第六話
「うぉああ!間に合ったぁ!」
土哭は狂喜した。
彼は遅参し、塊協半の賊党が潜伏していた売士谷は既に空っぽ、愕然とした彼は拾った馬に鞭を打ち打ち、10km離れた皺馬丘南麓の戦場に駆け入った。仲間達は悪鬼羅刹の如し、東に向かい一目散に逃げ落ちる連合軍将兵の背中に無慈悲な剣を振り下ろしている。そこ彼処で「坤斧が生きていた」「俺らは坤斧将軍の手の者だ」と聞こえるので、塊協半が坤斧存命の嘘をついて優位に進めているのだろう、と推察した。土哭はそんな同志へ、
「すまねえ、すまねえ、遅参の借りは返す!美獣はどこだ、号炸蹉蹉は、穂泉煎は何処に在りや。大将の素っ首、俺が切り落としてやるからよ!」
唾を飛ばし、細い狐目で目を配りながら呼びかけ、振り向く荒くれたちは口々に「おお、土哭?」「貴様、塡保の首尾はどうなった?」「こんな途中から来て手柄を横取りする気か?」などと大半は怒鳴り返したが、
「あっはは、そうかそうか。やっぱり俺がいなきゃダメか。安心しろ、俺が来たからにゃ、戦を終わらせてやる。」
土哭は気にも止めずに頓珍漢な答えを返しながら、ズンズンと馬を進めていく。
程なく彼は味方達を置き去りにして、東に敗走する因州軍の真っ只中に独りで立ち入った。ボロボロの革鎧を纏った大男を、因州軍兵士は奇異の目で見るが、皆、撤退中であるから誰何する余裕はない。
やがて、馬上で外套を靡かせながら駆ける武将を、前方に見つける。こちらに背を向けているから顔は分からないが、皺馬丘の火炎にぼんやりと照らされ、外套の色が青であることを判別できた。
「美獣だ!」
欣喜雀躍、土哭は一気に前方との距離を縮める。件の武将は、混雑の中で思うように馬を進められず、知らぬ間にこの危険な賊徒に追いつかれてしまったのである。
鞍上に伸び上がった土哭は右手の鈍ら刀で風を切るかの如くビョウ、と振り下ろした。
「もらったぜ、美獣!」
青外套を纏った騎馬武者の背中が縦一文字に掻っ捌かれんとした瞬間、ガキーン!という壮絶な金属音が鳴り響き、火花が弾け飛んだ。
そして、
「この膂力は?」
鈴のような声で騎馬武者は独りごちた。騎馬武者は鞍上に振り向きざま、土哭の剣を剣で受けたのである。
土哭の剣を払うと素早く馬を回して正対し、鈴の如き涼やかな声で問う。
「貴様ら何者だ?」
「ふふん。」
土哭もまた、振り払った騎馬武者の力に面食らいながらも正対し、
「『一字閃』坤斧はまだ生きている。俺は坤斧麾下の土考が実弟、土哭よ!」
「坤斧の配下にそんな者がおったか?」
「何!兄者の無名を馬鹿にするか!」
カッ、となって今度は正面から打ち込み、騎馬武者はまた、これを受けた。
「ぬっ」
そして壮絶な打撃音を夜の原野に響かせて十数合、周囲の因州兵はこの見事な一騎討ちに気圧されながらも少しずつ2騎を包囲していく。馬を回しつつ、土哭は横目で狭まる包囲網を確認した。
そこへ、
「美萊峩様!」
と2人の歩兵が駆けつけ、馬の間に分け入った。侯弘表と太赤である。
「なに?美萊峩あ?」
土哭は手綱を引き、鈍ら刀を肩に乗せてしまった。
「弟の方かよ!なんだ、つまらねえ。」
「き、貴様。この御方はあの因州の『青光麗弟』だぞ。」
側近の侯弘表は、たてがみのような頬髭を逆立てて怒ったが、
「不要。早く戦線を離脱するぞ。」
騎馬武者― 美萊峩は東に向けて駆け出した。
「しかし、彼奴が。あれ?」
「もう、そこにおらんだろう。」
侯弘表は主君を侮蔑したむさ苦しい男をとっちめてやろうとしたが、美萊峩の言う通りもう姿を消していた。肥満し、顎下にだらしない肉をぶら下げた太赤は、
「腹いせに何人か殴り殺しながら、突風のように味方のもとへ帰ったぜ。」
そう言って、若いのに初老のような笑みを浮かべた。
侯弘表と太赤は徒立ちで必死に走り、美萊峩の馬についていく。太赤は馬上の主に問うた。肥満の短躯で短足だが存外脚力があり、息も乱れない。
「やはり坤斧は生きてたんですか?」
「いや。」
美萊峩は馬上から太赤を見下ろして、言う。その声は少し震えていた。
「やはり坤斧は死んでいる。鉄の規律を誇った坤斧軍に先ほどの男が所属していたとは思えぬ。品性下劣に過ぎる。」
「そうですな。我が因州軍でも、あのような輩はあり得ませぬ。」
(しかし)
嘲笑を浮かべる太赤とは反対に、美萊峩は長い睫毛に憂いを浮かべて剣呑な様子である。
(しかし、因州軍でもあれ程の武力を持った者はそうおらぬ。嗷号や困士甜以上かもしれぬ。そしてこれほどの夜襲を、大博打を成功し得るのは誰か。壘渋では無理、坤斧や欄三秀とて企図できぬだろう。坡州王培梅の家中でも朦罠ができるかどうか、しかし彼は果断ではあるが、博打は打たぬ。『反抗虫王』閥野翫は博打好きだが、虫州から坡東まではあまりに遠く、動機も無い。とすれば―)
彼の涼しく優しい眼が、この時一瞬、凄絶な光を宿した。
(これまでの旧勢力を吹っ飛ばすような、もっと危険な勢力が今夜、この穣南の地に勃興してしまったのかもしれぬ。早く穣北へ逃げねば。)
美萊峩は、青の光沢ある総甲冑に皺馬丘の火炎を朧に光らせて、東を目指し馬の尻に鞭打った。
――――――――――――――――――――
「磐周挿!」
名鐘の如き声で呼ばれ、磐周挿は俄かに緊張した。左肘の傷を抑え、顔面は蒼白だが、それでも咄嗟に背筋を正した。
「美獣様、ご無事で」
「穂泉煎を殿に追いやり、敵に殺させろ。」
美獣は馬上、白銀の総甲冑を皺馬丘の火炎に光らせている。
急な命令であるが、磐周挿は反射的に、
「はっ!」
と、右手だけで拱手した。その瞬間、抑えていた左肘の血が真横に噴き出した。
美獣はひらりと飛び降り、嚢から膏薬を取り出して磐周挿の傷に塗り付け、青い外套を引き裂いて傷を縛った。
「州王!も、もったいのうございます」
「この腕はもう駄目だ。因州に帰還したら切断だ。兎も角これで止血はできる。よいか、死ぬな。」
そう言って美獣は再び馬上の人となり、
「堅く命じる。」
そう言い置いて東に駆けて行った。
磐周挿は落涙し、主君の背中に向けて拱手した。しかしその主君が処置してくれた左手はピクリとも動かず、肘から下が反対に曲がっていた。
――――――――――――――――――――
間も無く、日付が替わろうとしている。
「あっははは!ご覧ください、12万の連合軍が焼け出されて、逃げ散って行きますぞ!」
坦陸の城壁上。
謫徒は昂奮して絶叫している。




