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其ノ伍 ― 一字閃の武威、穣北諸将を圧す

「連合軍に列する綺羅星の如き勇将の方々、馳走前の前菜として、私と演武を致しませんか?」

 坤斧は突然席を立ち、ずらりと居並ぶ連合軍諸将に向かって、大音声で呼ばわった。


 2mの大漢である。

 渤因秦連合の武将たちは一斉に、その立ち姿をふり仰ぎ、今更ながら「一字閃」坤斧という穣界随一の驍勇を強く認識した。そして、彼の意味不明な提案に言葉が見つからずにいる。目の前に並んだ豪奢な山海の珍味に今にもかぶりつこうとしていた時だけに、なんとも言えぬ空気が漂った。

「どなたか。本番さながら、丁々発止の演武を私と」


 坤斧がここまで言った時に、(いん)州王美獣(びじゅう)配下の席で一人の男が立ち上がる。

「おう、嗷号(ごうごう)様ですか。これは面白い。どうぞ、私を殺す積りで来て下さいませ。」

「坤斧さんよ。そっちは俺らに降伏したんだよな。立場ってもんを分からせてやるぜ。」

 立ち上がった男は因州では無敵の猛将、嗷号であった。

「美獣様、それに壘渋様。『一字閃』将軍自らああ仰ってるんだ。お命頂いてもお赦しくださいよ。」

 嗷号は長い鉄槍をひっ掴み、棒切れでも扱うようにブンブンと振りながら上座に歩いてくる。対する坤斧は、莞爾(かんじ)として朱塗りの華麗な(げき)を右脇に手挟(たばさ)み悠然と場についた。

「では」

 両雄は得物を前に突き出し、構えると、ほぼ同時に突きを繰り出した。


――――――――――――――――――――


 これは、眞暦1806年10月、坦陸城内の迎坦門楼閣内で、城主の壘渋が、渤因秦三国連合軍に降伏する際に催した宴席での一場面である。壘渋が連合軍に降伏するというのに、何故にその配下の坤斧が連合軍に喧嘩を吹っかけるのか、それはここ1、2ヶ月の経緯を説明せねばならない。


 妖天が大姚帝国の皇室を乗っ取ってからそろそろ1年が経とうというこの頃、乱世の歯車はいよいよ加速度をつけて回りだしていた。


 9月、つまり前月だが、壘渋は、坡州王培梅によって、本拠である坡州東部へ攻め込まれていた。培梅軍の「斜晃(しゃこう)将軍」朦罠(もうみん)が連戦連勝、壘渋軍は「一字閃」坤斧がおり、また同盟国の庇州王尼竺からの援けがあったからなんとか坦陸を死守したものの、坡東の領国は大きく侵食された。


 同じく9月、穣河の北でも動きがある。(ねん)州から侵略を受けた秦州王・穂泉煎を救わんとして、同盟国の因州から公子・美獣が腰を上げたのだ。出師(すいし)に反対の因州龍眼・圃韓(ほかん)や、秦州の流賊などが途中で立ち塞がるも、美獣は大渤帝国の支援も得て難なくこれを蹴散らし、秦州州都の穎邑(えいゆう)に入府した。


 10月になって留守にしている自領が危うくなった培梅は、歯噛みしながら坦陸から引き上げ、壘渋は喜んだが、それも束の間。今度は美獣が、穂泉煎と大渤帝国を引き具して穣河を渡河し、坦陸を囲んだのである。

 壘渋はすぐ降伏した。尼竺が隣国に攻め込まれて援軍を出せなかったのもあるが、何よりも培梅との戦闘で疲労の極にあったのである。

 ただ、一方の美獣はこの後、坡東を占領せず、壘渋から賠償金だけ巻き上げて、風のように穣河の北へ撤退している。この時の渡河は、穣南(じょうなん)の諸侯に対する威嚇が主眼だったためである。

 壘渋も美獣のその狙いは分かっていたから、まともに戦闘せずに降伏し、賠償金だけ払って平和裡に引き揚げてもらうことにした。前述の宴席を設けたのも、連合軍との緊張関係を緩める為に行ったものである。

 しかし降伏は降伏。穣界随一の武勇を誇る坤斧は自尊心を傷つけられ、あえて平和な筈の宴席に波風を立てたのである。


――――――――――――――――――――


 があーん

 坤斧の戟と嗷号の鉄槍が衝突し、強力な振動を伴う金属音が、広い堂内に響き渡った。

(強い)

 上座にあって間近に演武を見ている因州王美獣は、緒戦でもう坤斧の勝ちを悟った。どちらの突きも痛烈だが、坤斧に比べると嗷号は、動作に無駄があり、刃先がブレる。対して坤斧の攻撃は一撃一撃に力が乗っており、力感は無いが、嗷号は受ける度にズシリと大きな衝撃を感じていた。たった数合で、嗷号の足元がふらついてきている。

 止めるべきだった ―

 美獣は後悔した。平和裡にこの場を過ごそうと坤斧の申し出にそのまま応じさせてしまったが、ここまで武技の差を見せつけられると、折角取り付けた降伏にケチがついてしまう。

 坤斧は少し笑った。そして初めて力を入れた突きを嗷号の顔面目掛けて繰り出し、嗷号は慌ててこれを鉄槍で受けたが、その強烈な衝撃で後方へ尻餅をついた。

「これは嗷号殿、足を滑らせましたな。」

 いや、吹っ飛ばされたのだ。

 美獣は坤斧の笑顔に気づいていて、配下の中で最強の嗷号を子供扱いするその武勇に対して、恐怖をおぼえた。美獣は演武を止めさせるべく立ち上がろうとしたが、

「嗷号、お主酒を飲んでおろう、足にきている!」

 美獣の真後ろで女性の甲高い声がした。坤斧は嬉しそうに顔を向けた。

「おお、これは困士甜(こんしてん)どの。」

「『一字閃』殿、私と手合わせ願おう。」

 美獣の背後には彼の旗幟である巨大な紅雪旗(こうせつき)が立てられ、困士甜はその脇に控えて州王の護衛を務めていたが、因州軍の恥を(そそ)ぐべくひらりと前に出て、美獣が制止する間も無く、坤斧と相対してしまった。そして大刀を煌めかせて、坤斧に打ち込んでいく。

 困士甜は動きに隙が無く、とにかく速い。矢継ぎ早に剣撃を繰り出すが、坤斧は戟を短く持ったり、長く持ったりで、その全てを器用に受けた。十数合に及んだ頃、坤斧はまた薄く笑い、短く持った戟で困士甜の大刀をかち上げた。大刀は彼女の手から吹っ飛び、空中で回転して、美獣の紅雪旗を引き裂いて床に突き立った。

「坤斧!」

 その瞬間、老婆の叱責が飛んだ。

「そのへんにしておきなさい!己れの武を見せつけて何になるというのよ!」

 壘渋である。彼女はすぐ謝罪し、場を取り繕った。


 壘渋としては、もし美獣が機嫌を損ねて城を包囲してきたら困るため、坤斧を叱ったのだった。

 しかし一方で、確かに美獣は怒りはせず、予定通り撤兵したが、美獣も含めこの宴席に列席した連合軍諸将の眼に、坤斧の武勇がしっかり焼きついた。穣界随一という勇名は穣河の北岸まで鳴り響いていたが、まさか自軍で一、二を争う武人が赤児扱いされるとは。美獣とともに戦場を巡ってきた紅雪旗は軍の象徴でもあったから、それが曲芸的に破かれたのも大きな衝撃だったかもしれない。

 美獣は何か重いものを飲み込んだような顔をして、穣河を渡って北へ帰ったものである。

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