第弐話
3時を過ぎた。
謫徒は迎坦門広場の地面に転がっている。
「私は壘渋様の名代、謫徒だ!ぐっ」
奔流の如く駆け抜ける盗賊たちが、次々に謫徒を踏み躙る。
「何か踏んだか?」
「ゴミだろ。余計なこと気にせず速く駆けろ、乗り遅れるな」
盗賊たちは謫徒の立てた歓迎計画なぞ知る由もなく、前しか見ずに謫徒を塵芥扱いして先を急ぐ。彼らの木沓やら皮鞋やらが、謫徒の腹や背中を蹴り込み、悲鳴は250人の足音に掻き消された。迎坦門に並んでいた壘家の文官たちも、謫徒を置き去りにして、蜘蛛の子を散らすように逃げ失せている。
「―塊協半よ、忘れたか!」
砂の上に丸くなった謫徒はめげず、鼻血を撒き散らしながら叫ぶ。
「まず迎坦門にて我ら壘渋軍と塊協半の衆が対面の儀を執り行い、その後城主府に入って歓待の宴席というのが、今朝の次第だったのだ。それをお前は、全てすっ飛ばしおって。何をしでかしているんだ!」
そのツンと尖った鼻梁は無惨に折れ、口からとも鼻からとも分からず血が吹き出して、常より唇が紅い。
芋虫の如く地面に丸まった謫徒の叫びは、塊協半の一団が通り過ぎた今、最早誰も聞いてなかった。
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いや、
「こんな奴に城を仕切られるとは、情けないわね。」
一部始終を見聞きしていた者はいた。
「やっぱり塊―、何だっけ、塊某はこの城を獲る積もりだったのよ。」
壘魍だった。
彼女は謫徒が倒れている広場の上、迎坦門の門楼上に用心棒の延業禦と2人で隠れていたのである。切長の一重目を更に薄め、眉間に皺寄せ、口をへの字に結び、腰に手を置いて囁き続けた。
「坦陸は、壘家は滅ぶ。」
「姫様」
ここで延業禦が口を挟んだ。
「姫様、坦陸は、壘家は滅びますか。」
彼は180cmに及ぶ長身である。壘魍にとっては頭頂に言葉が降ってくるように感じられた。
この巨躯の従者は主君の小娘が言った台詞を鸚鵡返ししただけだが、念入りにその言葉を確認したようにも聞こえた。
ただ壘魍は左程疑問に思わず、小声で応じる。
「そう、滅ぶの。だから城主府へ戻るの」
そして私は家に殉じるの―
という部分はよく聞き取れなかったが、彼女の強い意志は門楼上の闇の中でも十分感じ取れた。壘魍は、螺鈿の髪飾りを外し、その場に捨てた。
眼下では、謫徒が呻き声をあげながらのたうち回っている。
ただこの時強烈な感情に支配されたのは壘魍だけでなく、延業禦も同じだった。彼は節くれだった長大な手指を強く握った。そして、
「お家滅亡の時、坦陸から姫と落ちよ、と壘渋様から」
しゃがんですばやく壘魍の幼い腹に拳を埋め込み、
「きつく命じられております。御免を。」
敢えなく気絶した壘魍を軽々と肩に担いだ。
そして次の瞬間、巨体からは想像できぬ俊敏さで迎坦門の門楼から姿を消していた。
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運程跌が崖上の土考たちに駆け寄り、
「いやあ、美扼温の姐姐め、動きが早いですよ。あれからすぐさま美獣達を護衛して墳上河の河畔に到着、渤方の敗兵も一緒にとりまとめてましたから、今頃両国の落武者どもをあらかた東岸に運び終えているでしょう。」
と、報告した。これを聞いた土考は、崖下の火がだいぶ消えたのを確認して閂滔登に命じた。
「手勢20ばかりを連れて、崖を降り、騎乗して墳上河に出ろ。河畔には秦州兵が残っている筈だから、それを潰す。美扼温の反撃は怖いが、手負いの秦州軍なら屠れる。」
「おお、火から逃れた連合軍の馬が結構いるな、分かった。あんたは?」
「俺は弓隊で行く。墳上河の河岸断崖の上から射降ろす。」
3時15分。
馬を捕まえた閂滔登の騎馬隊と、杣道を伝った土考の弓隊はほぼ同時に墳上河をその視界に入れた。
「くく。秦州兵め、落武者もいいところだな。」
閂滔登は嗤い、怒涛の馬蹄とともに址細径を飛び出して鬨の声を上げた。呼応するように、断崖上へ展開した土考の弓隊が、蜂の大群を思わせる矢唸りを上げて射降ろした。
300人程度の秦州兵は、それほど広くもない河原で心細げに肩を寄せ合い、真っ黒に北流する墳上河の川面を絶望的に見つめていたところだった。「舟がない」「置いていかれたんだ」そこここで哀しげな嘆息が漏れる、そんな落魄した敗軍に土考と閂滔登は襲いかかったのである。
「見つけた!秦州王だ!」
手下の濁声が闇に響き、閂滔登は反射的に声の方に駆け出した。さすが敗軍の中でも州王ともなると近衛が取り囲んでいる。
しかし閂滔登は躊躇なく川石を踏み切って跳躍し、その近衛の集団に突っ込んだ。短躯で跳ね回り、敵の首に太刀を叩きつける様はまるで蚤の如し、穂泉煎の衛士たちは地に臥し、忽ちに警備は薄くなる。
「あれ?」
しかし、拍子抜けした声を漏らした。
1人の衛士が泣きながら、横たわる秦州王の体に覆い被さっていたのである。
「なんだよ、穂泉煎の老ぼれはもう死んじまってるのか。」
衛士はキッ、と閂滔登を振り仰ぎ、涙を撒き散らしながら斬りかかって来たが、
「情けねえ、まさか心臓でも止まったか?州王ともあろう者が戦死すらできないのか。」
閂滔登は衛士を軽くあしらい、腋の下に深々と刃を突き刺した。
やはり秦州王穂泉煎は絶命していた。顔の右半分は焼け爛れ、右脚に2箇所縛られた包帯は真っ赤に染まっていた。出血多量か、それとも閂滔登たちの鬨の声に衝撃を受けたか、心臓は止まっていた。
閂滔登は穂泉煎の首を掻き、
「ほらよ、手柄。」
濁声で知らせてくれた配下に手鞠の如く投げ渡すと、すぐに川の方へ走り出した。
大きな雄叫びが聞こえたからである。
それは秦州龍牙代、税命のものだった。
彼は右手に槍を握って河砂の上に立ちはだかり、濃い眉を寄せて眉間に深い皺を作り、賊徒に負けない声で喚いていた。
槍は空色に金装飾、朱の大きな房を垂らした豪奢なもので、夜陰でも目立つ。
「よし、あの声のデカい大将格を狙え。」
土考は崖上で指示し、直後無数の矢が税命を襲った。
しかし自慢の槍を伸縮自在、短くも長くも使って矢を払い、暗闇から続々と駆け出てくる悪鬼の如き騎馬兵に対しては突出し、回し、叩きつけ、見事な槍術を披露した。襲いかかった閂滔登とも渡り合い、槍相手には不利と悟った閂滔登の方が場を退いた。
それを見た土考は、
「へえ。」
と感嘆、弱いと思っていた秦州軍にも骨のある奴がいたかと微笑した。だが兵勢の差は歴然、程なく税命の槍筋は鈍り始める。土考は、箙から矢を一本抜いて弓につがえ、キリキリと引き絞るや、ひょう、と射た。
矢は税命の首を貫いた。
税命は叫んだ。
「誰だ?誰なんだっ。」
答えてやらねばなるまい。
土考は断崖の杣道を駆け降り、一本の幟を川石の只中に突き立てた。
「か。塊?」
首を射抜かれてふらつく税命が、幟に染め抜かれた「塊」の字を見て問い、土考は答えてやった。
「坡州の野盗、塊協半の軍だ。これから救民の国を建てる。」
だが税命の耳は既に聞き取れていないだろう。最早不明瞭な何事かを呟くと、派手な槍を握りしめたまま、どう、と砂の上に倒れた。虚な目で夜空を見上げている。三日月が目に入ったろう。
荒くれ一人が、
「土考さん、こいつの首貰っていいか?」
と聞き、土考は関心なさそうに答えた。
「好きにしろ。だがこの程度の首、これからワンサと獲れるぞ。」
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坦陸城主府の正門前は騒然としていた。荒武者どもが叫び、彼らの鯨波が夜陰に拡がる。
揆朋楓はそれを満足げに眺め、右手に握る橙色の鞭をヒュンヒュン鳴らすと、
「さあー!」
甲高く叫んだ。




