附章
塊協半が突如として歴史の表舞台に躍り出た、俗に言う「剣髯狩坦」の戦記は第七章をもって語り終えたが、後日譚なり、補遺として幾つかの事項を此処で記したい。些末な話もあるが、今暫くお付き合い願いたい。
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「ちぇ、皆んな忙しそうだなあ。」
阯駒は城主府大回廊の甍の上に座り、慌ただしい邸内を眺めている。坦陸を制圧した塊協半軍の関係者が、忙しなく動き回っているのが、上から良く見えた。
1時間前、まったく同じ場所に、壘家の諜者、辰留躊が座っていた。同じ諜者でも勝者と敗者、彼我の差は歴然である。
今はすっかり朝日が空を照らし、北西に聳える十黄旗塔も良く見えた。
阯駒が、ぽってりとした紅唇をだらしなく開けて甍からの風景を眺めていたその瞬間、背後から羽交い締めにされた。
「んっ」
細いが、筋張った力強い男の腕が、急に阯駒の豊かな胸乳に食い込んだ。咄嗟に背後の者の袖を掴み、前方へ巻き込みながら、ブン投げた。
「うわ、阯駒。俺だよ。」
投げられた者は笑いながらも、驚いている。そのまま飛んだら庭に落ちるが、空中で回転し、身を捩り、軌道を変えて甍の端に爪先立ちした。
「おっとと、全く。恥ずかしがる間柄でもあるまいに。」
「なんだあんたかい。」
口を尖らせ、あからさまに落胆する。
体勢を立て直した運程跌は、座っている阯駒の顔を覗き込んだ。
「ははあん。」
「なによ。」
「土考、土哭の旦那たちはもうお前の手が届かないところに行っちまったぜ。」
阯駒はぴく、と肩を震わせ、頬を引きつらせた。
「もう野盗の群れとは違うんだ。つい今朝方、この集団は変わったんだ。土家の兄弟は最早、塊協半小政府の重臣。俺ら諜報部隊とは住む世界が違ってるんだ。」
「分かってるよ、そんなことは。」
肩だけでなく声も震えており、運程跌は多少、阯駒が可哀想になった。
「お偉方が女諜者としけこんでることだって、あるでしょ?まだ可能性あるもん。」
等と言うもんだから、更に同情したが、それ以上に呆れもした。運程跌は溜息つきながら聞いた。
「で、この坦陸にて発足した塊協半政権で、お前は諜報続けるのか?」
「んー」
尖ってた口が、今度はへの字に曲がった。
「うん。どっちかと、しけこめるかもしれないし。」
「分かったよ。塊協半様に俺から言っておく。ところで。」
ふいに運程跌の目付きが変わった。
「低い可能性に賭ける前に、俺としけこまないか?」
この瞬間、阯駒は座ったまま空を飛んで、運程跌と間合いをとると、
「この集団が変わるんならね、私だって変わるんだよ。」
と言って運程跌を睨みつけた。
流石に運程跌も驚いたが、瞬きする間に、阯駒は駆け去っていった。各所で傷みも目立つ甍の上を、音も無く飛ぶように走る。
運程跌には喪失感もあったが、一方で、阯駒が残留することで新政権の諜報機能が充実する、と期待感を強めてもいた。
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中講堂で塊協半が宣言してから30分後。
昱右は3枚の紙片をひらつかせながら、
「よし、文案できたわよ。」
中講堂脇の房室に入ってきた。
「早いな、もう出来たのか。」
塊協半が紙片を受け取る。
房室には他に堕叉、揆朋楓、閂滔登が膝を詰めて控えていた。
びっしり墨書された紙片を、彼らは回し読みする。
「それが高札の文案、揆朋楓が担当すること。生き残りの吏僚に百枚写させて。で、それが高札を掲示する配置図。迎坦門と十黄旗塔には多めに立てるよう書いてあるわ。8時までに高札を立て終えて、各地区の区長に戸外への外出解禁を区民に周知するよう伝達なさい。」
「忙しいわねえ。」
思わず口を尖らせた揆朋楓だが、昱右の吊り上がった眼で一睨みされると、「はあい」と返事するや急いで退室した。
「閂滔登。」
「へ、へい!」
閂滔登は急に呼ばれて心臓を躍らせている。
「そんなにビックリしなくていいでしょ。」
昱右は丸顔を少し緩ませながら、
「十黄旗塔の鐘を十回鳴らしなさい。今すぐにね。」
しかしなかなか大変な指示を出した。ここからは直線距離で300m程だが、城主府内は入り組んでおり、道程は結構遠い。
「もう6時を過ぎてる。早く行きなさい。これが十黄旗塔の鍵よ。」
「へ、へい!」
百人もの手下を連れて坂外窟から合流した盗賊の首領も、まったく肩なしである。蹴つまずきながら房室を走り出て行った。
昱右はしかし全く忖度しないし、彼女の指示には明確な意図があって揺るぎない。
市民は今、大いなる疑問に苛まれている。昨夜、滅亡寸前だった壘渋政権が予想通り殲滅されたようだが、それをやり遂げたのは連合軍では無い謎の一団である。夜陰、窓を開けて盗み見ていた市民も多かろうが、その軍団が塊協半達であることを知る者は皆無、耳聡い一部の市民が「塊某」と小耳に挟んでいる程度だろう。
辻々に高札を掲げること、十黄旗塔の鐘を鳴らすことはこの城市の主でなければ出来ないことだ。これらのことを揆朋楓や閂滔登という、今後塊協半政権の中核を担う者が自ら行うことで、それを見た市民は彼らが為政者であることを認識する。
一見、昱右に使い走りをさせられているようだが、揆朋楓も閂滔登も、征服直後の城市を円満に接収するために、重要な役を担っているである。
そのあたりは塊協半や堕叉も分かっているが、悪鬼のような活躍を見せた武人二人に有無を言わさず従わせる威厳が、昱右の小さな身体のどこから溢れ出るのか、それが不思議な為に、ニヤニヤと笑っている。
「何へらへらしてるのよ。」
昱右は忖度しない。
悪友が手に入れたこの巨城で、充実した施政を行うことしか、彼女の頭の中にはない。
「十黄旗塔は暫くちゃんと使われてなかったみたいだけど、本来は早朝に鳴らされた回数で城主が演説する時間が知らされてたの。だから閂滔登が十回鳴らすから、塊協半様、あんたは十時に迎坦門広場で演説するのよ。」
「迎坦門なのか」
「当たり前じゃない。」
塊協半が呟くや、皆まで言わさず昱右がぴしゃりと制した。
「他にどこでやるのよ。坦椿園なんかでのどかにやるような話じゃないでしょうに。」
そして吊り上がった眼で、堕叉を鋭く睨んだ。
「塊協半様にその演説文案をしっかり練習させて。大変だけど塊案は捕縛中だし、迎坦門広場での仕切りも貴方がやらないといけないわ。これが失敗したら私達、市民に殺されるわよ。こっちは人数少ないんだから。」
失敗は許されないわよ、と念を押して、昱右は部屋を出た。
塊協半は呆然と扉を見つめている。
「言うだけ言って、消えたな。」
「多分あいつ、これから地下の帳簿と睨めっこだよ。早く官吏を雇用しないと、俺らがこれからとんでもない量の仕事をふられるぞ。」
二人はちょっと青ざめたが、
「そんな一番大事なところをあたしが抜かる訳ないでしょう!」
と、昱右が引き返してきたから、「ひえ」と眼を丸くした。
「『泳州昴試』の坦陸版をちゃんとやって、領内、領外から秀才を募るの。行政官は国の血液よ。帳簿と睨めっこしながら、問題作成するわ!」
と吐き捨て、扉を荒々しく閉めて、再度退室した。
塊協半と堕叉は一瞬顔を見合わせる。
「俺は取り敢えず演説の練習に集中するわ。」
「しっかりやっといて下さいな。俺は演説会場の準備をしないと。」
「あ、あー。あー、『親愛なる大坦陸城の良民よ―』」
歴史的勝利を収めてまだ何時間も経っていない武勲者たちは、あたふたと眼前の仕事に取り掛かり始めた。
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その4時間後。
坦陸の迎坦門では既に、塊協半が昱右の原稿通り市民を前に演説を始めている頃である。太陽は南天を駆け昇っていく。この眞暦1807年を始めとして3年は、初夏の気温が上がらず、「低温初夏」と呼ばれることになるが、今日は雲も無く、木立の切れ間から覗く日差しが強かった。
「ともかく南に参りましょう。」
延業禦はその初夏の日輪を指差して、後ろを振り返った。
「ん。」
背の小さな少女 ― 壘魍が、物憂げにうなづいた。延業禦の背後について何か考えている。
ここは坦陸から10km程南下した、森の中である。南北に続く墳翳丘陵の一部で、波打つ起伏の黄土に灌木が生えているが、森といってもまばらで目を凝らせば前後左右を窺うことができる。
延業禦は、心ここにあらずといったていの壘魍を急かす。
「早く行きませんと。ここは姿を隠せませんから、すぐ落人狩りに捕まります。まあ、随分坦陸からは離れたので大丈夫かもしれませんが。」
「ねえ、謫徒のことだけど」
「オラァ。お前ら壘家の者じゃないか?」
壘魍の言が終わらぬ内に、灌木の影から賊が現れた。
「ここまで来てもまだいるんですね。」
延業禦は鼻から溜息を吹き出して、佩刀に手をかけた。
左の木陰から二人、右から三人。いずれも顔中傷だらけで、図体の大きい、絵に描いたような追い剥ぎ、ならず者である。
「俺らは塊協半軍の者だ。壘渋の孫娘を探してお」
「嘘言え」
今度は、追い剥ぎの話が終わる前に壘魍がぴしゃりと制した。いや、そればかりか彼女は黄土を何歩か駆けて、地を踏み切り、直線的に空を飛んで追い剥ぎの口に蹴りを刺し込んだ。
「ごがっ」
壘魍の小さな黄靴が、追い剥ぎの歯を破壊して口中にめり込んだのだ。壘魍は追い剥ぎの頭を引っ掴んで右足を口中から引き抜くと、回転しながら黄土に着地する。
「嘘よ、あんたらが塊某の軍属な訳ないじゃない。連合の大軍や壘軍を撃破したとは言え、小規模な野盗の群れなんだから、ここまで追っ手を割く人数的な余裕はない筈。」
しかめ面して、唾液で濡れた右の黄靴に足元の土をかぶせる壘魍は、しゃべる。この時、少女の見事な蹴り技に呆然としていた他の追い剥ぎ二人は、佩刀を抜いた延業禦にバサバサと斬り捨てられていた。
「それはそうと、謫徒のことよ。ちょっと考えてんだけど、彼奴なりに壘家を何とか守ろうと必死だったんだよね。」
延業禦はもう一人も倒し、残る一人と対峙していた。ふいに壘魍が傍の小石を拾うや、素早く投げ、過たず追い剥ぎの左目に命中した。こうなれば、延業禦としては目を瞑ってても倒せる。
「こういう賊徒を我が坦陸に引き入れるなんて今思っても承認できない策だけど、結局賊の介入が無けりゃ、連合軍に潰されてた訳だし、途中までは彼奴の読み通りだったのよ。」
最後の一人を、延業禦が易々と討った。
「ありがとうございます。これで追い剥ぎは片付きました。さあ、南へ行きましょう。」
「結局私はこうして逃げるだけ。恐らく謫徒は賊が生かしはしないだろうから、坦陸に殉じたことになるわ。私よりもずっと立派よ。」
堰を切ったように話し始めた壘魍の小さな背中を押しながら、延業禦は先を急いだ。
日はなおも南中目指して、昇っていく。
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衝撃の報は翌々日、6月23日の昼には、坡州の州都である塔樹にもたらされた。
「朦罠、お主の認識とは違ったな。坤斧ではなかった。」
坡州龍牙の皷逆彙は、大きな眼を更に見開きながら声高に言った。彼の声は州王府金堂にこだました。
「そんな言い方は無いでしょ。ねえ、朦罠。」
対面に立つ同じく龍眼の建慮が蘇木色に染めた唇を歪めて笑う。紗の長袍も銀紅色、彼女の周りだけ匂い立つ程に華やかであった。
二人に挟まれるように王座に座る培梅は楽しくてしようがない、という満面の笑みだ。
「うふふ。そう、これが坤斧逝去の証左になるでしょう。こんな嬉しいことがあるかしら。」
「培梅様。」
皷逆彙はその瞳を昼の猫が如く小さく狭め、主君を三白眼で睨みつけて発言を咎めた。
「左様に単純なことではありませぬ。我等は壘渋という、美獣に対する壁を失い、坡州州内で直接境界を接することとなったのですぞ。」
「その為に逓操と同盟したのでしょう?」
培梅は口うるさい皷逆彙をあくび混じりに制し、
「で、朦罠よ。貴方が死闘を繰り広げた『一字閃』坤斧は美獣に屠られ、我等が目の敵にしてきた坦陸の壘渋は盗賊の前に消滅したわ。」
朦罠の顔を覗き込んだ。
「次はどうなるかしら。」
「恐れながら、好機かと。」
朦罠が口を開いた。
ほお、と建慮が厚い脂粉に覆われた頬を嬉しげに歪める。
王座の前に跪き、州双竜に見下ろされながら、朦罠の吐く息は熱い。
「此度の『剣髯狩坦』で美獣の受けた衝撃は計り知れません。暫く穣河を渡れぬでしょう。そして坦陸を『狩』ったのは髯が剣の如く硬いというだけの野盗。坡州王家正規軍の前に敵ではありません。なれば当家の悲願である坡東制圧の大好機と言えましょう。」
ここで皷逆彙は更に大きく眼を開き、熱く表明する朦罠に見入った。
「私めに賊の掃討をお命じください。明日にでも出兵しまする。」
この時、朦罠の眉間を袈裟懸けに走る傷跡が紅く色づき、皷逆彙はそれに注視したのである。この州龍牙は大きな白眼を目蓋で一度隠して、ふっ、と息を吐いた。
「さもあろう。しかし」
坡州王政府の軍事は全て龍牙である皷逆彙が掌握している。
「遜州王逓操の援軍と合して後、東上する。」
有無を言わさぬ口調で、朦罠に命じた。
「御意。」
朦罠は深く頭を垂れた。再び顔を上げた際、無表情であったが、その斜めの傷は更に紅く染まっていた。
顎を引いて皷逆彙は頷く。
「ふふ、落ち着き給えよ。『斜晃将軍』。」
培梅も建慮もにやつきながら、二人の様子を観察していた。
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眞暦1807年7月8日。
因州中南部の軍事都市、囿治果。
「うわあああん!」
高い槐の木を大門に植えた白い家から、赤子の泣き叫ぶ声が聞こえる。
中には、藁の如く身体の細い母親が赤子を抱いていた。優しくあやして程なく赤子は泣き止んだ。
母娘に対面しているのは、同じように痩せた長身の男。
「姉上。」
男は伸ばし始めた口髭を撫でながら、女に言う。
「散り散りになっていた敗兵が、続々と穣北に帰還しています。秦州の穂佑聯様が収容くださり、近日中に因州へ送還下さるとのこと。」
「そう。でも、秦州王穂泉煎は戻ってこないのでしょう?」
女は艶のある短髪を揺らして、男に視線を合わせる。
女は斐醺、男は弟の斐色矜である。
石椅子に座り、斐醺は白い軍靴を光らせながら、斐色矜は細長い脚を組み、姉弟で向かい合っている。
「あれだけの乱戦です。塊協半の奇襲で戦死したのでしょう。当州龍牙代の巴雷丹邦冤様も戦死を遂げられたのですから。」
「龍牙代か。址細径でしょう?おいたわしい。」
「そうなんです。州軍の柱石でしたから、影響は計り知れません。私なども龍牙代には一度」
「話が逸らせて、うれしい?」
斐醺は針のような一重眼で、きっ、と睨んだ。
泣き止んでいた赤子が再びぐずり出す。
白面を切り裂くように走る細い眼を、斐色矜がこの時ばかりは大きく見開き、思わず姉から視線を外した。
対して斐醺は、直線状の高い鼻梁から、ふん、と不満げな息を鳴らし、弟を睨み続ける。
「この欽梅は因州王家に仕官させません。当然、秦州にもね。」
斐色矜は立ち上がった。
「それは姉上が望んだとて無理でしょう。その娘は逆賊の胤ですから」
その瞬間、パァン、という打撃音が響いた。
「んあっ」
声に出来ずに呻いて、斐色矜はその長身を床に崩した。赤子を抱いたまま、斐醺が立ち上がりざまに蹴りを打ち込んだのだ。硬質な白い軍靴が斐色矜の右大腿にめり込んだ。
赤子が― 斐欽梅が火がついたように泣き出した。
「お前はね、私が州王軍の医薬廠で稼いだ金で育てたのよ。今後も立場をわきまえて発言なさい。」
斐色矜は苦痛に顔を歪め、太腿を抑えながら床に伏している。
彼の頭に去来する懸念は今、― 嗷号に揶揄されて悔しい― という程度の低い感情だけであったが。
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都州帝城。
坦陸から南東に500km程離れた大姚帝国の首都であり、南北10km、東西20km、斐界無双の巨大城市である。
すこし時間を戻す。今は6月23日である。
「天さん―」
帝城の深奥に建つ龍眼府に、金切声がこだました。
「おう、門東衫か。如堯峰まで?どうした、俺は見ての通り取り込み中だぞ。」
金切声に応じるのは、白磁の如き美麗な肌を持つ、色男である。
だが彼は三人の女の尻を同時に抱え込み、同時に馬乗りになろうとして四苦八苦していた。
「天さん、そりゃ無理だ。一人俺に寄越せ。」
「おう、そりゃ助かる。」
「あたしの話を聞け、てめえら!」
再び門東衫が金切声を上げて、男二人は流石に沈黙し、
「坦陸の話よ!」
いやらしい手も止めた。
門東衫と一緒に入ってきた長身の男が如堯峰であり、色男が妖天である。
「へ?美獣の奴が壘渋を滅ぼして坦陸を獲ったんだろ?穣南征伐の詔勅出させたのは、この俺だからな。」
「それがな、天さん。」
如堯峰がニヤつきながら、言う。女の尻をこっそり撫でているが、楽しいのはそのことではなく、これから門東衫が告げる坦陸の事件についてである。
「違ったんだなあ。確かに壘渋は討たれ、坦陸は陥ちた。だがあの城を手に入れたのは美獣ではなかった。」
「本当か?じゃ、誰だ。」
妖天は眼を輝かせながら、女を突き飛ばして門東衫の足元に這っていく。朱地に金糸刺繍の長袍は、妖天の硝子細工の如く整った顔相に良く似合っていたが、いちいち行動と言動が猥雑で、その姿形と違和感がある。
「ちょっと待てよ。俺、当ててやるぜ。」
「無理だよな。」
「さすがの『狡玉睨』でも無理よね。」
如堯峰も門東衫も、下卑た笑いを浮かべ、床を這う妖天を見下ろしている。
「坤斧が生きていたとか?」
「現場の馬鹿どもだけじゃなくて、美獣ですら、そう思ったみたいだけどね。」
「死体が見つかってない。」
「まあね。でも違ったのよ。」
「じゃ、穂泉煎が美獣を裏切ったか?いや、あいつにそんな気概はないな。」
「穂泉煎は戦死したって。」
「じゃあ、秦州は完全に美獣のものになるんだな。いや、今はそれが問題じゃない。」
「へっへー。誰だと思うぅ?」
門東衫が赤い舌を出す。
「くそー」
妖天は、形のいい唇を血が出そうなくらいに噛んでいる。
配下に舌を出され、自らは床を這いずり回っているこの男。姓は妖、名は天、れっきとした大姚帝国の第1大臣、龍眼である。各州王府の龍眼と訳が違う。中央政府の龍眼なのだ。舌を出している門東衫も第5大臣の祭相なのだが。いや、そもそも妖天は龍眼どころか、皇帝すら組み敷いた「玉睨」という立場にあるから、実質的に大陸の頂点に昇り詰めているのだが、ともかくそんな男が帝城の深奥で下卑た振る舞いに終始し、乱痴気騒ぎをしているのである。
妖天は悔しげに見せているが、目は笑っていた。
「あと妥当な線は、培梅か?あの婆さんは果断じゃないが、朦罠が突出して戦場に雪崩れ込んだか。」
「いっかな朦罠とはいえ、堅城坦陸を陥とすと同時に、12万の連合軍を穣河の北岸に追い返すことは出来まい。」
如堯峰の言に、妖天の笑顔はいよいよはち切れそうだった。
「何と。もう連合軍は撤退したのか?12万が引き揚げちまったのか。いや、穣河の北岸に逃げ帰ったのか?」
「そうよ。」
「なんてこった。こいつは凄いぞ。いや、4月の詔勅は壘渋には全然期待してなくて、培梅と美獣の潰し合いを目論んでたんだがな。」
「でしょうね。」
「これはそんなケチな話じゃねえ。壘渋から坦陸を獲ると同時に、12万の連合軍を一気に追い払った豪傑がいるって大事件だ。そうするとどうやら、」
妖天は美麗な顔をくしゃくしゃにしながら、
「壘渋が半死の状態で苦し紛れに悪霊を呼び込んだってところだな?」
「ご明察ぅ!」
門東衫が手を挙げて、飛び跳ねた。
「悪霊っていうかね、通り名は『褐剣髯』。剣のように硬い髯をぶら下げた坡州塢宜の盗賊で、姓は塊、名は協半。」
「褐剣髯?」
鸚鵡返しに妖天は唸った。
「いいじゃねえか!面白え!」
床から立ち上がると、彼は卓にあった花梨酒の杯を掴んで、頭上に突き上げた。
「これであと数十年、この宮殿で楽しめるぞ!」
そして哄笑し、門東衫や如堯峰もそれに従って杯を掲げた。こうした大姚帝国の首脳部は今後数十年の乱世継続を予測し、それに歓喜したのだった。
都州帝城の空も曇っている。
初夏の気温はこの地でも上がらぬままであった。




