
思えば、久しぶりに外へ出た。遊園地に来た子供みたいにきょろきょろと、店内を何度も見渡す。
「おねーさん、私カフェオレ!」
おねーさん、と呼ばれたのでハレの方を向いた。しかし、彼女の視線はカウンターの方へ向いている。呼ばれたのは店員のお姉さんの方だった。
「お、ハレちゃん。わかったよ~!」
カウンターのお姉さんは愛想良く返事をする。どうやら、ハレはこの喫茶店には何度も訪れているみたいだ。そんなことを考えながらボーっとしていると、今度は私の注文を聞かれたので、取り敢えずカプチーノを頼んだ。
少し間が開いて静かな時間ができると、頭の中では色んな事が行き来する。どれも取るに足らない、仕様も無い事だ。
外に出て、カフェに来てみて、変わりなく動く世の中。自分がこの世界で、ちっぽけな存在なんだと、そんな気がして堪らなかった。
「おまたせ~、カフェオレとカプチーノ」
カウンター席の、私の前にコーヒーカップが置かれる。
「ハレちゃん、最近どう?」
「……? 元気ですよ?」
ハレはカフェオレを口にしながら、店員の方を向いて不思議そうにする。
「なら良かった。いや、最近物騒じゃん? 連続殺人事件だっけ?」
「ああ、最近ニュース、そればっかりですよね」
今、店員のお姉さんに、目の前の少女がその犯人だと言ったら、何が起こるだろうか。白い目で見られるのは、ハレか、私か。きっと、私なんだろうな。
「そ。だからハレちゃんも気を付けなよ~? ……っていっても、ハレちゃんは狙われたりしないか」
「どういうこと?」
「それがね、SNSで話題になっててたまたま見たんだけど。今まで連続殺人で殺された人、全員が全員、前科がある人らしいの。だから今、ネットでは犯人を応援する人まで出てきて、大変みたいなの。――で、ハレちゃんはいい子だし、狙われ無さそうだよね~ってこと」
「……当然だよ。人なんてみーんな、しょうもない事に意味を持たせるのが、大好きなんだから」
「……? どういうこと?」
「あ、いや、何でもないです!」
その言葉を聞くと、店員のお姉さんは「そっか」と言葉を残して、私達の前から離れて行く。どうやら注文が入ったみたいだ。
先程の一瞬、ハレの表情が、曇ってしまったように見えた。あんなにも眩しかったハレが。そして私は考えた。
「どうして、ハレは悪い事が、嫌いなの?」
「知りたい?」
何となく、聞いてみたのだ。でも直ぐに、愚問だと気づいた。
どうして少女は悪を裁くのだろうか。きっと、その訳は、私なんかには重たすぎるのだろうな。知って、苛まれてしまうなら、また私が何か背負わなくちゃならないのならいっそ、そんな訳は知りたくなかった。
「や、いい」
今私は、ハレの表情の変化に、何らかの意味を求めたのだ。そのことに気づいた私は何となく、ハレと目を合わせる事が出来なくなった。
そう思って私が目を離した途端――。
「ね、クモリ」
グッと肩を掴まれて、思わず私は顔を向ける。
「今日は、楽しかったね!」
私は今、少女と初めて目を合わせる事ができた。そんな気がした。――だって少女の眼は……、暗くて鬱蒼としていたから。
――今日私は、久しぶりに外に出た。少女が私を、外に出してくれたのだ。どうして、とか考える暇も無く、健気な少女は私を曇天から連れ出した。
勿論少女にも、リスクはあった筈だ。私が逃げ出してしまえば、今まで聞いたことを警察に話してしまえば、少女はいつか捕まってしまうだろう。しかし、今思えば少女は、私を信じてくれていたのかもしれない。そう考えたら、意外と悪くない気分だった。ズルいじゃん、こんなにかわいい子がさ、私の事を信頼してくれてるかもしれないって、考えるだけで幸せだった。連続殺人犯だとか、善悪だとか、そういう事はもう後回しにしてさ。でもそんな幸せは、ずっとは続かないモノ。
ある日の、いつもの時間。ハレは、煤を被ったみたいに汚れた身なりで、綺麗で可憐な顔には切り傷をつけて、廃屋へと戻って来た。
「……どうしたの?」
「……通報された。仕留め損ねて、ちょっと揉み合ったらコレ」
「……は? じゃあ……」
「うん。ココもヤバいかも」
遂に来た。と思った。これが嬉しいか、悲しいかは、もうどっちつかずで分からなかった。
「じゃあ、逃げないと……、だよね。急ごうよ!」
「……」
「……ハレ?」
ハレは苦虫を噛み潰したような顔をして、黙っている。
「……クモリは、逃げてよ。クモリの事は、まだきっとバレて無いから」
「は? 私だけ――」
「人ってさ、たまにアニメとか、漫画みたいな妄想をしたりするよね。自分が英雄になって世界を救ったり、或いはヒール、若しくはヴィランとして、プロバガンダに努めたり。そしてそんなことが出来たらいいな~。とか思うんだ」
私は、私の言葉を遮って話す少女の言う事が、よく理解できなかった。ただその言葉は、自分を諭すためのものだと、何となく思った。
「けど、それって実現が出来ないから、どう足掻いても、どんなことを出来る人でも、そんなことは出来ないから、それが今よりも『良いこと』として頭で思えるようになってくる。そしてそれを、自分なら出来るんじゃないか。とか身の丈を違えて思っちゃったりする。自分が神託であるかのように、『良いこと』を振り翳すんだ」
言葉の断片を合わせていって、ようやく分かった。少女は今、自分の事を言っているのだ。正義を現したかのような彼女自身の事を。
「でもさ、仕方ないじゃん。昔から人はそうやってきたんだから。冷めたような、シニカルな今でも、虚像に縋りつく昔からは、あんまり変わってないんだ」
「……」
「――行くね」
そう言い残して、ハレは廃屋を後にした。――私は、動けなかった。
私は、パッとしないまま、元の生活に戻った。こんなことがあったとか、他の人に言うことはできなかった。あの路地裏でのハレとの事は、胸の内に止めて置いて、その後も外に出すことは無かった。
私は何も、悪人のままだった。
小鳥遊です。人の思想や考え方って、ちょっとやそっとじゃ変えられないですよね。私達や、彼女等の名前みたいに。
一応続きがありますが、この章だけでも読めるように書きました。ですので続きは、良ければで結構、気長にお待ちください。宜しくお願いします。