第壱話
税命は、阿鼻叫喚の隘路を進むしかない。いつしか火は消え、崖下に転がる死体を踏み越え、ようやく址細径を抜けた。
そしてそこに、先行していたはずの渤因軍はすでにおらず、橋を焼き落とされた墳上河が横たわるのみ、河面に舟は一艘も無く焦げた木片が無数に漂っていた。
址細径から生還する秦州兵は、ぱらぱらと数少なく、ほとんどが負傷していた。
馬から降りると同時に、全身焼けただれた兵卒が一人、税命の前に跪いた。
「和群乏様より伝言。我が殿軍大敗。
敵は、筋骨隆々、狐目の武将が統率、数200程度なれど精強なり。
址細径とその周辺の杣道を伝い、早々にお味方を襲撃せん。杣道へ展開せる数は不明。
敵は壘渋でも、培梅でもなく、所属不明。」
言い終わると横倒しに倒れ、絶命した。
ここは、河原に段丘崖が迫り、それ程大きな空間ではない。だが、秦州兵で充満しているわけではない。もはや300人を切っているかもしれない。いまの伝令のように瀕死の者も多いようで、これから更に人数は減るだろう。
目を転じると、穂泉煎が左右に支えられながら路傍の石に腰を下ろす所だった。黒々とした墳上河を、口を開けて見ている。
「穂泉煎様っ。ご無事でしたか!」
目に光が無い。顔の右半分にやけどを負って口髭は焦げ、右足を2カ所縛る包帯はかなりきつく、赤く染まり、矢傷の深さを物語る。
「あー。あー。」
秦州王穂泉煎は呆けたうめき声を何度も返した。
(駄目になられた。)
精神的に強い衝撃を受けており、見たところ回復の見込みは無いように思えた。
踵を返し、河へ向かう。
「なぜだ」
濃い眉を寄せて、思い返してみても、結局肝心なことが分からなかった。
眞暦1807年6月21日。
午前3時。墳上河の向こう、東の空はまだ暗い。
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「くはは、馬鹿だよ、馬鹿だよ!」
3時。まだ夜は明けない。
大笑いしながら、揆朋楓の180cm弱の長躯は、長い黒髪を靡かせて、暗闇に沈む坦陸の街を艶然と駆け抜ける。
街中に張り巡らされた「義軍歓迎」の紙幕を片端から払い落し、長い軍靴で踏みにじる。先ほどの皺馬丘夜襲を歓迎してるんだろうが、ご苦労なこった、と猛禽の如きギョロ目は底意地悪い。
「街の家に入るな!褐剣髯に言われただろう!ボンクラがっ。」
戦さと言えば略奪が楽しみな荒くれどもは、この常識はずれな叱責に、何っ、と振り向くが、揆朋楓の威勢良い立ち姿を見ると、シュン、と手を止めてしまう。彼女が右手に持つ、橙色の鞭が怖いのもある。
堙撞殃などは戦場で命を張ってきたのも大都会で欲望を遂げる為だったものだから、揆朋楓の言葉に驚いて、町家の扉を蹴破ろうと右脚を振り上げたままどう、と後ろに倒れた。
そして彼には珍しく「何を!」といきりたち、立ち上がりざま、太鼓腹と一緒に腰の剣を突き出した。が、揆朋楓を見るや「はあい、分かりましたぁ」と一瞬にして剣と腹を退いた。一瞬にしてもとの呆けた堙撞殃に戻ってしまった。
揆朋楓は大袈裟に溜息をつく。
(まったく。この悪党たちを統率するのも、いたいけな婦女子にとっちゃあ、骨の折れる仕事だわ。)
揆朋楓はふいに大きな瞳をぐるりと巡らせ、茶褐色の軍靴を、ガッ、と路面に打ちつけた。
「ほら壘渋邸はここだよっ。続け!」
彼女はその豪壮な宮殿に、妬みを隠すことなく歯を剥くと、極彩の鞭鮮やかに夜空にかかげ、正門へ向かって振り下ろす。
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「わわわ。」
謫徒は迎坦門広場で怒涛の如く押し寄せる塊協半軍を引き止めようと、鞍上、右往左往していた。
「塊協半どうした。迎坦門でまず対面式を行い、そのあと城主府の歓迎の宴席という手筈だぞ。止まれ、止まらんか!」
「うるせえ!」
そこへ堕叉が駆け寄せ、謫徒の横腹を長い足で蹴り飛ばした。
うわ
謫徒はさらさらした髪を虚空に靡かせながら、迎坦門広場の砂上に落馬した。その背中に堕叉の怒声が降り注いだ。
「俺たちは、壘渋を滅ぼしに来たんだよ!」
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坦陸周辺図
坦陸城内外図
坦陸包囲戦 配陣図




