第壱話
(よし。運程跌の言った通りだ。)
塊協半率いる奇襲団300はヒタヒタと、皺馬丘の北側から寄せている。塊協半の剣の如く硬い髯がまれにジャラリと鳴るが、それが大きく聞こえるほど、彼が統率する野盗の群れは言いつけをよく守って物音一つ立てずに行軍し、連合軍の誰一人にも察知されることなく、ここまで来たのである。
眞暦1807年6月20日。
23時。
運程跌が塊協半に報じた通り、皺馬丘北麓に連合軍は一隊も展開していない。丘の北側は黒く闇に沈み、蛍火のように仄かな篝火が樹間に点々と垣間見えるのみだ。
馬上、揆朋楓が茶褐色の鎧を塊協半の身体にゴン、と当てて、
「へっへへ。本当だ。ガラ空きだね。」
と、片目をつぶって見せた。
塊協半は嬉しそうに頷くと丸い顎をしゃくった。ジャラリ、とまた髯が鳴る。顎の示した方向は、真っ暗な皺馬丘の北側斜面である。
心得た、と揆朋楓もまた嬉しそうに橙色の鞭を闇夜の中に振りかざした。
「野郎ども、山を駆け上がれえ!」
そして皺馬丘へ真っ先に踏み込んでいく。
おおー!
と、この時に至り、それまで静かだった野盗団300は鬨の声をあげ、地鳴りのように皺馬丘を揺らし、登坂道を駆け上る。
北側斜面の樹間に点々と建つ見張り小屋の中には、啓懲鞍隊の兵卒が配置されている。
「因州のど阿呆ども!」
懸厘は、球形の身体を躍らせ、巨大な肉切り包丁を振り回し、
「皆んなこの懸厘がコマ肉にしてやるよ!」
小屋に乗り込んで、中の兵士をぶった切る。
やっと異常に気づいた見張兵が次々と小屋から出てくるが、出るや否や盗賊兵に斬り捨てられた。
「上はどうなってんだい?」
橙色の鞭で林間の見張兵を叩き殺しながら、吹き上げる烈風のように道を走る揆朋楓は、山路の上を確認したくなって舌打ちをした。すぐ脇で堙撞殃が巨体を揺すり、敵兵の首を大刀で吹っ飛ばしている。
「おいお前」
言うなり堙撞殃の襟首を引っ掴むと、その巨体を強引に引き寄せて鞍上に乗せ、その股に尻の方から頭を突っ込んで持ち上げた。
「堙撞殃!道の上はどうなってんだい?」
揆朋楓は馬上に堙撞殃を肩車して、聞く。
「うえ?え、えと、だな。」
当然、堙撞殃はびっくりしているが、自分の太鼓腹の下から怒鳴られて、素直に指令をまっとうしようとする。
「早く見ろ!見えてんだろ!」
「あのう、もうちょっと登ってくれんだろうか、揆朋楓さん。」
「ちっ!」
揆朋楓は再び舌打ちしつつも、馬を励まして蹄を進めた。堙撞殃の肩に乗って自分の目で確認すれば良さそうなものだが、確信ありげで行動に迷いがなく、堙撞殃は訝りつつも指摘できない。
「見えた。見えた。」
「そうか、で、どうだ?」
「程なく平らな所に出るね。篝火が少なくて薄暗いから、よく分かんないんだけど。慌てた兵士がパラパラと出てきて、篝火を点けてまさぁ。」
「ぃよし!」
揆朋楓は肉感的な大口で笑い、堙撞殃を肩に担いだまま上り坂を馬で駆けていく。それを見た他の荒くれどもも遅れじと付き従い、揆朋楓たちを追い抜き、程なく奇襲団は削平地に達した。
北側斜面の見張兵は敵襲を報告できなかった。そのためまだ篝火は少なく、啓懲鞍隊の陣地は三日月の明かりによってぼんやり見通せる程度で、突如現れた荒くれ者たちに守備兵は反応出来ていない。鎧を纏う者は数える程、ある者は眠い目を擦りながら傍らの刀剣を取り寄せ、ひどい者は酒気帯びで赤ら顔の半裸で取り敢えずその辺の棒を持っている。
「コマ肉!コマ肉!」
そんな油断し切った啓懲鞍隊を、懸厘なんぞは唐竹割りに斬りおろす。
啓懲鞍隊は2000人が配属され、皺馬丘北側一帯の守備にあたっている。奇襲団300に比較すれば圧倒的に数では上回っている筈だが、一気に切り崩された。
ここで揆朋楓が削平地に辿り着いた。味方の先制攻撃を満足げに眺め、
「お前の額に一文字の傷がありゃあ、もっと良かったのにな。」
「傷は嫌だなあ。」
「大丈夫さ。口で言うだけでいい。」
揆朋楓が指示するや、血飛沫上がる啓懲鞍の陣地に躍り出た。
「い、『一字閃』見参!」
皆、目を剥いてこっちを見た。
薄暗い奇襲の現場に、突如現れた2mを超す巨大な騎士の影。
「よく見ろ、肩車しているだけの」
当然、冷静に状況見ている将士もいる。しかし、不幸にもその者は、
「コマ肉ぅ!」
肉切り包丁で頭頂から両断された。
「まさかこんな三日月の明るい夜に夜襲か?なぜ攻め込まれている?」
啓懲鞍は、棗型の寝ぼけ眼を擦りながら営所からのっそり出、一応一団の長として事態を把握しようとしている。
しかし、自軍の兵士の
「坤斧が来たぞ!」
という声が耳に入ると、
「なに?坤斧が生きてたのか!」
と叫んで卒倒しかけた。
兵士たちもまた、そんな御大将の姿を見て、さらに恐怖に駆られた。
揆朋楓はこの機を捉え、再び堙撞殃に指示する。
「言えっ!」
「そうだ。そうだ。俺は坤斧だぁ!」
堙撞殃の声は緊張感が無く、英雄である坤斧には似ても似つかないが、声量だけは大きいものだから削平地に響き渡り、ただでさえ虚を突かれた啓懲鞍の部隊は恐慌をきたした。
この時点で、塊協半と堕叉の馬が削平地に上がってきた。「坤斧が来たぞぉ!」「『一字閃』が生きてたぞぉ!」と、兵卒が叫ぶ様を見て、
「ふふん。こんなに坤斧は怖がられてんのか。」
「だな。こりゃ使えるぜ。」
と、二人でほくそ笑む。
啓懲鞍も、馬上に肩車された巨漢を遠目に視認し、「坤斧だ!」と叫び、背中を見せて逃げ出した。堙撞殃が夜目を利かして、それを見つける。
「敵の大将が逃げ出しましたよお。」
「させるか!」
揆朋楓が走る。
距離は離れていたが堙撞殃を肩車したまま馬を駆り、
「喰らえ、坤斧の一撃!」
と啓懲鞍の背中へ、堙撞殃が大刀を振り下ろした。
「こっ、坤斧が生きていたあ!」
断末魔の中、啓懲鞍は叫び、絶命したが、隊長の絶叫を聞いた彼の隊の恐慌は極に達し、全兵四散した。削平地から降りる者、林間に逃げ込む者、そして丘の頂上へ登る者。
「いいぞいいぞ。そうやって露払いしてくれ。」
堕叉は頂上へ逃げる兵卒たちを見て、嗤う。
塊協半は堕叉の発言を横に聞いて頷くと、
「全員丘を登れ!」
号令をかけた。皺馬丘の頂上には連合軍総大将の因州王美獣がいるのだ。
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坦陸周辺図
坦陸城内外図
坦陸包囲戦 配陣図




