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東狩獲城  〜『斐界群史』詳伝  作者: 適当館 剛
第七章  剣髯狩坦
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第九話

「おお、兄者!」

 土哭は手を振った。

 城主府中講堂の中、土考が足音荒く現れ、邸内の残党狩りを終えた土哭が目ざとくそれを見つけた。

「凄かったらしいな、址細径は。秦州王や因州龍牙代を射殺したんだろ?」

 駆け寄る土哭が頭上に掲げた掌に、土考も掌を合わせてパン、と打つ。

「ふん、美獣と号炸蹉蹉は逃したがな。」

「惜しいがしょうがねえ。そいつら討ったら天下取れちまうんだから、次の機会にとっておきな。あ、それよりもよ。」

 土哭はここで声を低め、土考の耳元で囁いた。神妙な顔つきである。

三巨熊(さんきょゆう)を引っ張り出せなくてすまなかった。」

「仕方ねえ。お前自身は間に合ったんだな?戦に。」

「ギリギリでね。そうだ!」

 何か思い出して、再び土哭の表情が輝き、頬が紅潮した。

「戦場に駆けつけたら、名のありそうな武将が立ってから斬りかかってみたんだ。誰だと思う?」

「さあ」

「美萊峩よ!」

「ほう」

 普段無表情な土考も、流石に今朝は笑ったり驚いたり、顔面筋肉が忙しい。

「かの『青光麗弟』じゃないか。羨ましい、俺も手合わせしてえもんだ。」

「良い所まで攻め込んだぜ。仕留め損なったが。」

「そうだろうな。あいつ、墳上河の渡しにいたからな。」

「数十合は切り結んだ。」

「十数合じゃなくてか。どうせなら美獣の方が良かったな。所詮は弟だ。」

 今度は表情一つ変えず、土考はバン、と弟の岩塊が如き肩を叩いた。

「ちぇ、後に残るのは弟なんだぞ。先に死んじまう兄貴どもは、余り調子に乗らん方がいいぜ。」

 どちらかの兄弟は弟が先立つことになるのだが、当然土哭はこの時点で知る由もない。

 再び兄に引っぱたかられ、土哭は中講堂の奥に追い立てられた。


――――――――――――――――――――


 5時10分。

「揆朋楓、あんた随分派手にやったねえ。」

 呆れる昱右に対して揆朋楓は、

「そうでもないでしょ。あんた今、吐きもせず平然としてるじゃないの。だから、大した光景じゃないわ。」

 そう言って肉感的な唇から真っ赤な舌を出した。


 昱右は城主府の中講堂に顔を出して惨劇の空間を目の当たりにしたが、確かに揆朋楓の言う通り、その丸顔に感情の揺れは無い。床に散らばる血肉で沓が汚れるのも構わず、ずかずかと無遠慮に中講堂を横断していく。

「揆朋楓。今日中に清掃の行会(こうかい)を調べて値決め後即発注し、明日午前には府内を全部綺麗に潔めること。」

「ええ?あたし徹夜で戦ったんだよ。寝かせて―」

 ここで昱右は鋭い目を吊り上げ、きっと揆朋楓を睨みつけた。揆朋楓は敵の棟梁である壘渋をその手で屠り勲功第一は疑いないが、そんな女戦士も、ひっ、と小さく悲鳴を上げて、自らの発言を打ち切った。

「土考にも言ったんだけどね。私たち塊協半一味の事業はこれからが大事なんだよ。人や物をぶっ壊しておいて、一息ついてる暇なんて、無いんだからね。」

「わ、わかったわ。」

 この時ばかりは揆朋楓も、24歳の若い女性に戻って可憐に怯えたものである。

 だが怯えさせた張本人である昱右は、その1つ下の23歳なのだが。


 同僚の武人を震え上がらせたこと等、昱右にとっては当然どうでもよく、まったく気に留めていない。

 中講堂を抜けた彼女はまっすぐ階段に進み、地下へ降りていく。早朝の暗い廊下に、逃げ込んだ家人らがいくつも骸となって転がっていた。

 眉一つ動かさずに屍を踏み越えていく。昱右は征服地での略奪や虐殺をひどく嫌い、塊協半以下に固く禁じた。しかしこの城主府の中では口笛でも吹き出しそうなくらい軽やかに歩いている。目の前の惨劇は、彼女に言わせれば略奪でも虐殺でもない。


「まだまだこんなもんじゃ、こいつらから取り返したことにならないわ。」


 いくつかの屍を踏みにじった後、「籍」という木札の下がった扉を見つけると、ピタと足を止め、晴れやかな笑顔を浮かべた。この酸鼻を極める地下空間には余りに不釣り合いな表情で、天真爛漫、爽快無比、心からの喜びが溢れていた。彼女は勢い良く扉を開けて、室内に飛び込んだ。

「やっぱり!戸籍簿を見つけたわ。」

 書棚にぎっしり並ぶ帳簿に見当つけながら手早く取り出していき、

「西街区、そして東街区、と。城北もちゃんとあるし、坦陸市内は全て網羅してそうね。良かったわ。あ、堪比巷もあるのか。圭粒(けいりゅう)も。そうね、まあ壘家の主城だからね。坡州東部の都市は、概ね抑えてある訳か。」

 よしよし、と合点の入った様子で部屋を出ると2つ隣の扉を蹴り開けて、また飛び込んだ。

「で、ここは財務ね!」

 いよいよ、はちきれんばかりに笑い、あはは、と声をあげた。次から次へと帳簿を取り出し、パラパラとめくっていく。

「なるほど、なるほど。さすが富裕な坡州王に抗してただけあるわね。ええと、培梅と戦ってた2年前も予算はかなり余裕だわ。ただ美獣が渡河してからは、加速度的に苦しくなっていくわねえ。」

 そして記帳は、2ヶ月前で止まっている。財務総監の埼執(さいしつ)が処刑されたのは17日前だが、その下の財務吏員は籠城戦という緊急事態下で記帳どころではなかったのであろう。

「ただ、臨時歳入があった時だけ記帳されてる。どこからか分からないけど、どうせ領内の農村からか、城内の商人から収奪したんでしょう。いずれにせよ、いい加減な会計だわ。」

 この2ヶ月間の城内の収支について、すぐに情報整理せねばならない。

「この空白を埋めるのは大変!」

 と言いつつ、昱右はその丸顔に満面の笑みを浮かべ、これから始まる激務がかえって楽しみでしょうがないようだった。


 窓から朝日が射し込んでいる。


――――――――――――――――――――


 後ろ手に縛られた謫徒は、荒くれどもに引っ立てられて、城主府内を連行されている。唇から幾筋も血を流し、バラけた前髪の間から幽鬼の如き目をのぞかせて前を見据えていた。

 荒くれどもは広壮な城主府内をまだ把握しておらず、導線から外れた回廊の第3層に迷い込んだ。謫徒も彼らに邸内を案内するでもなく無言で歩いていたが、

「あ」

 と、何かに気づいた。


 屍が横たわっている。

「あれは壘渋様?」

 謫徒は駆け寄ろうとしたが、捕縄(ほじょう)がきつく身体に食い込み、

「うっ」

 苦痛に頬を歪めた。

「おいっ、あれは我が主、壘渋様なのだ。寄らせてくれ。」

 賊徒どもはニヤニヤ笑いながら、謫徒の懇願を無視している。

「ああ、おいたわしや。首がなくなって。」

 つい先日まで己れに愛欲を注ぎ込んでいた主君が、首をとられた無残な骸をさらしている。しかし今、そこに駆け寄る事すら謫徒は許されぬ。

「ほら、行くぞ。褐剣髯さんに会いてえんだろ。そんな婆アの死体なんか拝んでる暇はねえぞ。」

 小突かれ、引っ張られ、謫徒の目には涙が滲んだが、

「けっけけ。泣いてやがら。」

 今は賊徒に嘲笑されるだけであった。


――――――――――――――――――――


 5時20分。

 謫徒が会いたがっている塊協半が坦彩街の略奪を終え、再び城主府の門をくぐった。

「堕叉。」

 塊協半は朝日に照らされて全貌が明らかになった邸内を見て、その幅広の鼻を膨らませている。少し不思議そうな表情でもある。

「何だい。」

「まったく満足せんな。」

「そりゃそうだろ。あんたにとっちゃな。」

 堕叉は答える。青ざめた顔に微笑を浮かべて。

 眼前では、壘渋の大邸宅が塊協半軍によって完膚なきまで蹂躙されている。そしてつい先ほど、坡東の要衝たる坦陸がその手に陥ち、また12万という渤因秦の大連合軍を僅か500人による夜襲で蹴散らしている。

 歴史的な偉業を成し遂げた訳だが、塊協半はそれに満足していない、というのである。

「そりゃ、そうだろ。」

 堕叉はそんな塊協半の気持ちは手にとるように分かっていたし、それを本人から聞けてひどく喜んでいる。

 渋面をつくって邸内の惨状を見つめる塊協半に向い、堕叉は言う。

「褐剣髯。」

「何だ。」

「あんたは坦陸の城主だ。今から、公の場では『塊協半様』と呼ぶ。」

 幼馴染であり、その偉業を共に成し遂げた同志である。それが今から主従関係になるという。

「おう。」

 そんな水臭い、お前と俺の仲なのだからこれまでと変わらずにいようじゃないか―

 ―などという反応は、塊協半には無い。

「そうだな。土考や揆朋楓にもよく言っておけ。」

 堕叉の言に乗り、指示を出した。

「御意!」

 堕叉は嬉しそうに拱手した。


――――――――――――――――――――


 少し遅れて塊案が城主府に戻ってきた。


 螂廈が出迎える。

「あれ、さっき塊協半様はお着きになったけど、ご一緒じゃなかったんですね。」

 先程の塊協半と堕叉のやりとりを螂廈は小耳に挟んでいたから、さっそく言葉遣いが変わっている。彼女は己れの属していた野盗の群れが、一晩で行政府たる存在に変わってきているのを察知し、それを前向きに捉えていた。

 塊協半が君主となる。とすればその弟である塊案に対しても、相応の対応をすべきだ。先程の戦場で見せた自分への横柄な態度は、塊案がすでに君主の弟たる己れの立場を意識していた故なのだろう。螂廈の心にはいけすかない感情がまだ残っていたが、そのように理解をした。

 塊案は、

「う、うん。」

 と手を上げ、なぜかばつが悪そうである。目も合わせようとせず、戦場で螂廈に見せた横柄さとは逆で、何かに怯えているようだった。

 ピン、ときた螂廈はその糸のように細い眉を寄せ、眉間を意地悪く歪めて、聞いた。

「坦彩街じゃ思い切り暴れましたか?昱右さんが民衆を略奪し、暴行した者は極刑と言ってましたが、坦彩街は服飾問屋の富豪ばかりですからね。裏通りの民家には皆さん、押入る暇はなかったでしょ?」

「ぐ。」

 螂廈は、新君主の弟たるこの男には、気を遣ってやるのも面倒で、単刀直入に疑惑をぶつけてやった。結果として、塊案は反論も何もなく必死の形相で螂廈の前から駆け去った。

「ふうん。これは。」

 螂廈は堕叉の姿を求めて、庁舎内を走った。

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