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東狩獲城  〜『斐界群史』詳伝  作者: 適当館 剛
第六章  夜行址細径
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第壱話

 深夜1時。

 2人が横に並んで辛うじて通行できる程の細い地峡、址細径。その谷底に三日月の光は届かぬ。はるか断崖上に連なる叢林が夜空に浮かび上がり、さながら亡者の影の如くであった。


「死地なり。死地なり。」

 そこを因州王美獣は早足で進んでいる。

「その死地を抜ければ、墳上河です。渡河して東へ逃れるのです。」

 兜の両脇に紅鶴の羽根を突き立てた巴雷丹邦冤が、弾けるような笑顔を振り向けた。美獣は勇気づけられたが、偉大なる因州王として、つられて笑うにもいかぬ。

 後ろをふらふら歩く輜重兵が性懲(しょうこ)りも無くぶつぶつと、

「恐るべし坤斧。連合軍を紅蓮の炎で焼き殺してしまった。」

 等と呟く。


 巴雷丹邦冤はキッ、と振り向き、腰刀に手をかけたが、美獣はそれを制し、つとめて冷静に言った。

「まこと坤斧なれば、ここに兵を配置しておろう」

 と、言い終わらぬ内に、

「おおお」

 という喚声が頭上から落ちてきた。


 咄嗟に振り仰げば、谷上の叢林が全て人となっていた。彼らは野獣の如き咆哮で、美獣主従の腹の底を震わせた。続けて矢をつがえ、弓を引き絞る音、一拍置いて「射てい!」という野太い号令が谷間に反響するや、一斉の弦音(つるおと)


 火矢であった。

 狭い地峡の夜空は、(やじり)を燃やす無数の矢に覆われ、真夏の晴天の如く閃光に溢れた。


「ほれ見ろ!やはり坤斧だ、違えねえ!」

 そう言って輜重兵は、既に焼け焦げている顔面に火矢が突き立って、瞬く間に炎に巻かれた。

 一瞬で味方は阿鼻叫喚となった。巴雷丹邦冤は美獣の安全に目を配りながらその中を疾駆しているが、ひどく冷静であった。筆で引いたように優美な眉をひそめて崖上の奇襲兵を観察し、

「坤斧の兵ではないですね。」

 美獣に語りかける。美獣もまた、降り注ぐ火矢の雨によって火炎地獄となった谷底で必死に走っているが、

「それどころか、此奴(こやつ)らの方が上じゃ。」

 坤斧ではないという点で巴雷丹邦冤と合致した。

「上ですか。」

「うむ。どの射手も弓勢が強い。全ての鏃が深く食い込んでいる。」

「崖上から射下ろしているとはいえ、これ程強い斉射はあまり見ません。しかも矢自体は低質なので、もっと装備が整ったら、と思えば恐ろしゅうございます。」

「そうだな。」

 美獣はふう、ふう、と息を荒らげながら、不敵に笑う。

「この死地で、坤斧以上の剛の者から生き残れるか。運試しにはちょうど良いわ。」


――――――――――――――――――――


 その頃。

 壘魍と延業禦は東城壁を降り、坦陸東街区を歩いている。

 連合軍潰走の報はまだ城民には知られておらず、城内の戒厳令は継続中であるが、謫徒が俄に多くの人間を巻き込んで騒ぎ始めているから、家屋に閉じ籠る城民たちは、騒つく予感で寝つけずにいるだろう。

 そんな不気味な沈黙が、深夜の街路に揺蕩(たゆた)っている。

「連合軍の背中を襲おうか。」

 闇の中に壘魍の白面は判然としないが、この攻撃的な少女の呟きは、衛士の延業禦をハッとさせる強靭な響きを持っていた。

「確かに、連合軍は恐怖に取り憑かれた敗兵、やすやすと屠れましょうが、あの謎の奇襲軍は寡兵とはいえ、容易ならぬ―」

「分かってるわよ。大体、そんな恥ずかしい真似を壘洗将軍の末裔たる我らが出来よう筈がない。」

 深夜でよかった。

 12歳の少女は己れの浅はかな思いつきを恥じ、いつもなら愛らしい薄桃色の頬をこの時は、林檎の如く真っ赤に染めていたのである。

「でも」

 幼い頭は混乱している。

(では謫徒がやってることはどうなの?賊徒が追っ払ってくれた敵を一緒になってやっつけるのと、その賊徒を歓待して仕官まで許すのと、どちらが恥ずかしいことなのかしら。)

 足は西に向かっている。間も無く坦帖東路(たんちょうとうろ)にぶつかるだろう。延業禦が壘魍の次の言葉を促した。

「でも?」

迎坦門(げいたんもん)に向かおう。」

 壘魍は一度言葉を飲み込み、違う話をした。

「賊は正門たる坦下門から入って迎坦門に至り、謫徒がここで出迎えるだろう。そして、盗賊が敵か味方かがはっきりする。私は迎坦門でその瞬間を見たい。」

「敵なら?」

「我が壘家は滅ぶだろう。」

 少女はこともなげに言う。延業禦は珍しく眉を顰め、北方を見遣る。昼なら甍の向こうに十黄旗塔が見える筈だが、今は見えない。


――――――――――――――――――――


「ぬぅっ」

 1時5分。


 火矢の雨が降り続く中、全速力で地峡を駆けていた美獣が、足元に這う蔓草に足をとられ、転倒した。


「危ない!」


 そこに容赦なく数多の矢が射降ろされた。複数の貫通音の中、肉体を(えぐ)る生々しい音も混じっていた。


「丹邦冤‥」

 美獣の力ない声。

 彼は地に伏したまま、巴雷丹邦冤を見上げた。彼女は美獣のすぐそばに立ち、何本もの矢に鎧を割られ、僅かに露出した袍の布地を貫かれ、そして全ての矢から発する火炎に包まれていた。兜に生えた紅鶴の双翼も既に判別できない。

 既に絶命している。燃えながら立ち、倒れない。その優美な顔貌も燃えて最早窺うことは出来ないが、主君を守る気概を発していた。

 因州龍牙代、巴雷丹邦冤。33歳の最期は主君の身代わりとなった戦死であった。


「美獣様」

 燃え盛る丹邦冤の遺体の後ろから、弾むような声がした。戦場に不釣り合いに明るく、声の主は美獣の前に飛び出してきた。


「母は戦死しましたが、今度は私が美獣様をお守りします。どうかご安心を!」

 巴雷丹邦冤の娘、麝絞冤(じゃこうえん)であった。轟々と燃える母の遺体に照らされ、母譲りの筆で引いたような眉が印象的であった。齢13歳、まだ幼気な少女で、(いたち)や山猫の毛皮を継いだ長靴が不恰好に大きいが、すぐ脇に母が燃えているのに目が烱々(けいけい)と輝き、楽しげですらある。


「見よ!」

 美獣は叫んだ。

「我が因州には此程(これほど)の勇将が、星の如く無数におるのだ!」

 娘と反対に、主君である美獣が巴雷丹邦冤の惨死に衝撃を隠せず、珍しく涙ぐんでいた。強がりではない。本当に因州王府には綺羅星の如く名将、猛将がいる。

 しかし、当の美獣は絶体絶命であった。

「ぬう?」

 地峡の先、東方の暗闇からひたひたと足音が聞こえてきた。

「なんと、前からか。」

 崖上の軍団は強兵ではあるが、装備の悪さから正規軍ではなく、そのため優位な地形での奇襲攻撃しかできまい、と踏んでいた。それが谷を降り、整然とした行軍で行く手を阻むとなれば、見込みは大きく外れ、因州軍が殲滅されるのは火を見るよりも明らかだ。


「最早終わったか。」

 美獣は観念し、佩刀に手をかけた。





**********************************





坦陸周辺図

挿絵(By みてみん)



坦陸城内外図

挿絵(By みてみん)



坦陸包囲戦 配陣図

挿絵(By みてみん)

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