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東狩獲城  〜『斐界群史』詳伝  作者: 適当館 剛
第伍章  一字閃亡霊、闇夜を火炎にて焦がす
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第伍話

 大渤帝国都相代の夕路尾綬は、皺馬丘の異変を聞いて、飛び起きた。

「また夜襲なの?」

 2日前、そして10日余り前、渤軍陣地は夜襲を受けている。時間も似たような日付の変わる直前だ。

 彼女は戦袍(せんぽう)だけを羽織り、宿営を飛び出るやその辺の馬をとっ捕まえ、くっきりした細い笹の葉のような眉を吊り上げて駆けた。

「皺馬丘が燃えてるじゃない!」

 配下の諸兵も訳がわからず、

「び、尾綬様に続けえ!」

 と、ろくに武装もせず走った。夕路尾綬は兜も被らず、小さな頭から伸びる真っ直ぐな黒髪が風に靡く。

 渤軍陣地から北東方向1km余りに聳える皺馬丘は今、紅蓮の炎に包まれて夜空を焦がし、三日月をかき消す程、明るかった。

(馬鹿な。今の壘渋がこんな奇襲を成功させられる訳がない。)

 城方のこれまでの襲撃は丘の南側を狙ったもので、いずれも渤軍陣地を通ることになる。それが今夜は渤軍陣地に敵は現れていないから、皺馬丘は北から襲われたことになる。

(誰がそんなことを?)

 そして丘に陣取っていた因州軍は、因州王美獣は無事なのか?

 一大事である。間諜の報告を待ってはおれず、夕路尾綬は、

(お待ち下さい、美獣公。すぐに援けに参ります。)

 と、北東へ一目散に駆けた。

 並の武将ならば龍牙である号炸蹉蹉の許可が必要だが、夕路尾綬は準殿(じゃんでん)※であり、欄三秀を討ち取る等、軍功も抜きん出た武官でもあるから、このような危急時には自らの判断で軍を動かすことが可能だった。


 ただ、後にして思えば、軽率ではあった。


 夕路尾綬の前方、皺馬丘を北西から回り込み、此方(このほう)へ走り寄る群れがある。南麓は火炎に照らされ、そのお陰で朧に姿形が見えるが、粗末な革鎧を付けた匪賊にしか見えぬ。

(何故、賊がこんな戦場に?)

 そう思った時にはもう、一団は夕路尾綬に突っ込んでいた。

「渤軍かあっ?」

 丸い身体の男が馬上に髯を揺らしながら叫び、刀を振り下ろした。

 あの「黄焔弓虎」欄三秀を討ち取った程の武人である夕路尾綬であるが、男の突撃があまりに急で反応できなかった。小さな頭頂から頸の中程まで斬り下げられ、武人というにはあまりに華奢で可憐な身体は、無残な骸となって馬から転がり落ちた。


 丸い身体の男の脇から、ひょろりと背の高い男が現れ、

「はっはー!お頭が大渤帝国都相代、夕路尾綬を一刀のもとにぶった斬ったぜえ!」

 などと歓喜の声を上げたから、300の群れの心は盛り上がる。反対に夕路尾綬についてきた渤軍の将兵は恐慌し、指揮者が眼前に霧消した事実を受け入れられない。


 壮絶な一太刀を見せた男は言わずもがな、塊協半である。褐色の髯をジャラリと鳴らして叫ぶ。

「夕路の残軍も屠れっ」

「快諾!」

 ひょろりと背の高い男は当然、塊協半の参謀たる堕叉である。脇に立つ揆朋楓の肩を叩き、

「なっ?」

 とその顔を覗き込むと、

「お前に言われなくても行くよ!」

 揆朋楓は肉感的な大口を真っ赤に開けて、橙色の鞭で馬の尻を叩き、眼前の敵兵に躍りかかっていく。

 塊協半の本隊300は、命令通り眼前の夕路兵を散々に討つと、その勢いのまま南西に駆け、渤軍本隊陣地にも突っ込んでいった。


 この頃、皺馬丘から転がり下りた因州兵が続々と渤軍陣地に逃げ込んでいた。

 例えばその一人は、

「拙者は‥王弟親衛軍100人隊長、姓は(とう)、名は徐息(じょそく)。」

 殆ど半裸で、頭髪は抜け、頭頂から足の先まで焼け(ただ)れて、皮膚がまとまってだらりとぶら下がっている。喉も焦げて、ひゅうひゅう鳴るように話すが、何とか聞き取れる。

「やられた、『一字閃』の火計で焼き尽くされた!」

 そう言って絶命した。この鄧徐息と同様に、大火傷を負った因州兵がそこらじゅうに充満し、渤陣に着いて折り重なるように倒れ、今際の際に皆、「一字閃」坤斧に言及した。渤軍の陣地には焼死体の山が出来たが、渤軍の兵士もこの様子を見て、戦慄した。2日前に夜襲を迎撃した際も、「坤斧見参!」という言葉に、彼らは皆震え上がったものである。

 渤軍の諸兵が、轟々と燃え盛る皺馬丘を怖々と見上げた時、

「さっさと退け!ここも焼き尽くすよ!」

 と、猛禽のような眼で前方を睨み据えた騎馬の揆朋楓が、渤陣に駆け込んで来た。橙色の鞭を八方に振り回し、戦慄して動けずにいる渤兵を次々と打ち据え、殺していった。

 揆朋楓に続いて300の荒くれも突撃する。その只中を走る堙撞殃は、先程揆朋楓に荒々しく肩車された際、股の下が擦れてしまい、粗末な下穿(したば)きから血が(にじ)んでいるが、

「よおし!そろそろ坦陸に入れそうだぞう。頑張るぞう!」

 気にせずに怪気炎を上げ、鈍ら刀で当たり構わず敵兵を打ち倒してている。

 剽悍(ひょうかん)なる大渤帝国軍。

 しかし今は、波状的に押し寄せる理解不能の事態に混乱の極に達しつつあった。


――――――――――――――――――――


 赤處山の穂泉煎本陣。


「詳細不明!皺馬丘陥落!」


 税命はうつらうつらしていたが、その報告に飛び起きた。報告というより絶叫であり、眼前の斥候の目が飛び出んばかりだった。


「詳細不明では分からん。それでは斥候の用を果たせぬぞ。」


 飛び起きた割には、落ち着いた声で斥候をたしなめる。意識して悠然と振舞っているのである。


 しかし、そんな余裕はすぐ無くなった。


 宿営から出ると、皺馬丘が燃えていた。


 北西方2km先の皺馬丘は、全体が火炎で煌々と明るく、美獣の因州軍が南へ押し出され、丘を下っていくのが見えた。壘渋め、わざわざ北側に回り込んで夜襲したか。しかし城については厳重に監視しているから、どんなに小規模な出撃であっても、すぐ気づくはずである。

 穣界最強と言われていた因州軍の敗走ぶりを見て、税命は動揺した。


「撤退の準備!下山し東方へ、美獣軍を先導する。だが号令下るまで待機っ。」

 この時点では、頼れる因州軍と合しての形勢立て直しも視野に入っていた。


 税命は馬を飛ばし、主君のもとに参ずる。穂泉煎はカタカタと歯を鳴らしていた。怖いのだろうか。それは税命も同じだが、さすがに州龍牙代という上位武官としては震えている訳にはいかない。

 穂泉煎は税命の撤退の許可申請は二つ返事で承認したが、東方への退路設定には眉をひそめた。

「坦陸から墳上河までは丘陵地帯だが、崖に挟まれた細い一本道だ。危険ではないか。」

「址細径ですな。ですが北の穣河までは、40km超有ります。支配衰えたりとはいえ、壘渋領を長距離移動するのは危険。これらの作戦は軍議でも再三確認された筈ですぞ。我が陣の方が東に寄っていますから、早く山を下りて渤因軍を墳上河まで先導しましょう。」


 篝火に照らされているのに穂泉煎の顔は、青白い。そして力なくうなづいた。


――――――――――――――――――――


 23時40分。


「坦陸からの奇襲はなかった筈だ。」

 若き大渤帝国龍牙、号炸蹉蹉は早めの就寝をしていたが、騒ぎに宿営を飛び出、その針の如き切れ長の眼で、皺馬丘の火炎とそこから必死に駆け下る大火傷を負った因州軍、そして謎の勢力に斬り刻まれる自軍を目の当たりにした。

「壘渋軍が坦陸から出撃したならば、我が軍が気づかぬ筈はない。まして皺馬丘が襲われたのは南ではなく北から。ではその北から襲ったのは何者か。壘渋でないのなら、培梅しかない。堪比巷(じんひこう)の手勢が長駆してきたかもしれん。だが、連合軍の諜報がそれに気付かないだろうか。圧倒的有利の連合軍にあえて培梅が突っ込んでくるだろうか。とすると、やはり」

 号炸蹉蹉は、ぶつぶつとその小さな口で呟きながら、総毛立っている。

「坤斧が生存していた、と考えるのが最も妥当なのだろうか。」

 その瞬間火矢が頰をかすめ、背後の幕に突き立った。

「ぐぬっ」

 誰が相手だとしても、渤軍も因州軍も浮き足立ち、戦意を喪失したことに変わりはない。

 幕は俄かに燃え始め、宿営が紅蓮の炎に包まれる。号炸蹉蹉の白い頬に一条の紅い擦過傷が出来、血が垂れた。夕路尾綬討死の報が耳に入ると同時に、小さな口を目一杯開いて号令した。

「渤軍、全軍撤退!東へ!東へ撤退!」


「ちぇっ。外したか。」

 螂廈は広い額に大粒の汗を浮かべ、舌打ちした。彼女が放った火矢は号炸蹉蹉の額を狙っていたが外れ、頰をかすめて背後の幔幕に刺さった。

 螂廈の小さな肩を後ろから堕叉が叩き、

「いやとんでもないお手柄だよ、螂廈。若き龍牙様は、お前の火矢に怯えて、撤退を決断なさったようだぜ。」

 と片目を瞑った。

 そして螂廈の同僚 ― つまり死んだ壜係重の配下達 ― が、彼女の周りから火矢を射掛けている。それは渤軍陣地の営所等を燃やし、瞬く間に火の海となっていく。

「そうよね。これであたし達もお手柄だね。」

 うふふ、と糸のように細い眉をハの字にして彼女は喜んだ。旧壜係重一党がようやく塊協半の構成員として認められた実感があったのである。

「よおし、連合軍の背中を追え!炎熱の矢を射込むんだ!」

 螂廈は140cmの短躯を目一杯伸びやかして、旧壜係重一党へ命じた。


 皺馬丘の頂上では暴発が繰り返され、坦蔵平原を敗走する渤因兵の影は、山火事に照らされて幽鬼か何かの群れに見えた。



※準殿・・・第十一大臣〜二十大臣の呼称。夕路尾綬が就いている都相代は第十四大臣にあたる。


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